凍てついた手を握りしめていた。握っていなけば、このまま固まって、死に絶えてしまうだろうと思った。血の気が失せた、白く紫がかった色味が寒々しい。
瞳の奥にわずかな光もなく、まるで世界中の闇を飲み込んでしまったかのように深く暗いのだから、私はその瞳を見ていられず、そっと目を逸らす。
神様、と信じてもいないくせに願うのは、私がまだまだ道具になりきれないからだろうか。きっとこの世で神に願い事をするのは人間だけだ。


「オレを見て」

白い手が私の頬を撫ぜた。藍色と朱色の瞳が私を見据えている。
その声を聞くと、泣き出してしまいそうになる。噛み締めても、唇はわなわなと震えてしまっていた。
さっきまでの雨音が嘘のように何も聞こえなくなっている。

「ひとを殺してはいけないのに、どうしてオレは裁かれないの」

なんて鮮やかな紅色模様に、染まってしまっているのだろう。
この愛しい人は、いくつの命を奪ってきたのだろう。
そのときに自分の心までも殺しているのだろう。少しずつ少しずつ、欠けていくのだろう。


「天才なんかじゃない。英雄じゃない。…ただの、」


私はそのとき、桜の花の散り際を思い出していた。
雨に打たれて、風に吹かれて、ひらひらと散っていくその様は彼によく似ているような気がしたのだ。
毎年咲き乱れては、散らされて、それでもまた花をつける。その命が尽きるまで終わることのない宿命がある。

言ってあげたい。

あなたは道具じゃないよ。
あなたは道具じゃないよ。


* * * *




汚れた姿を見せないようにと気を付けていたのに、一定のラインを超えるとその決意さえも簡単に揺らぐものだ。こんな姿を見せたら君はどんな顔をするだろう。君は温室育ちだ。きっとこんなオレの一面に驚くだろう。
こんなオレを受け止めてくれるだろうか。絶望と願いが交互に顔を出して、君を試そうとしている。

人を試すなんて最低なことだ。オレの理性は警告する。

君がオレを拒絶するはずがない。オレの甘えは底なしだった。

ただもしも、君がオレを拒絶したとしても、オレには術がないわけじゃない。
記憶を消す術がある。力で屈服させることができる。決して離れないように操作することだって容易い。

君は無知で無力で無防備だから……決して、馬鹿にしているわけはないのに、最終的にはオレは自分の我を通そうとしているだけだった。


こんな夜更けなのだから当然君は眠っていたのだろう。異常なほど研ぎ澄まされた神経では君の様子を探ることなどなんて事のない。
扉を開けた君は、驚きから目を見開いた。オレはそんな恰好をしていた。

ナマエは一言も発せず、血みどろのオレの右手を握りしめた。残忍な行いをした罪と、雨に打たれたことで冷え切っていた。生きているものの手は温かく、オレなんかに触れてもよかったのだろうかと思う。


瞳を覗き込んだ君が、その目を伏せるのを感じ、自分の愚かさが全身に突き刺さる。

結局、賭けには負けたらしい。


「オレを見て」

今度は汚れていない左手で君を頬を撫ぜると、わずかに震えている。君が照らしてくれなければ、オレはもう正体のわからない影になるしかない。
自分をさらけ出せないことに、もう堪え切れなかった。

「ひとを殺してはいけないのに、どうしてオレは裁かれないの」

「……………」

「天才なんかじゃない。英雄じゃない。…ただの、」


ひとごろし、だ。



鳥の鳴き声に似ているから、暗殺向きだね、と言われたあの日のことを忘れられない。

『暗殺向き』

あの時のあの気持ちを、どんな言葉であらわせるんだろう。

ちがうんです、とは言えなかった。オレはわかっていた。オレはそのために術を開発したんだ。オレが何に使われるべき人間かわかっていたからだ。

それを尊敬する師に言い当てられて胸が重くなった。

肉を裂く感触を忘れられない。滴る血の匂いから逃げ切れる日がくるのだろうか。
オレの足元には無数の屍が這っていて、生きている人間などいないのではないかと思うのだ。

だから君を手放すことができない。
オレの傍で血が通っている人間は君だけだった。



「…カカシくんは、ただの私の恋人だよ」


心配そうにのぞき込む瞳には、迷いと恐れが混在していた。ナマエは隠し事が得意じゃない。だからこれが彼女の精一杯の答えなのだ。二人の手はまだ、つながったまま。

こんなに温かい手をした彼女と、この冷たい手のオレが恋人なのか。君にはもっと温かい手の男が似合うんじゃないか。オレが彼女と一緒にいていいのだろうか。
熱が籠る掌は、まるで子どものようだった。しびれていくように熱が伝わる感覚には覚えがある。

お風呂に入ろう、なにか食べられるならアサリの炊き込みご飯があるよ、と次々に提案を始めた君。陰鬱な影で隠れていた自身の姿が華やいでいくようだった。右手はいつまでも彼女と繋がっていた。彼女は決して離さなかった。それがすべてだった。オレのすべてだった。






20180902




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