すずが着替えを終えると、リョーマが部室のドアに凭れて気だるそうに待っていた。その様子に嬉しくなったすずだったが、それも束の間、すずの姿を認めるなり言葉も無く校門に向かおうとするリョーマを走って追いかけるハメになった。

帰宅の道中喋っていたのは主にすずで、リョーマはあぁ、まぁ、と短い返事しか返さなかった。それでもすずが付いてくるのを拒否はせず、2人は越前家に到着した。



「ただいま」

「お邪魔します!」

「おかえりなさーい...あら?」



2人が玄関に入ると奥から女性が出てきて、すずの姿を見て首をかしげた。



「もしかして...すずちゃん?」

「はい!お久し振りです、倫子さん!」

「まぁまぁ、本当に久し振り!どうぞ上がって!」



リョーマの母・倫子は、幼い頃すずを娘のように可愛がってくれた人で、すずにとっても2人目の母のような存在だった。久し振りの再会にはしゃぐ女性陣を横目に、リョーマは2階の自室に上がって行った。



「すずちゃんたら、すっかりお姉さんになって。元気だった?お父さんやお母さんは?」

「はい、お陰様で。倫子さんもお元気そうで何よりです」



居間に案内されたすずはダイニングテーブルに腰掛けると、出されたお茶に口を付けてにっこり笑った。倫子の柔らかい笑顔は昔と変わらず、すずを安心させた。



「カスミちゃんとは何度かお手紙のやり取りをしてたのよ。すずちゃんも青学なら教えてくれたら良かったのに」

「すみません、お母さん抜けてるから...。倫子さんたちが日本に帰ってきたことも、私、今日リョーマに会って初めて知ったんですよ」

「あら、相変わらずなのね」



すずが日本に帰ってきてからのことや両親のこと、青学で男子テニス部のマネージャーをしていることなど、倫子と楽しく話をしているうちにリョーマが着替えて降りてきた。



「母さん、腹減った」

「はいはい、ご飯できてますよ。すずちゃんも食べていく?」

「あ、いえ私は、」

「おー、帰ったか青少年」



不意に和室の襖が開いて、男性が姿を現した。無精髭を生やして、服装も欠伸をしながら後ろ頭をかくその姿は“だらしない”そのもの。しかしその人は間違いなく、



「南ちゃん!」

「お?」



“サムライ南次郎”、リョーマの父で、ついでにすずの初恋の人である。その昔テニス界を騒がせ、しかし若くして突然引退した伝説のプレーヤー。幼い頃、リョーマと共にすずも南次郎とテニスで遊んでいた。



「すずだよ!覚えてる?」

「おぉ、園田さんちのすずか!元気か?相変わらずちっちぇな!」

「一言余計!」



すずが飛びつくようにハグすると、南次郎のスボンからバサリと本が落ちた。



「ん?南ちゃんなにか落ちたよ」

「おわ、やべ!」

「あぁ!ちょ、南ちゃんなにそれ!」



ちらりと見えた表紙に写っていたのは、綺麗な女性モデルだった―――水着姿の。それだけで中身を想像することは容易で、すずは笑ってごまかそうとする南次郎を睨みつけた。



「南ちゃん!なんてもの見てんの!」

「うるせぇ!男のサガだ!」

「何がサガよ!いたいけな乙女の初恋を穢さないで!」



ぎゃいぎゃい騒ぎ出した父と幼馴染を見て、リョーマは呆れてため息をついた。初恋を穢す穢さないに関しては、南次郎からしたら“そんなこと言われても”な話である。そもそもすずが南次郎に初恋を捧げたのは5歳だか6歳の時の話で、その頃はまだ南次郎も今よりはちゃんとしていた。人とは良くも悪くも変わっていくものだ―――父親のだらしなさを目にする度、リョーマは実感している。



「お父さんとすずちゃんは仲良しねぇ。はい、リョーマ。ごはん」

「ありがと」



出された夕食を見て、リョーマはダイニングテーブルに腰掛けた。洋食好きな母には珍しく、メニューは和食だった。和食好きなリョーマは上機嫌で焼き魚に箸を入れるも、背後での争いは続いていて、リョーマはまたため息をついた。

南次郎に初恋を捧げたすずもすずだが、自分の父親に熱をあげていると知りながらすずを初恋の相手に選んでしまった幼き日の自分も大概だ―――少年の心は複雑で、口にした焼き魚はすこししょっぱかった。


20160927

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