寂しい気持ちというのは、じわじわと体を蝕んでいくものだ。時間をかけて、体の奥に巣を作るのだ。 たとえば、似た背格好の人とすれ違ったとき、振り返ってしまうこと。 たとえば、似た髪色や髪型の人を見つけて、駆け寄ってしまうこと。 たとえば、似た声の人に、その面影を重ねてしまうこと。 どこにもいないとわかっていても探してしまう。空っぽの家に「ただいま」と言ってしまう。門の音に「帰ってきた」と感じてしまう。いつも座っていた場所に、いつまでもその幻影を見てしまう。 どうしていないの、と思ってしまう。 まだわずかに父の匂いがするパジャマを、苦しくなるほど胸に抱きしめた。 悲しいという感情を感じるよりも先に、流れ出る涙が止まらない。 だめだ。このまま、立ち止まっていたら、きっと自分はだめになってしまう。 心を強く持たなくてはいけない。里の中で居られる場所を得るために、人から求められる価値を持たなければいけない。 そう思ったとき、やっと家を出ることを決意した。 今夜は珍しく木の葉の里、商店街会合が行われるそうで、それに参加するため母は朝から忙しそうにしていた。要するに、商店街の会長が主催した飲み会だ。わが弁当屋のような、街はずれの店が呼ばれるのは珍しいので、母は嬉しそうだった。 明日の仕込みを手早くすましたかと思うとシャワーを浴びて、珍しく化粧などを施している。 早めの閉店を決め込み、レジ締めをする私の後ろで母が「行ってくるからねー」と叫んでいる。私がいってらっしゃいと言い終えるよりも先に扉がピシャリと閉まる音が聞こえてきた。 片付けを終え、明日の仕込みの鍋の火を落としたところで、そろそろ自宅へ上がろうかと思っていた。何かやり忘れていることはないかとあたりを見回す。店の2階が自宅になっているので、まぁ思い出したらあとでやればいいかと一人呟く。 店の表のカウンター前のシャッターは中途半端に半分閉まったままなので、下げ切ろうと店の前へ出ると、人影が見えた。 あまりにもわずかな気配だったので、誰?と小声で問いかけると、見知った銀髪が暗闇から出てきた。 安堵して「久しぶり」と声をかけようとした手前、息が止まる。彼の表情があまりにも重く、暗闇の影を背負っているのかと思うほど沈んだ雰囲気をしていた。 「なにかあったの?」 「…別に」 「そっか」 「今日はもう閉店なんだ」 「ごめんね。お母さんが用事があって、いつもより早く閉めちゃったんだ」 「…そう」 店のカシャンとシャッターを締め切った。外灯の光がぼうっと照らしている。 彼は見たところ任務服ではなさそうだ。紺色のTシャツを着ている。 わざわざ弁当を買いに来たのだとしたら悪かったなと思った。 「今夜お母さんは飲み会でいないんだけど、夕飯食べていかない?美味しいサンマがあるの」 おいでよ、と声をかけると、カカシくんは暗闇の中からふわりと体を浮かせた。 沈んだ瞳の色が、わずかに色づいたような気がした。家への戸を開けると、室内の明かりで彼の瞳のブルーがきらりと光る。彼が犬だったなら、しっぽを振っているだろう。 網焼きのサンマ、お店の残りものの豚汁、白米、豚の角煮、ぶりの照り焼き、鶏のからあげ、ふろふき大根、特製煮卵、かぼちゃの煮つけ、ひじきの煮物、ポテトサラダ、くらげサラダ、大根サラダ、海藻サラダ、わかめときゅうりの酢漬け、ナスのお新香をテーブルに並べると、カカシくんはヒクリと口元をひきつらせた。 その顔には、量が多すぎると書いてある。 「サンマを焼く必要あったの」 「今日のサンマは今日のうちが一番美味しいでしょ」 当然と思って言い放つと、カカシくんは呆れたような視線を寄こしてきた。私は何一つ間違ったことは言っていないつもりだ。 弁当屋たるもの、食卓のメニューは毎日残り物が何品目も並ぶ。それのために食べたいものを我慢することなどできないのだ。 「…いただきます」 「どうぞ召し上がれ」 山盛りによそった白米に、何か言いたそうな彼には知らないふりをして、食べ進めた。旬のサンマは脂がのっていて美味しい。身がほくほくとしている。カカシくんを見ると、同じようにサンマを口に運んで、味わっている様子だった。 「美味しい…!」 「美味しいね!新鮮だって魚屋さんが言ってたんだ」 「オレ、サンマの印象が変わったかもしれない」 「大げさだね」 「これは美味しい」 当店自慢のラインナップが控えているので、焼いただけのサンマにいたく感動されるのは癪である。どこのなく嬉しそうな様子のカカシくんを見ながら、いつもの母の言葉を思い出した。 「食は元気の源、だからね」 口に出して言うと、まるで母が言ってるかのような声色だ。私もこうやって母に似ていくんだなぁと思った。 カカシくんは聞いているのかいないのか、黙々と食べることに集中していて、器用にサンマの小骨を取り除いていた。 20181116 |