小説
これも親孝行

お母さんは昔からアイドルの追っかけが趣味だった。
それは私を産む前からの趣味で、産んだ後も変わらなかったらしい。首も据わらない私をお父さんに託して、追っかけ仲間とコンサートに出ることもしばしば。それに対してお父さんは、結婚する前からお母さんの趣味を知っていたから、たまの息抜きでコンサートに行くことを喜んで見送っていたとか。仲が良くてなにより。

それから数十年が経って、一人娘の私が成人した今。

お母さんのアイドル追っかけ趣味は意外な方向へ転換した。
前に実家へ帰ったとき「なんでそっち?」と聞いたら「会って話せるからよ!」と、頬をほんのりピンクに染めて嬉しそうに話していた。さすがのお父さんも、その追っかけには複雑な心境らしく不自然に口を閉ざしていたけど、お母さんの語り≠ヘ止まらなかった。

「それでね、今度、握手会があるんだけどチケットが二枚あるのよ!二枚!」
「ふぅん。追っかけ仲間と一緒に行くの?」
「違うわよ〜。そもそも追っかける仲間がいないもの」
「お父さんと?」
お父さんが溜め息を吐いて首を横に振る。
え、じゃあ誰と? 私? 私か?
お母さんが目を輝かせてチケットを一枚差し出した。
「来週、日曜日。もちろん空いてるわよね? 彼氏いないし」
「空いているけど、余計な一言が付いてきたので行きません」
「あーん、親孝行だと思って! ね!」
どんな親孝行だよそれ。

目的はともかく、お母さんと出かけるのも立派な親孝行の一つだし、と言い聞かせてやってきたのは市ヶ谷、日本棋院。
生まれてはじめてやってきた場所は、想像していたよりもずっと庶民的な場所だった。いや、本来ならもっと厳格な雰囲気かもしれない。今日は握手会のイベント会場らしく、テレビで見るように何本も列が作られていて、その先には確かにイケメンの若い男の子達が立っている。もちろん、いわゆる剥がしと呼ばれるスタッフも立っていて、すでに進み始めている列の先頭では、今まさにオバサマが剥がされていた。「和谷く〜〜ん!」と手を振り叫ぶオバサマ、恐ろしい世界である。

ざっと並んでいる人を見てみると、お母さんと同い年くらいの方や、それよりも上の方が多い。比率は圧倒的に女性だ。

「で、お母さんはどこに並ぶの? 伊角さん?」

お母さんの歴代追っかけアイドルの顔から考えると、伊角さんが一番好きそうだけど。でも、和谷さんも好きそう。いかにも元気です!ってタイプで近所にいそうな男の子。

「ふふふふ、今までのお母さんなら確実に伊角くんだったけど、」
「けど?」
「今回は違います!! アキラ君です!」
「……アキラ君?」
左から、伊角さん、和谷さん、進藤さん……あ、いた。塔矢アキラ。
「さ、並びましょ!」
お母さんに引っ張られながら、塔矢アキラの列の一番後ろに並ぶ。
不思議なことに塔矢さんの列は女性よりも男性の方が多い。その隣の進藤さんの列は若い女の子も並んでいる。顔の好みでいうと、私も進藤さんの方が好きだ。塔矢さんも悪くはないけど……なんだろう、笑顔が胡散臭いというか、慣れている感じがして嫌だ。

「ねぇお母さん、私、進藤さんのとこ行っても良い?」
「あら、アキラ君かっこいいじゃない!」
「かっこいいのは分かるけど、好みじゃないっていうか」
「うーん、でも今日はアキラ君に後ろに並んでいるのが娘です≠チて話すつもりでいたし〜」
「そんな事言われても、塔矢さん困るだけだと思います」
「アキラ君にアンタを紹介したいという親心が分からないの?!」
「分からない! まっったく分からない! 塔矢さんが困り果てる未来しか見えない!」
「困るかどうかはアキラ君に聞いてみないと分からないじゃない!」
「いや困るでしょ! お前の娘なんか興味ねぇよって思うって!」
「それじゃあ本人に聞いてみましょう!」
「おう! やってやらぁ!」
「じゃあ、進藤君はなしね。ここでアキラ君を待ちましょう」

この卑怯者めが……!!

そうして、私が隣の列の様子を眺めたり、お母さんのアキラ君うんちくを聞き流していると、いよいよ先頭へやってきた。
前の人が終わって、お母さんがウキウキした足取りで塔矢さんの元へ歩いて行く。その様子は我が母ながら、浮かれすぎて気持ち悪いと思った。
お母さんと塔矢さんは握手をしながら、宣言通り私の紹介をしたらしい、塔矢さんがこっちに顔を向けてニッコリ微笑んだ。
「次の人どうぞー」お母さんが終わって、スタッフさんに呼ばれる。ドキドキしながら塔矢さんの前に立つと、塔矢さんは握手を求めて手を出してきた。

「娘さんなんですね。お母様にはいつもお世話になっています。貴女も碁を打たれるのですか?」
耳によく馴染む穏やかな声だ。ちょっと好きかもしれない。
「……あの?」
聞き惚れていると、塔矢さんが困ったように目尻を下げていた。
「あ、え、いや、私は全然打ちません、すみません」
「それは残念です。五目並べからでもぜひ」
「え、は、はい。そうですね、うん……」
終了の声が聞こえて、塔矢さんの前を離れる。
塔矢さんの手は最後まで宙をさ迷ったままだった。

お母さんの元へ行くと、第一声に「なんで握手しなかったの、勿体ない!」と怒られた。
私だって、ビックリだよ。握手なんてささっとやって、てきとーに二、三言交わして終わるつもりだったのに。
いざ塔矢さんの前に立つと、妙に心臓が高鳴って何もできなかった。

「ねぇ、お母さん。さっきの塔矢さんの話しもう一回聞かせて……」
「ハマった?!」
「いや、まだ……まだ落ちない」
得意げに笑っているお母さんはちょっと腹が立つけど、塔矢アキラの名前はしっかり刻み込まれてしまった。
「次のイベントも一緒に行くわよね?」

行かない!≠ニ答えられない私は、これも親孝行だと言い聞かせて首を縦に振った。

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