夢の話

毎晩見るわけではない。
だが夢を見る日にはいつだって決まって同じ夢だ。
それがおかしいことに気づいたのはいつだっただろう、良く覚えていない。
だが眠っている間に見ているものを夢だと言うのなら、やっぱり俺は一定のものしか見たことがなかった。


*


その夢は、とある交差点から始まる。
それはどうやら夏の頃のようで、抜けるような真っ青な空に入道雲がぽっかりと浮かんでいた。
蝉の声でも聞こえそうな暑さと天気なのだが、何やらけたたましい騒音に聴覚は遮られていた。
何の音だか気になるが、聴覚以上に視覚を俺は奪われていた。
否、視覚ではなく心が奪われていた、と言う方が正しい。
俺の目の前には、それはそれは美しい人が佇んでいるのだ。

柔らかそうな栗色の髪に、色素の薄い肌、すっきりと通った鼻立ち。
唇は薄いのに思わず触れたくなるような艶を持ち、長い睫毛の奥には少し茶色がかった綺麗な瞳が見えた。
残念ながら表情は強張り、血の気が引いているようでやや青ざめている。
しかし俺は何故か、その人の笑った顔も怒った顔も困った顔も容易に想像でき、それは既に知っているからだと言うことに気付く。
俺は夢の中でしかその人に会ったことはない筈なのに、その人が俺の名を呼ぶ優しい声も、抱き締めたときに香る髪の匂いも、少し骨張った触り心地も知っていた。
そして、俺はその人を心から愛していたことも、良く知っていた。


(そうだ、確かこの人と一緒に帰っていたんだ。俺が部活で決勝に進んだから、決勝戦に来てくれないかと話していて、それで。
あれ、部活? 俺は何部だっけ? 大会なんてあるような部活には所属してなかったと思うけど。
でも、俺は確かこの人にこう言った。
「うちの学校のアメフト部、初めて決勝に行けるんだ」と。
おかしいな、そもそもうちにアメフト部なんてあったっけ。
まあ、そもそも夢の中で矛盾を指摘することほど無駄なことは無いけども。)


他愛の無い話をしていたような気がするのに、その人は今にも倒れてしまいそうなほど顔面を蒼白させていた。
そんな恐怖に満ちたような、希望を失ってしまったような表情は似合わない。
いったい何がその人の表情を強ばらせてしまったのかと、俺はその人の視線を追う。
すると目の前に広がっていたのは、大型トラックが二台。
一台は横転していて、もう一台は電柱に衝突している。
そこでようやく、自分の聴覚を奪っていたのは二つのクラクション音だと気づいた。
二台とも既に動きは止まっていたが、けたたましい音はいつまでも鳴り響いている。
嫌な音は止まる気配を見せず、俺は耳を塞ぐのだけど一行に音量が減る兆しは見えなかった。
あまりの音に頭痛がして思わず顔をしかめるのだけど、目を細めたからか、二台の間に黒いものがあるのが見えてしまった。

その黒は制服、学蘭の色。
じわじわと広がる赤黒い水溜まり。
仰向けで首は折れ曲がり、不自然な角度でこちらを見つめてきている。
下半身はトラックの下になっていて見えないが、これだけ顔が見えていればすぐにわかる。


(間違いなく、俺だ。)


呆然とした表情はこちらを向いていて、自分の身に何が起こったのか理解していないといったようだった。
俺自身、良くわからない。
あまりにも現実離れしていて、絵空事のようで、グロテスクなものを見たときの嫌悪感も吐き気も感じないほどに。
だって、俺はこっちにいて、愛しい人の隣にいるのだから。


「……なさい、」

(え?)


その人がポツリと呟く。
俺はまた視線を戻すと、その人は全身を震わせて、膝からがくりと力が抜けた。
慌てて手を差し出すも、俺の手はその人に触れることはできず、文字通りすり抜けていった。
俺は目を見張る。
触れられない、どうして?

俺に質量がない?


「ごめんなさい…、ごめ、なさ、ごめんなさ、ごめんなさい…!!」


その人は頭を抱えて震えながら謝罪の言葉を繰り返す。
なぜ謝ってるのか俺には分からなかったが、ガチガチと鳴る歯の隙間から聞こえた言葉に、はたと気付く。


「自分のせいだ……!!」


そうか、俺は。
俺は大切にしたかった人に、最悪な記憶を植え付けてしまったんだ。

君は何も悪くない。
俺が勝手に事故に遭っただけなのだ。
だけど君は自分を責める人だから、その場にいたと言うだけで一生自分を責め続けるだろう。
俺は君を幸せにしたかったのに、幸せにするどころか、不幸のどん底へ叩き落としてしまうなんて。
最愛の人の不幸の要因が俺自身だなんて、俺の方こそ君に謝らなくてはいけないのに。


「ごめんなさい、」

(ごめんなさい)


俺は隣にしゃがみこんで、何度も言葉にする。
背中をさするように手を動かしてみる。
抱き締めようとしてみる。
けれど、俺の声は空気を震わせることはなく、俺の手はその人をすり抜け、宙を抱く。

俺には見えているのに、何もできない。
俺には、最愛の人を幸せにするどころか、なにもしてあげられない。
自分に腹が立つ、自分が情けない。
悔しい、苦しい、ごめんなさい、俺のせいで。


「ごめんなさい、自分のせいで、ごめんなさい、ごめんなさい…」


ああ、クラクション音がうるさい。


(無力とは、こんなにも。)



*



目が覚めると、俺は真っ先に側にあるものに触れてみる。
掛け布団は俺の手の形に合わせてぐしゃりと形を変え、重さのある携帯電話も持ち上げることができる。
それでも不安で、俺は誰かに触れたくて、真夜中にも関わらず外に飛び出す。
ジョギングをするふりをして、わざと誰かに肩をぶつけたりしたこともある。


「すみません」
「馬鹿野郎、気を付けろ」


どんな罵倒が帰ってきても、俺の声が届いたこと、俺に質量があることが確認できてとても安堵する。
良かった、俺は生きている。
立ち止まってどくどくと脈打つ心音に耳を傾け、自分の生を感じてからようやく家へと戻るのだ。


(ただ、その頃には、俺は夢の中の人の姿も声も名前を思い出せなくなっているのだ。
あんなにも愛しい人だと思っていたのに。
誰かを愛していたという記憶だけを残したまま。)



*



前世の記憶とかそういったものなのだろうか。
だけど夢の中の俺は既に死を迎えていて、前世とは違うもののような気はする。
けれど、忘れてはいけないのだろう。

「俺は大切な人を幸せにできず、それどころか不幸にしてしまった。だから君はどうか、」

そう誰かに言われているような気がしてならない。
それは前世なのか、誰か別の人の記憶なのか、俺自身の潜在意識なのか。

どれにせよ、俺は生きていることを大切にしようと思った。
生きていれば想いを伝えることも、手を取ることも、側にいて温もりを分かち合うこともできる。
例え自分のせいで誰かを傷つけてしまっても、その傷を埋めることも、生きていれば可能なのだ。

死んでしまっては何もできない。

無力は怖い。


だから俺は、今日も精一杯君のために動こう。
きっとそれが俺の役割だと思うから。




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