小説

名前の身長は高くない。身長141センチの遊真と並べばそれなりの差があるが、名前の年齢の女性平均より2、3センチ高いくらいだ。

 しかし、遊真と並んで歩く名前は背が高い。

 仕事で履いているハイヒールは、最低でも7センチの高さがある。一番高いもので15センチ。さすがに15センチのハイヒールを履くことは滅多にないが、基本的に7センチのものを愛用している。よって、遊真から見た名前は身長170センチに近い女性に見えているのだが、それに関して遊真は、歩きづらそうなヒールに目が行くくらいだ。

「こんばんは」

 気まぐれで追加した夜の散歩コースは、警戒区域近くということもあり歩いている人はほとんどいない。それどころか、このコースを歩くようになってから今までにすれ違った人数は片手で収まってしまう。そしてこの中で自分に声をかけてくる人物は一人しか思い浮かばないのだが、反射的に視線を据えれば、案の定、暗闇に名前のシルエットが浮かび上がった。そうしている間にも近づいてくる彼女の輪郭をハッキリと捉え――遊真は「よっ」と上げかけた手を中途半端にして、目を瞬かせた。

 名前の手には珍しく靴が握られている。ソール部分に花が入った、変な靴だった。名前の靴が独特なのはわりといつものことなのでさておいて、遊真は名前の足元に視線を下ろした。てっきり裸足だと思っていた足は、ゴムでできたような靴に収まっている。

「遊真?」

 遊真の前までやって来た名前が、不思議そうに言った。

「どうしたの?」
 と、たずねながら遊真の視線の先を辿ると、自分の足が目に入る。

「……地面に何かあるの?」
 名前が言うと、遊真は首を横に振った。
「いや、何もない」

 そう言って遊真は元来た道を引き返すようにくるりと方向転換した。名前の隣に並び、流れで出しかけた手を引っ込めて、上着のポケットにしまう。
 どちらともなく歩き出しながらも、気になるのは名前の足で。

 家路を辿りながら話す内容は、お互いの今日の出来事がほとんだが、どちらかというと遊真は聞き役の方が多い。名前の高すぎない落ち着いた声はよく耳に馴染み、ポツリポツリと紡がれる日常はまるで物語を聞いているように感じる。戦争を知らず、加えて、三門市に住んでいるというのにボーダーの名前すら出てこない名前の話は不思議な心地良さがあった。

 一方で名前は、自分の話に静かに耳を傾ける遊真に甘えていた。聞いてくれる人がいるのは安心する。途中途中の合いの手は、話しに興味を持ってくれているようで嬉しい。
 しかし今日は違和感があった。いつもと変わらない様子だが、ポケットに突っ込まれた手がその証拠だった。
 原因は自分のサンダルにあるとすぐに分かった。ただ、何を考えているのかまでは分からない。同時にあまり深く考えてほしくないとも思う。

「遊真、これ気になる?」

 せっかくの帰り道を悶々とするのも嫌なので、あくまで軽くたずねた。立ち止まり、長いドレスを少したくし上げ、踵を軽く浮かせて見せる。

「はじめて見た?」

 名前が言うと、遊真は首を横に振った。

 もしかして、とは思ったが、そうじゃないらしい。
 遊真との会話には、たびたび驚かされることがあった。モノを知らない。簡単に言うとそうだ。決して非常識なわけではないが、一般的に伝わるはずのものが伝わらない。
 例えばドレスを着た名前。普通なら一目で職業の予想ができるが、遊真は名前のことを「お姫様」だと思っていた。そのときのやり取りは割愛するが、さすがに唖然としたのを覚えている。

「見たことあるよ」
「あ、そうなんだ」

 そっか、これは知ってるんだ。それじゃあ、遊真は何を気にしているんだろ。
 踵を下ろしてドレスから手を離すと、遊真はサラッと言った。

「その靴を履いている意味を考えてた」
「考えちゃうんだ」
「気になるだろ」
「気にしないでほしかったかも」
「なんで?」
 赤い瞳が真正面からナナミを捉えた。顔を背けたくても身体が動かない。遊真の目には不思議な力がある。
「知られたくないことか?」
「そういうわけじゃないんだけど」

 思い出すのは先日のことだ。

 ――なぜ裸足で歩いているのか、の質問に対して、名前自身も上手く説明できない行為の意味をどうにか言葉にしたところ、遊真は納得したように頷いた。

「え、今の説明で分かったの?」
「なんとなく」
「ごめん、自分のことだけど私はよく分かってない」
「変なヤツだな。――つまり名前は、寂しいってことだろ」
「そうなの?」
「わからん。俺にはそう聞こえたけど」
 
 寂しい。
 寂しいのか寂しくないのかといえば、寂しいに決まっている。家に帰っても一人だし。仕事を抜きにして、純粋に私を求めてくれる人はいない。

 それなのに、無性に人の肌に触れたい夜がある。眠りにつくまで誰かの温もりを感じていたいと、子供のように思うのだ。

 前に店のお客さんが、ハグをするとドーパミン、オキシトシン、βエンドルフィンが分泌されて多幸感を得ることができる、とかそんな感じのことを話していた。私を抱きしめたい口実であるのは分かっていたけど、促されるまま軽くハグをすると、久しぶりの他人の体温にちょっとだけホッとした。でも気持ち悪さの方が勝って、すぐに身体を離した。

「寂しいのかぁ」

 口にすると歩きながら感じていた名前のない感情にピッタリだと思った。太陽や雨や様々なエネルギーを吸収したアスファルトは、足の裏からそれらを分け与えてくれていたものの、家が近づくにつれて大きくなっていく心のざわめきは紛れもなく寂しさ≠ナ。

 寂しさを自覚すると、名前は裸足で歩くのをやめた。目に見えて発信している自分が恥ずかしく思えたのと、何より、遊真と出会ってから心のざわめきは落ち着いていたからだ。

 それじゃあ、サンダルで歩く理由は? 
 理由は、大それたものじゃないけど。

 遊真の射貫くような視線に、とうとう名前は諦めの溜息を吐いた。

「身長がね、気になったの」
「身長?」
 遊真はこてんと首を傾げる。
「うん。遊真の方が低いから、私がヒール履くと、もっと身長差ができちゃうでしょ。嫌な思いさせてたら嫌だなって」
「なんで俺が嫌な気持ちになるんだ?」
「ええー……だって男の人って、そういうの気にするじゃん」

 名前が様々な高さのハイヒールを持っているのもそのせいだ。自宅はもちろん店にも何種類か置いてあって、できるだけお客さんの好みに合わせて身長を調節している。自分よりも高い方が良いという人には一番高いヒールを、自分よりも小さい方が良いという人には低めのヒールを。しかし、圧倒的に後者の方が多い。

「なるほど」
 遊真は頷いた。
「俺は別に気にしないけど、名前が気になるなら仕方ないな」
「ご、ごめんね」
「謝ることじゃない。それに、そっちの方が歩きやすそうだし」
「うん、ヒールよりは歩きやすいかな」
「だろうな」

 サンダルの疑問が解けた遊真は、再び歩き出そうとして、やはり流れで手のひらを向けた。しかし今の名前には必要のないものだと気付き、ポケットへ戻そうとしたときだった。

「手、仕舞わないで、ほしいです」
「……必要か?」
 遊真は自分の手と名前を交互に見て言う。
「必要ですね」
「そうか――じゃあ、はい」
「ありがとう」

 自分の支えを必要としない名前の手を取る。この行為の意味を遊真は分からないが、いつもより特別な意味を持っている気がした。

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