もしも、あの時こうしていたらと思ってしまう。

私は母が死んでからいつも指折り数えていた。
亡くなった直後には、たった1週間前には生きていたのに、と涙を流した。
1か月前までは生きていたのにと玄関の靴を片付けた。
半年前には生きていたのにと箪笥の衣服を箱に詰める。
1年前には生きていたのにと手を合わせるたびに思い出してしまう。
2年が経つと、母の影は家にないことに気づき、その匂いがどんなものだったか思い出せなくなった。
3年が過ぎるころには、その声すらも霞がかった。時折懐かしく聞こえるのが自分の声と気づき、それは母が私の中にいるのだと同義に思えた。
血肉には母がいることがわかり、自分の手で頬を撫ぜても母のぬくもりを思い出せる。

それでも寂しい。
どうしてだろう。後悔は、まるでないと思っていたのに、やり直せるならと思ってしまう。願っても仕方ないことを願ってしまう。

それが、たった7歳で身の上に起こった君は、今どうしているんだろう。



『オレもう上忍なんだし、いつまでも子どもじゃないんだから、はたけ上忍って呼んでくれる』

あまりにも冷たく放たれた言葉に私の心は引き裂かれた。だが、同時に気が付いてしまった。
あなたは私が頼れるような人ではなく、里があなたに期待をかけている。これが身分不相応なのだと。

いつかのくノ一の言葉は、まるであなたの言葉を補うように思い出されて、そのたびに胸が苦しくなった。
あなたを理解しているのは私ではなく、他の誰かだったんだと思い知らされた。

彼を見かけるたびに胸が苦しくなり、かといって格下の私が無視をすることはできず、いつも私から挨拶をした。たとえそれが目を伏せた小さな会釈だったとしても、精一杯だった。彼はこちらに気づいてもいないような素振りで本を開いたまま通り過ぎていく。そのたびに傷つく自分の弱さが嫌いだ。

定食屋や居酒屋で彼を見かけたこともあった。彼は私とは違うテーブルに座り、仲間に囲まれていた。

受付所などで同僚と談笑している姿を見かけたこともある。いつも淡々とした口調で談笑しているようだった。彼がそうしているところを意識してしまう私とは対称的に、彼はこちらへ視線を向けることはない。もしかしたら、気が付いていないふりをしているのかもしれない。私の視線など彼には届かないのかもしれない。

このまま永遠に話もできないのだろうかと思うと、悲しかった。


天才忍者はたけカカシという人について、みんなが口々に噂する。
極秘任務を成功させた話、彼の機転によって里が救われたという話、どれも映画のヒーローのような内容だった。
同年代のくノ一たちは彼の功績や容姿端麗さや物腰の柔らかに黄色い声をあげていたし、老若男女問わず彼を褒め称えている。
あんなにも身近だった彼が知らない人のように思える。噂話をひとつ耳にするたび、体の芯が冷えていくようだった。


成人式に久しぶりに彼に会った。
ガイくんと話をする傍には大きな女性の集団があり、その中心で彼は困ったような笑みを浮かべていた。その集団から抜け出してきた彼がガイくんに話しかける。私が彼に挨拶すると、彼は「久しぶり」と言うと私の姿を一瞥して、あからさまに顔を伏せた。今日は綺麗に着飾った自分に少し自信が持てていたのに、嫌悪感を出されたことは本当に悲しかった。
他の友人から声をかけられ、逃げるようにその場から立ち去った。

その夜、居酒屋で友人たちと飲んでいるときだった。ガイくんに店内に響き渡るような大声で名前を呼ばれ、大勢の注目を浴びてしまった。あまりの恥ずかしさに顔から火が出そうになっていたが、ガイくんの人柄は皆がよく知るところで悪気などないにちがいない。私が近づいたとき、彼はテーブルに顔を伏せて、いかにも私と接することを嫌がっている様子だった。ガイくんは3人で写真を撮ろうと言っていて、彼に無理強いをさせていいものかと戸惑っていると、あちらから「せっかくだから、撮ろうよ」と声をかけてくれた。社交辞令でも嬉しかった。
写真を焼き増しして届けると申し出た彼に、まさかそんなことをさせるわけにはいかないと断ると、ガイくんが助け船を出してくれ、なんとか表面上は円満に終えたのだった。


だが、その後日。私は多数のくノ一に囲まれ、成人式の騒動から、彼との関係を問いただされた。数々の侮辱の言葉を浴びせられているうちに、私は言い返すこともできず固まってしまい何も考えられなくなっていた。

「大した取柄がないんだから、大人しくしてなさいよ」

はい、としか言えない自分に嫌気が差す。
彼女たちは、私が彼と接するには不釣り合いだと何度も繰り返し唱えては、私の生い立ちなどを笑っていた。いつかのカカシくんの言葉が頭の中で鳴り響ていた。悲しいほど、その言葉を鮮明に覚えている。


以前なら響かなかったはずの言葉が、私の胸を大きく抉っていく。
解放されたあとも私は茫然とその場に立ち尽くし、絶望感でいっぱいだった。
まるで自分の中に埋まらない空洞があるようだった。私はまるで、がらんどうだ。空っぽで薄暗い。


たとえば、母が生きていれば、家に帰ってから存分に嘆き、愚痴のひとつも言えるだろう。
彼が傍にいれば、文句を言いつけてやりたいくらいだ。
でも私には…何もないのだ。


そう思うと目立たずに大人しく生きることが、彼女たちの言う通り賢明だと思った。
誰かに胸を切り裂かれる思いなど、もう二度としたくない。


なにもない私には、私だけを見つめてくれる人がいない。
きっと友人や仲間にそれを零せば、優しい言葉を両手いっぱいに贈ってくれるに違いない。それはわかっている。わかっているけれども

「…っうぅ…」

こんなときになって懐かしく思い出される母の優しい眼差し。瞳が涙でいっぱいになった。
私の名前を呼ぶ声。私だけの母。

私だけの誰かが欲しい。
誰かにとって必要な存在になりたい。

でも今はない。私には、誰もいない。







****




今年の積雪は例年より多い。道の隅にはこんもりと盛られた雪山がそこかしこにある。何日も溶けない雪にけが人が続出しているという。除雪された道を歩きながら、白い息を吐いた。
住宅街の塀の上に2匹の雪うさぎを見つけた。葉っぱの耳、南天の実を目につけられた、赤い目をした雪うさぎだ。
愛らしい姿に、こんな遊びを幼いころしたことがあったなと懐かしく思う。
今日の昼からは気温が上がり、この雪も一斉に溶け出すだろうと思うと、やっとかという気持ちになる。やっと、やっとだ。


餅つき大会で数年ぶりに会話したもののナマエとの距離を推し量れずにいた。相変わらず、彼女は廊下ですれ違っても小さく会釈するだけで、またオレも話しかける度胸もなく通り過ぎてしまう。今となってはどのようにして話しかけたらいいのかもわからない。

何度も話しかけようとしては、寸前のところで邪魔が入る。または、臆病風に吹かれて、一言目が出てこないのだ。オレは過去にどうやって話しかけてきたんだろう。どうして、こんな簡単なことができないのだろう。

話しかける理由を探しては彼女の姿を眺めて、そのたびに引き返していた。情けないほど、足が竦むのだ。
恋人になれなくてもいい。ただ友人でいいから、きっかけを手に入れたいだけなのに。






「オレとナマエが?いやーないっすね」

口に咥えた千本を揺らすこいつとまともに話したのは、この時が初めてだった。アスマと紅がナマエと付き合ってただろと尋問する横で、オレはそしらぬ顔で本を読むふりを続けている。あれからずっと、この機を待っていたのだ。オレの耳は今かつてないほど働いているに違いない。

「あの時期みんな言ってたわよね。デマだったの」

紅がそう結論づける横でオレは待て待てと心中穏やかではなかった。
付き合ってないのなら一晩かぎりということか。そんなことあってたまるか。我慢ならなくなって、口を出す。

「オレ見かけたけどなーゲンマがナマエに髪紐渡すところ」

すると、一斉にこちらに視線が注がれた。ゲンマは「そんなことあったかな」と頭を掻いている。
アスマと紅がにんまりと邪悪な顔をしている。まずい、と思った。

「あー…みんなでオレんち泊まったことありましたね。ナマエのおふくろさんが亡くなったときだったかな。一人で家にいるのも辛いだろうって班員とか、当時仲良かった男女6人くらいいたかな。いやでも、本当に何もないですよ」

そう聞くと、合点がいって、心臓がバクバクと鳴った。オレはとんでもない思い違いをしていたのか。考えてみたらあのナマエがほいほいと男についていくはずもなかったのに。
嫉妬にかられて目が曇っていたと思うと、猛烈な後悔が押し寄せる。なんて馬鹿なことを。

そのうちにゲンマは任務の集合時間だと言って立ち去った。
茫然となるオレの横で、まるでお構いなしの恐ろしい視線を感じて席を立とうとしたが、そうはさせてくれないのがこの二人なのだ。

「お前、昔からゲンマが来る飲み会には顔出さなかったもんなぁ」

「油断したわね」

必死に手元の本を読もうとするオレの背中で二人はニヤニヤクスクスと鬱陶しいことこの上ない。なんだこのカップルは。背中に向かって「初恋はこじらせると厄介だぞ」とアスマが投げかけてくる。

もうとっくに厄介なことになっている。でもこうなった今、何ができるだろう。

ゲンマが言うには、彼女はまもなく見合いをするらしい。
まさかそんなに強く結婚願望を持っているとは知らなかった。なぜならオレたちはまだ20代も半ばなのだ。急いで結婚するような年でもないだろう。

だが、そうとわかれば、くすぶっている場合ではないだろう。万が一、見合いがうまくいって結婚でもされてしまったら、オレの初恋は木っ端微塵だ。

ついさっきまで彼女の友人の席でいいと思っていたのに、気づけば彼女の隣を狙っていた。









20180206





「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -