小説
シンデレラは靴を脱がない 3

 安価で量のある学生向けの飲食店が点在するこの界隈は、夕方になると、空き腹を抱えた学生たちの姿を多く見かける。
 高校時代の名前もそうだった。授業で濃密に頭を使ったせいか放課後になるとやたら腹が減り、焼肉、ラーメン、中華など様々なお店を女友達と界隈を開拓していった。通い詰めた店は多くあるが、特にお好み焼き屋には世話になった。

 あかね色に染まった街の中でお好み焼きの香ばしい香りを嗅いでいると高校時代を思い出す。制服を着て歩いていたのはつい最近のことだと思っていたのに、気が付けば四年も前。たった四年、されど四年。この短いようで長い月日の間に、名前の生活はすっかり変わってしまった。

 あの頃、女子高生だった名前は「無敵」だった。将来への根拠のない自信、鉛筆が転がるだけで面白い毎日、共にバカ騒ぎしてくれる友人。ごくありふれた青春時代だったが、振り返ると、一番に輝いていた時期だったかもしれない。過去を惜しんでいるわけではないが、そう思う。

 お好み焼き「かげうら」の前にある電柱の側で人を待っていると、いつの日かの名前と同じように、母校の制服を着た女子高生グループがお好み焼き屋へ入っていった。制服で行くと臭いが大変なのよね。彼女らを目で追いながら自身の体験と重ね合わせる。体験通りだと、帰り際、友人と互いの制服を嗅ぎ合うことになる。それから、誰かしらが常備している安い香水を吹き付けて、鼻がひん曲がる臭いにケラケラと笑うのだ。

 今、名前の心には、サラリと吹くノスタルジーな風が吹いていた。暮れなずむ街々はどこか切なくもあるが、それ以上に、甘い痺れを伴う恋しさが胸を締め付けていた。もう二度と戻らないと分かっている。だからこそ、恋しく思うのかもしれない。
 独り佇む心地良さを知っている名前にとって、こうして人を待つ時間はさして苦にならなかった。しかし、いつもより行動開始時間が早く、これから同伴出勤前の食事だというのに腹の空き具合は微妙だった。

 とはいえこの香りの中にいると、気持ちはすっかりお好み焼きの準備が整ってしまう。確か、かげうらには小さいサイズのお好み焼きもあったはず。普通サイズ一枚は厳しいけど、小さいサイズなら大丈夫かも。そうは思っても、あくまでこの待ち合わせ場所は面白半分にすぎない。
 というのも、今日の同伴相手である客も、学生時代はかげうらによく訪れていたらしい。一つでも共通の話題があると話が弾むもので、今回の同伴もかげうらのおかげで取り付けられたようなものだ。
 当初名前は、無論、かげうらに行くものだと思っていた。
 が、客に「どうせならもっと美味しいもの食べようよ」と言われてしまった。
 久しぶりにかげうらの暖簾をくぐりたかったが、背に腹は代えられない。加えてサプライズの演出のように行先を伏せられてしまったので、余計にかげうらに行きたいとは言えなかった。

 待ち合わせ時間の五分前になって、名前は手元のスマホを操作した。メッセージアプリで一言「着いたよ〜」と送信した、そのときだ。
 聞き覚えのある声がして、名前は辺りを見渡した。
 向こうからやってきた男子学生の集団の中に、声の主――遊真はいた。
 歩くたびにふわふわと揺れる柔らかそうな白髪。その一本一本は夕日の黄金の輝きを纏い、河川敷で会う遊真の雰囲気とは違っていかにも少年らしい眩しさがあった。

――やっぱり、遊真。

 声に出さずに呟くと、こっちに気付いた遊真の紅が名前を捉えた。思わずドキリと胸が鳴る。

 だが、視線がぶつかった所でどうすることもできない。友人のように振舞うことはできたが、遊真と共にいる子らに自分との関係を説明するには良い言葉が思い浮かばない。ましてやタイミング悪く客がその場にやって来たら、いよいよ両者への説明に困る。決して夜の仕事を恥じているわけではないが、客を前にして「これから同伴なの」と言えるほどの心構えは持ち合わせていなかった。

 よって、視線を逸らしたのは名前からであった。ちょうどよく着信を告げたスマホを耳にあてながら、向こうを見ないよう注意しているこの瞬間にも肌にチクチク刺さるものがある。なにも、悪いことをしているわけではない。これは仕事だ。分かっているが疚しさを感じてしまう。

 暫く会話を続けていると、客の、
『あ、名前ちゃんみーっけ』
 という声が、受話口からの声とだぶって聞こえた。顔を動かして探してみるも、視界にそれらしい人はいない。
 “向こう”だろうな。思ったと同時に、反対側! と叫ばれ、油の足りない機械のようにぎこちなく顔を向けた。そこには案の定、真っ直ぐに歩いて来る遊真達の後ろで、客が小さく手を振っている。
 名前は電話を切り手を振り返した。あくまで遊真は視界に入れないよう意識して。

*

 隔離するようにロッカールームへ押し込まれた。所々がひび割れている合皮ソファーに雪崩れ込めば、ひんやりとした感触に包まれる。露出した肌で感じる冷たさは、アルコールの熱に浮かされた名前を労わるかのようだった。
 酔っている。霞がかった思考の中で、僅かに残っていた冷静さが判断を下す。
 酔っていても楽しんで飲めた酒ならまだ許せる。
 が、今日の酒はそうじゃない。半ばヤケになった酒だった。
 遊真のことを考えると、後ろめたさを感じずにはいられなかった。
 もし自分が逆の立場ならどう思うだろう。愛を囁くような仲ではないが、友人と呼ぶには深くに触れ、親友と呼ぶにはまだ浅く、それでも心を許している相手に、無視されてしまう。
 何してるんだろ私。
 次、会ったときは謝らないと。でも次っていつだろ。今日のことで嫌気がさして、もう二度と会ってくれないかもしれないのに。そもそも会う約束なんてしたことがないし、連絡先を知っているわけでもない。

 体内をぐるぐる回るアルコールは、羽が生えたように身体を軽くしたが、心に鉛の錘を撃ち込んだ。重くて身動きが取れない。嫌なことばかりを考えて、ドツボにハマりそうになる。

「名前さん、大丈夫ですか?」
 ここまで運んできた黒服が言った。
「らい、じょう、れすかねぇ、」
 名前は何とか返事をしたが、呂律が回っていない。
「あちゃー」
 黒服は呟いて、キャッシャーに座る店長に向かって叫んだ。
「名前さん、ダメっぽいですね!」
「んー。まだ早いけど送り空いてるし、乗せちゃって」
「了解っス」

 遠くに聞こえる二人のやり取りに口を挟もうとするも、否応なしに視界が暗くなってくる。眠気だ。歩いて帰るから。歩いて、遊真に――ここで意識は完全に落ちた。


 開きっぱなしの遮光カーテンはその役割を果たせず、部屋の中に荒々しい陽光の侵入を許した。
 ベッドの中で胎児のように丸まっていた名前は、顔面に襲い掛かってきた明かりに顔をしかめて、うっすらと目を開いた。
 八畳ワンルームの狭い部屋。妙齢の女にしてはいささか物が少なく全体的にスッキリとした印象があるが、それは日々の積み重ねの結果である。一度荒れてしまうと片付ける気が失せて、環境に適応してしまう自分がいると分かっているからこそ、取っ散らからないよう努めているのだ。
 それが、どうだ。
 ベッドの横、ローテーブルの上には食べかけのコンビニ弁当。カーペットに散らばるスマホや化粧品、財布といった所持品。それに玄関前には脱ぎっぱなしのドレス。このぐらいなら部屋が荒れているうちには入らないが、記憶にない自分がこのような有様を生み出してしまったことにまず落ち込んだ。それから、勤務時間の最後まで働けなかったこと。キャストが酔っては客にも店にも迷惑をかける。自分の客を見送った記憶があるのは不幸中の幸いだ。
 名前はベッドから出ようと上半身を起こすも、今までに経験したことのない猛烈な怠さに襲われて、身体の力を抜いた。シミのない真っ白な天井がゆらゆら動いて見える。酒はまだ抜けていない。時間はまだ昼を回ったばかりで、今日は誰かとの約束もない。寝ようと思えば出勤準備の夕方まで寝てられるが、このままだと、色んなものを引き摺って出勤することになる。
 名前は深い溜息を落として、ゆっくりと身体を起こした。途端に襲ってきた怠さや頭痛を我慢して壁を支えに立ち上がる。そのまま壁伝いにおぼつかない足取りでお風呂場へ。冷たいシャワーを浴びればアルコールが残る身体も少しはマシになるだろう。禊をするように昨晩の失態を流して、散らかった部屋を片付けて、各所に謝罪のメッセージを送って……根幹にあるものはそれからだ。

 頭の中の進行表通りに事を終え、合間合間に大量の水を飲んだおかげで酒もだいぶ抜けてきた。ついでに洗濯物を回し気になる所は掃除もした。部屋の乱れは心の乱れというが、本当にその通りだと思う。
 洗濯機の静かなモーター音をBGMに、名前はぼんやり雲の流れを追っていた。柔軟剤の香りがする風が、ふわふわとカーテンを揺らしている。
 こうして落ち着いてみると、昨日の自分は感情を剥き出しにした子供みたいだった。遊真を傷つけたかもしれない、嫌われたかもしれない、会ってくれないかもしれない。勝手に嫌な妄想をして酒に逃げたんだから、無邪気な子供よりも性質が悪い。
 おそらく傷つけてしまったのには間違いないが、誠心誠意をもって謝罪すれば遊真はきっと許してくれる。知らないことは沢山あるが、名前の知る遊真はそういう人だ。

*

 屋上の手すりに背中を預けぼんやり空を仰いでいると、ふと、こちらに向かってくる気配を感じた。二限目の終わり、二十分の休憩時間のことである。遊真はそのままの体勢で出入り口扉に視線を向けた。慌ただしく階段を駆け上がる音が一度止まって勢いよく扉が開かれる。

「空閑!」

 叫んだのはクラスメートの三雲修だった。いや、クラスメートと位置付けるには二人の関係性を示す上で不適切だ。二人はボーダー玉狛支部に所属していて、雨取千佳を含めた三人でチームを組んでいる。よってクラスメートよりも深く繋がりがあり、関係性を言葉で表すのなら「相棒」の方が適切かもしれない。

 その相棒と呼べる修は珍しくおっかない顔をしていた。ツカツカと歩み寄るオサムに遊真は首を傾げた。

「どうしたオサム」
 遊真が言うと修はぐっと眉を寄せ、
「どうしたじゃないだろ! 鞄はあるのに空閑がいないから何かあったのかと、」
「心配してくれたのか」
 遊真が静かに言うと、修は勢いを落とした。
「そりゃ今日は防衛任務もないし、急な体調不良かと思って保健室に行ってもいなければ心配もするだろ。どこかで行き倒れてるんじゃないかって」
「行き倒れるように見えるか?」
「……腹を空かせていたら有り得る」
「ああ、それは有り得るな」
 笑いを滲ませながら言うと、修はムッとした。笑いごとじゃないんだよ、とでも言いたげな表情だ。冗談めかしたけれど、遊真の事情を知る修からしてみれば本当に何かあってもおかしくないと行き着くのは当然で。
「で、何かあったのか?」
 嫌な想像をしても埒があかないと、斬り込んでたずねた。
「あったといえばあったな」
 歯切れの悪い返事に修は眉を寄せる。
「ボーダー絡みか?」
「違うよ。個人的なこと」

 きっぱりと言われ修はホッとした。だが同時に、遊真のいう個人的なこと≠ノ思い当たる節がなく頭を捻る。そもそも空閑の個人的なことは、ほぼボーダー直結しているのではないか。いや空閑だって一人の人間だから、自分が知らない交友関係を持っていて当然だ。
 いよいよ唸りはじめた修を見て、遊真はふっと笑みを漏らした。

「友達……って呼んでいいのか分からないけど、友達になった人がいるんだ」
 修は目を瞬かせた。
「友達じゃないのか?」
「夜たまに会う年上の女の人は、友達って呼んでもいいのか?」
 遊真は言った。
「えーっと、どういう経緯で知り合ったのかって聞いてもいいのかな」

 年頃の青年ということもあり、修は不健全を感じて焦った。
 しかし遊真がポツポツ語るそれはいかがわしさの欠片もなく、件の女性とは独特な関係を築いていることが分かった。そして「友達と呼んでもいいのか」という質問を反芻して、修はゆっくりと言葉を紡いだ。

「空閑が友達と思うなら友達でいいと思う。関係を示すのに、他にもっと適切な表現があるかもしれないけど、それは、これから知って行くんじゃないかな」
「大人だな、オサム」
 遊真がからかうように言うと、修は早口で言った。
「べ、べつに、偉そうに言ったけど僕だって分からないし! こういうことは迅さんに相談した方が手っ取り早いと思う」
「なんで迅さん?」
「百戦錬磨なイメージがあるから」
「なるほど……」

 と頷いてみたが、修はどうやら勘違いをしているようだ。
 自分が今、心に違和感を抱いている理由は決して春めいたものではなくて。

「なぁオサム。俺とオサムはトモダチだよな」
 唐突に遊真が言った。
「まぁ、そうだな」
「じゃあ、俺と偶然道端で会ったらどうする?」
 これもまた唐突な質問だったが修は何も聞かずに答えた。この質問こそが本題だと、遊真の真剣な目を見て感じ取ったからだ。
「挨拶して少し喋るかな」
「俺の隣に知らない女の人がいても?」
「ちょっと様子を伺うけど……迷惑じゃなければ挨拶くらいするよ」
「無視しないのか」
「そりゃ、お互い気付いているのに素通りする方がおかしくないか? 時と場合によるけど」
「ふむ」

 遊真は短く息を吐いた。
 修の言うことを元にすると、昨日、明らかに目があった名前が自分を避けたのは迷惑だったから。タイミングが悪かったとも言える。偶然の遭遇をマイナスの方向に作用させたのは、名前の名を呼んでいたあの男だろうか。

 もしかするとあれは名前の彼氏で、自分と関係があることを知られると色々不都合があったのかもしれない。

 と、ここまで考えて、遊真は少し面白くない気持ちになっていた。悶々としたものが心の片隅に根を張りつつある。これは一体なんだろう。はじめての感覚に戸惑っていると、修が「そろそろ授業が始まるぞ」と言って背を向けたので、大人しくその背を追った。
 一人で考え込むよりも、何かで気を紛らわせた方が良さそうだ。

*

 今日、もし会えたら謝ろう。そう意気込んで出勤したものの、退勤が近づくに連れて勢いは低下し、送りで帰ろうか悩んでしまった。しかしここで送りに乗ってしまえば、次もその次もと引き摺るのが目に見えている。そうなれば遊真との関係も終わってしまう。

 名前は自分の頬を軽く打ち腹を据えると、ヒールからゴムサンダルに履き替えた。着替えは持って来ていない。いつもと変わらないドレス姿だが、今日は余韻に浸って歩くのではなく、フロアを闊歩するように背筋を伸ばして歩こうと思った。ヌーディーピンクのロングフレアワンピースの上から、白のショート丈のカーディガンを羽織り、緩く巻いて流していた髪はハンズクリップで一つに纏める。

 更衣室の古い全身鏡の前にはアンバランスな女が立っていた。足を覆うサンダルのせいだ。一応気を使ってオシャレに見えるシルバーを選んだが、やはりドレスとの相性は悪い。名前は元々履いていた白レースのヒールに目をやった。ヒールの高さがしっかりあって、踵には純白の大きなリボンが付いている。ヌーディーピンクのドレスにはピッタリの可愛らしい靴だ。
 履き替えようか……名前は手に取って悩み、結局、サンダルを履いていくことにした。正装を選んだのだ。

 店を出ると喧騒なネオンが目に飛び込んできた。名前は目を眇め、人工的な星がきらめく大通りを慣れた足どりで突っ切っていく。そして喧騒が遠ざかった頃、人の気配がまるでない河川敷方面へ進んだ。

 しばらく歩いて、やっと静かな水の流れが聞こえてきた。
 無意識に速足になっていたせいか、サンダルと足の甲が擦れてヒリヒリしている。名前は足の痛みを無視して車道を渡った。土手の階段を登り、河川敷へ立ったところで、痛みが鋭さを増して立ち止まる。
 屈んでスマホのライトで照らしてみると見事に皮が捲れている。まだ我慢できる痛みだが、酷くなるのも嫌なのでサンダルを脱いだ――そのときだった。

「脱ぐのか?」
 と、落ち着いた声が聞こえて、名前はびくりと肩を揺らした。
「ゆ、遊真……」
「なんで」
 遊真は地面に置きっぱなしになっているサンダルを見つめた。
「違う!」
 思わず叫んでしまった。遊真は口を結んでいる。
「靴擦れしただけ。深い意味はないの」
 名前が吐き出すように言うと、遊真は片膝をついた。
「あ、ホントだ」
「暗いのによく見えるね」
「夜目が利くからな。にしても痛そうだな」
「うん、痛い」
「おぶろうか?」
 遊真は名前を見上げて言った。
「え、やだ、無理だよ」
「名前なら余裕だぞ」
 名前は首を横に振る。
「ほんと折れちゃうかもしれないから。体格差もあるし」
「素足で歩いたらバイキンが入る」
「家でちゃんと消毒する。大丈夫、自分で歩くよ」
 頑なに拒否されて、遊真は昼間の穏やかでない心中を思い出した。
「じゃあ、彼氏に連絡して迎えに来てもらいなよ」
 立ち上がり膝の土を払いながら言う。つい放ってしまった言葉に名前が唇を噛んだのが見えた。
「……いないよ、そんな人」
 嘘は吐いていない。別に嘘でも本当でも関係ないはずなのに、目が勝手に見抜いてしまう。
「遊真が言ってるのは、この間の人でしょ。あの人はただのお客さん。同伴してもらっただけ」

 よく分からない単語が出てきたが、たずねる間もなく名前は続けた。

「本当はあのとき、遊真に声をかけたかったの。でも遊真も友達と一緒だったし、私もお客さんと待ち合わせしている所だったから。
 仮に挨拶したとしても、どんな関係? って聞かれたら返しようが無いなって。……無視してごめんね」

 一番伝えたかったところが小さな声になってしまった上、強引に謝罪へ結び付けてしまった。身勝手な奴だと呆れているかもしれない。名前は俯きふわふわと揺れるドレスの裾をながめた。
 遊真の返事を聞くのが怖い。あの、何もかもを見透かすような紅い瞳と向き合うのが怖い。けれどもこの切り取られたような静けさの中で、名前の声はしっかり遊真に届いていた。逆も然り。

「友達って言えばいい」

 柔らかい声がした。名前はおそるおそる顔を上げる。すると悪戯っぽく細められた目と目がぶつかった。

「友達なら、無視できないだろ?」

 そう言われて、肩の力が抜けていくのが分かった。気丈に伸ばしていた背筋までへにゃりと曲がってしまいそうになったので、そこは慌てて真っ直ぐ伸ばすことを意識した。

「そうだね、友達なら無視できないかも」

 本音を言うと、遊真との関係を友達≠ナ括るのは違和感がある。だけど、友達なら無視できないと暗に断言できる純粋さとこの関係に名前をつけてくれた気持ちを蔑ろにしたくない。

「家まで送る」

 言いながら出された手に手を重ねた。お客さんとは違った子供特有のふくよかな手は握手するように繋がれた。この手が今より大きくなってゴツゴツ骨ばり、自分の知る男性≠フものになったとき、私達の関係は変化しているのだろうか。

 名前は二人の間で揺れる手の未来を想像していたが、遊真の手が指を握るように絡みついてきて、驚き、現実に引き戻された。

 身体が一気に火照っていく。境界線を越えてピッタリ密着した手のひらはじわじわ温まっているのに、指先まで緊張感が走っている。まるで中学生の女の子に戻ったようだ。手の汗を気にするような、初心なあの頃に。
 ――遊真は平気なのかな。
 そう思って、遊真の手の温度を探るように意識を集中させる。しかし遊真の温度は妙だった。平熱が低いとか、そういうレベルじゃなく冷たい。

 ドクン。ドクン。嫌な音を立て始めた心臓がナナミの温度を奪う。

「ねぇ、遊真」
 名前は声を絞った。
「どうした?」
 遊真はふんわりと言った。
「遊真の手、冷たいね。まるで……」
「まるで?」

 生きた人じゃないみたい。
 そう言おうと思って、辞めた。
 いや、言えなかった。絡みついた指が続きを遮るように力を込めていた。
「――ううん。なんでもない」
 これはきっと夢だ。ハリボテのドレスと靴を履いたシンデレラが、解けた魔法に気付かないフリをする夢。

名前は瞼を伏せて冷たい手を握り返した。



リクエスト企画 匿名さんより

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