小説
後ろめたさに似た安堵

 木目。

 木材を切断したときに見える年輪のこと。厚木から板を切り出す場合、年輪の目に対してどのような角度で切り出すかによって、板の表面の木目が異なる。らしい。
 名前の木目に対する知識は、どうひねり出してもこれ以上ない。そして、飽きるほど見つめた天井にはもう何一つの感想も出てこない。

 絶対安静を言い渡されて早三日、名前は悟りの境地に立った気分でいた。

 恋柱の継子として修練を重ねてから、蝶屋敷に運ばれた回数は指で数えるほどしかない。出会った鬼が弱かったのか己の腕が上がったのか、おそらく、どちらも該当するだろうと、つい先日まで思っていた。

 久方ぶりにお館様――もとい産屋敷――から言い渡された任務は、珍しい内容のものだった。
 名前は日頃、師範である甘露寺と共に行動しており、鬼殺の任務も甘露寺から言い渡されることが多い。鎹鴉からの伝令ですら、産屋敷から甘露寺を経由するほどだ。他の継子がどのように指令を受けているのかは分からないが、少なくとも名前はそうだ。

 しかしその日、屋敷の庭で素振りをしていた柳瀬の元に飛んできた鴉は、産屋敷が本人からの伝令を運んできた。
「産屋敷邸へ行カレタシ! 走レ苗字、赤兎馬ノ如ク!」
 高らかに叫ぶ鴉に一抹の不安を抱きながら、柳瀬は産屋敷の元へ急いだ。

 ――そして。

 産屋敷に勧められるまま、縁側に腰を下ろしている。温かいお茶と甘い菓子を頂きながら、まるで茶飲み友達のように。
 この光景を一部の者に見られたら、名前の首は即刻落とされていただろう。  
 父と慕う産屋敷とあれど、このような歓談を許されるはずがない。いち隊士の立場は重々に理解している。

 気が気でない状況だったが、出されたお茶に手をつけなかったと知られれば、それはそれで首を落とされるだろう。
 そうして少しの世間話に華を咲かせたのち、産屋敷が「さて」と、仕切り直した。庭先の藤の花房がゆらゆらと風に揺れているのを横目に、名前は改めて背筋を伸ばす。

「名前の手が空いているなら、向かってほしい所があるんだ。炭治郎達の状況が芳しくないようでね」
「すぐに向かいます」
「ありがとう、すまない」
「いえ。柱の皆さんはお忙しいでしょうし、私で事足りる案件なら、喜んで向かいます」
「名前だからお願いしたんだよ。彼らとの連携なら慣れているだろう?」
「え、あの、えっと」
「ふふふ。さ、行っておいで」

 言葉通りすぐさま炭治郎達の元へ向かった。
 鴉に彼ら――炭治郎、善逸、伊之助――の任務概要及び状況を聞きながら、いつもより軽く速い足を走らせる。原動力になっているのは産屋敷直々の頼みである悦びや責任感だけじゃない。よろしく頼む、と言われた彼らが仲の良い後輩で、そのうちの一人に伊之助の名があったことも大きい。

 ――それが五日前のこと。


 気が付いたら蝶屋敷の清潔なベッドに寝かされていた。
 アオイによると、二日も眠っていたらしい。炭治郎ら三人は軽傷だったので一日休んだだけで済んだとか。

「はあ〜……」

 思わず深い溜息を吐くと、アオイがキッと目を上げた。

「炭治郎さんに聞きました! どうして無茶をしたんですか!」
「え。私、何かやったっけ?」
「頭の中まで怪我してるんですか?! しのぶ様呼びましょうか?!」
「頭の中まで怪我って面白い表現だね〜」
「とにかく!」

 アオイの勢いに押されて口をつぐんだ。

「名前さんは隊士ですが、女性です。もっとご自分の身体を大切にしてください」
「……私の身体はとっくに見れたもんじゃないからさ。これ以上酷くならないように、アオイが見張っててよ」
「石頭、馬鹿正直、分からず屋、えーっと、尻軽、ブス!」
「めっちゃ悪口言うじゃん! 尻軽とブスって伊之助の言葉借りただけだよね?! まさかアオイもそう思ってた?!」
「思ってません! つい伊之助さんの言葉を借りるくらい怒っているんです! ……怒っているのに……もう、」

 アオイの声が尻すぼみに消えて行く。
 対して名前は、困ったと嬉しいを足して二で割ったような複雑な顔をしていた。だが、困ったよりも嬉しさの比重が大きくなり、頬がだらしなく緩んでいく。

「ちょっと、何笑ってるんですか! 完治するまでしっかり見張りますからね!」
「えへへ、ありがとう」
「それでは」

 アオイはコホンと咳払いをし、眉を吊り上げた。その顔すらも愛らしく思えるなぁ、なんぞと思っていた名前は、数秒後に激しく後悔することになる。

「当分の間、絶対安静です。許可が出るまでベッドから出ないこと!」
「うそ?! なんで! 動けるし走れるし戦えるよ?!」
「動けません!!」

 ――これが三日前のこと。


 ベッド生活もいい加減飽きてきた。天井の木目数えは一日目で飽きたし、唯一の楽しみになっていた見舞い人も落ち着いてしまった。

 名前は上半身を起こして、甘露寺が持ってきてくれた見舞い品のお菓子に手を伸ばした。すてらおばさんのくっきぃ≠ニ書かれたクッキーの箱である。巷で噂の洋菓子らしく、わざわざ並んで買って来てくれたそうだ。
 名前は箱からチョコチップクッキーを一枚取り出し、個包装の袋を破いた。一口齧れば芳醇なバターと甘さが広がる最高のクッキーだが、一人で食べるのも味気ない。それに、こんな風にお菓子ばかり食べていたら肥えて動けなくなる気がする。

 やることがなさすぎて惰性でクッキーを貪っていると、ふと部屋の入口から猪頭が顔を出した。伊之助だ。
 最後に顔を見たのは数日前に炭治郎らと共に見舞いに来た日だった。
 沈んだ顔をしている炭治郎と善逸を笑い飛ばした後、見舞い品の和三盆をみんなで食べた。その箱が空になる頃には二人も落ち着いていて、帰りはいつもの喧しさと共に去って行った。

 しかし伊之助は違った。猪頭を外すこともなく、会話に混じることもなかった。真っ先に食い散らかしそうな和三盆ですら、伊之助は手を出さなかった。
おそらく一言も声を発していなかったはず。仮にも数回枕を共にした女の見舞いなんだから、身を案じる言葉くらいあってもいいのに。名前は拗ねた気持ちでそう思ったが、そもそも伊之助に気遣いを求めることが間違っていると思い直したのだった。

「伊之助、こっちおいで」

 名前はクッキーを食べる手を止めて、こちらの様子を伺う猪を手招きながら言った。
 不気味なほど静かなのは変わらないが、こちらの言うことに素直に従うあたり、気持ちの変化があったのだろう。柳瀬はそう思い、続けて尋ねた。

「この間から、変じゃない? どうしたの?」

 伊之助は柳瀬のベッドの横に立ったまま動かない。座る彼女をジッと見下ろしている。そして獣の目は何を考えているか分からない。

「うわ、まじ怖い。何か言ってよ……クッキー食べる?」

 食べかけのクッキーを持ち上げ差し出すと、伊之助はやっと猪頭を外した。この顔を見るのも随分久しぶりだ。
 炭治郎曰く「こぢんまりとしていて色白」で、善逸曰く「女の子のような顔(正しくはムキムキしているのに女の子みたいな顔が乗っている、気持ち悪いやつ)」と形容する顔が名前はとても好きだった。顔とアンバランスな身体も最高に良い。黙っていれば女にモテたろうに、伊之助はさして興味がないようだった。

 名前としては、配慮気遣い繊細さの欠片もないこの男を、それはそれで気に入っていたので、しめしめ余計な女が近づかないぞと内心ほくそ笑んでいたのだが、こうして黙っていると、静かな伊之助も惜しい気がする。

 しかし、好みの顔に睨みつけられるのは気分が悪い。言いたいことがあるなら、はっきり言えばいいのに。名前は深く溜息を吐いた。

「もー、何なのよ」

 名前は唇を尖らせた。だが伊之助がこうなっている原因は自分にあると分かっていた。名前はもう一度溜息を吐く。二度目のそれは自分へ向けたものだ。
 すると伊之助がぐっと身を屈め、大きく口を開けた。あら、食べるんだ。と思ったのもつかの間、クッキーを摘まんでいた指ごと攫われてしまう。そして、舌が指を這った瞬間――名前は叫んだ。

「ぎゃあ! 何してんのアンタ!」
 名前は慌てて手を引っ込めた。唾液で湿ったクッキーが布団の上に落ちる。
「うるせぇな」
 伊之助はそう言って、落ちたクッキーを拾い、口へ放り込んだ。
「なに今のどこで覚えたの?! 突然キュンとさせるのやめて?! 甘露寺さんみたいに慣れてないから! ああああああ、せっかくなんかこう、感傷に浸るというか、ちょっとしおらしくなっていたのに……」
「意味分かんねぇよ。つか何で起きてるんだよお前。寝てろ弱味噌」
「はぁ〜〜? 弱くないし。強味噌だし」
「弱ぇから大怪我したんだろうが! 死ね!」
「永眠しろって?」
「いいから黙って寝ろ!」

 思い切り肩を押されて、名前はまた天井の木目と睨み合った。
 抗議のためすぐさま顔を横に向けたが、些か機嫌の良くなった(気がする)男を前にすると、文句は言えなかった。そこで大人しく目を閉じる代わりに、

「眠りすぎて全然寝れないから、もうちょっと話し相手になってよ」

 一つお願いをしてみると、隣のベッドが軋む音がした。
 薄目を開くと、猪頭はまだ床の上にあった。



title by エナメル様
守られた自覚と負い目がある伊之助とのお話し。

ヒカ碁セラムンHH小説目次

- ナノ -