母の日



 仕事の帰りに、その看板を見つけた。
 真っ白い中に赤い花が一輪だけという看板は、シンプルなだけにひときわアスランの目を引いた。疎いアスランでも見知っている花の名は──カーネーション。
(あぁ……母の日、か……)
 赤い花はしばらく、瞼に焼きついて離れなかった。


「あらアスランくん、久しぶりね。おかえりなさい」
 ふらりと孤児院を訪ねたアスランを、カリダはそう言って出迎えてくれた。にこにこと笑ってアスランを中に迎え入れる。
「入って。いまお茶を淹れるわね」
「あっ、いえ、お構いなく。……実はまだ仕事が立て込んでいまして……これから、すぐにも戻らなければいけないんです」
「あら、そうなの? キラにご用だったのかしら? だったら悪いんだけど、あの子いま、ラクスさんと散歩に出ていて……」
「いえ、今日はカリダさんに用があって」
 私に? と首を傾げるカリダに、アスランは後ろ手で背中に隠していたカーネーションを差し出した。
「これを、カリダさんにと思って」
「……まぁ! まぁまぁ!」
 カリダの瞳が輝き、頬が紅潮する。
「これを私に?」
 たかだか花一輪なのにものすごく弾んだ声を上げられて、アスランは少々面食らう。こんなに喜んでくれるとは思わなかった。
「……はい。今日は、母の日、ですから」
 アスランははにかむ。
「カリダさんは俺にとって、もうひとりの母上ですから」
 幼年時代、アスランには家がふたつあった。
 ひとつはザラ家。それなりに大きな邸宅ではあったけれど、当時月にいる唯一の家族は仕事で忙しかったから、あまり愛着のある場所ではなかった。比べていまでも思い出すと懐かしく楽しい気分になれるのは、ひそかにもうひとつの我が家だと思っていたヤマト家だ。
 母が遅くなるとわかっている日は、学校から直接キラの家へ行ったものだった。そうするとカリダは決まってアスランを笑顔で出迎え、キラにかけるように言ってくれたものだ。おかえりなさい、と。
 それが幼いアスランにとってどんなおやつよりご褒美より嬉しかったかを、きっとカリダは知らないだろう。そして現在も。
 カリダはいまも、アスランに「おかえり」をくれる。アスランがここに来ると、誰もが「いらっしゃい」と出迎える。キラやラクスでさえも。
 別に、それ自体が嫌なわけではないのだ。受け入れられている、それは嬉しい。だが、自分は所詮『客人』でしかないのだと、時折寂しくなる。けれどもカリダだけは言ってくれる。いつだってアスランを「おかえりなさい」と出迎えてくれる。今日のように。
 それがどんなに胸に迫るほどに嬉しいことか、カリダは知らない。知らなくても、いい。
「まぁ……本当に嬉しいわ。ありがとう、アスランくん」
 ふいにカリダが涙ぐんだので、アスランは慌てた。女性の涙にはとことん弱いのだ。
「カリダさん!?」
「あぁ、ごめんなさい。嬉しくって……アスランくんがこんないい子に育ってくれて、レノアも鼻が高いわね。きっと空の上で自慢していてよ」
 はっとアスランは喉を震わせた。
「そう……でしょうか」
 自分は、母の自慢の息子たりえているだろうか。たくさんの罪を犯した、俺は。
「そうに決まっているわ。だってレノアってばね、会うと必ずあなたの自慢をせずにはおれなかったのよ」
「え……?」
 初めて聞いた事実は、アスランの胸を打った。
 ──あぁ、と天を仰ぐ。
 実の母にも、カーネーションは用意している。カリダにあげたものとは違う、白のカーネーションを。
 けれど願わくば……母にも、カリダに贈ったのと同じ、赤いカーネーションを捧げたかった。
「あれ、アスラン?」
 ふと聞こえた声にアスランは我に返る。振り向くとキラがラクスを伴ってそこに立っていた。
 キラは己の母が持つカーネーションと幼なじみを見比べて、あーあ、と軽く息をつく。
「アスランに先越されちゃった」
 言いながらこちらに歩み寄ってきたキラはアスランの隣に並ぶと、彼もまたカリダに向かってカーネーションを差し出した。
「はい、母さん。いつもありがとう」
「まぁ……!」
 これ以上ないくらいにカリダは笑み崩れた。
「私は幸せ者ね。素晴らしい息子がふたりもいてくれて」
「息子……」
 じわり、と胸に暖かいものが広がって、アスランはまなじりが熱くなるのを自覚した。
 あらあら、と声がして、優しい手が頭を撫でてくれるのを感じながら、アスランはそっと瞼を伏せた。




2014.5.8


 
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -