ALIVE
天候や気候が操作されたコペルニクスやヘリオポリスで育ったキラにとって、地球の気候は驚かされることがある。
暑いときはどこまでも暑く、寒いときはどこまでも寒い。
そして、ここオーブは温暖な南の島国で、夏は暑い方だ。
キラは無茶な大気圏突入や砂漠に滞在した経験からかすぐに暑さにも慣れたのだが、お嬢様育ちのラクスはしばらくの間バテていた。体力的な男女の差もあるのだろうが、彼の自称姉は灼熱の日差しに負けずピンピン海岸を走り回っていた。彼女もお嬢様育ちのはずだが、そこはやはり育った気候的な環境の差なのだろう。ちなみに親友は正式な訓練を積んでいるからその辺りの心配はしていなかった。──もっとも、キラは最初の頃抜けがらのような生活を送っていたので、これらは最近過去を振り返れるようになって思ったことである。それも親身に寄り添ってくれたラクスの助力あったればこそだ。
苛烈な夏の代わりにというべきか、冬の寒さはそこまで厳しくない。もちろん冬だから寒いことは寒いが、二月であっても過ごしやすい快適な温暖さが保たれている日は多い。今日も今日とてあったかぽかぽかだ。
前振りが無駄に長くなってしまったが、うとうととうたた寝してしまいたくなるような日差しをたっぷり浴びてロッキングチェアに揺られていたキラは、明朗快活な声にまどろみを遮られた。
「キラ!」
見れば、国家元首として日々忙しいはずのカガリがなにやら大きな袋を抱えてこちらへ駆け寄ってくるところだった。
キラは椅子から立ち上がり、跳ねるように走るカガリを出迎えた。
「いらっしゃい、カガリ。どうしたの、その荷物」
「ちょっとな。まあ持て」
言ってカガリは荷物をキラに押しつける。
腕にずしりとかかる負荷に眉根を寄せれば、カガリは辺りを見回してこっそりキラに耳打ちした。
「ラクスと子どもたちは?」
カガリは真剣なまなざしだ。キラは首を傾げながら答える。
「きみはアスランの雇い主なんだから知ってるでしょ? 彼女は今日きみが休暇を与えたアスランと一緒だってこと。多分そろそろ海に行ってるんじゃないかな。フラワーショップで百合の花を買ってから行くって言ってたから。子どもたちは母さんといるよ。今日は島の反対側まで行ってるんだ」
それもきみは知ってるはずだよね、と言えば、カガリはうんまあとごまかすように笑った。それからいきなり腕まくりをする。
「よし、ならちょうどいいな。キラ、おまえも手伝え。大きなチョコレートケーキを作るぞ」
「ええ?」
いきなりなにを。
その発言に持たされた袋を覗けば、なるほどチョコレートや生クリームのパッケージが見える。
ケーキを作るのも手伝うのも構わないが、それならキラよりラクスやカリダとの方がいいんじゃないだろうか。子どもたちだってきちんと言い聞かせれば邪魔はしないのだし。
キラはカガリの料理の腕前を知らない。はっきり言って、不安だ。いやでも、レジスタンス時代には野戦食くらい作っていたかもしれないし。いやいや、果たしてあのキサカが大事な姫様の手を煩わせるのか。だけど素性は隠していたし。
さっさと家の中に入ったカガリを追いかけ、キラは率直に疑問をぶつけた。
「ね、ねえ。ケーキを作るのはいいけど、カガリって……料理できるの?」
「なんだ、失礼なやつだな。できるに決まってるだろう! アスランにロールキャベツを作ってやったこともあるんだぞ。大絶賛だった」
「へ、へえ」
どうも信憑性に欠ける話だ。
アスランのことだから、どんなにアレな味でも無理に笑って「おいしいよ」なんて言いそうだ。それは彼の美点でもあり欠点でもあると、キラは自分のことを棚に上げて思った。
あとで直接本人に確認しておこう。
キラはそう心に決める。
余談だが、確かにアスランはカガリが振る舞った料理を褒めたことがある。年頃の乙女らしく健気な気持ちとともにできあがったそれは、形は悪かったが味は良かった。だが、カガリはその後惨状と化していたキッチンの後片付けをアスランに押し付けたというちょっといただけないおまけつきである。
カガリはキラに自分の腕が疑われているらしいことを察し、びしっと指を突きつけて堂々と宣言した。
「よし、見ていろ! おまえにも必ずうまいと言わせてやるからな!」
バッとキラから荷物を奪ってカガリはキッチンに向かう。
そのときカガリが小さく呟いた言葉を、キラの良すぎる耳が拾った。
「……あいつらだって、悼んだあとに楽しい気持ちで一日を終えたって、罰は当たらないさ」
カガリの呟きにキラはすべて悟った。
カガリが忙しいはずなのに押しかけたのも、ラクスたちの所在を確かめたのもケーキを作るなんて言い出したのも、今日が今日だから。
今日は二月十四日──バレンタインデーだ。
華やかなイベント事として浮かれる人々も多いこの日は、数年前からはコーディネーターにとっては深く重い意味を持っている。
──血のバレンタイン。
誰かが大切な人を失った日。アスランの母レノアも亡くなった。
キラはプラントと関わりなく育ったけれど、それでもあの凍れる大地をこの目で見たことがある。背筋が凍る光景だった。
レノアが眠るその大地も墓も宇宙にあって、アスランはいまそこには行けない。
だから、せめて捧げようとしたのだ。
この人類の母なる地球に、母なる海に、母へ──すべての同胞たちへ、祈りだけでも。
皆が愛した歌姫の鎮魂歌とともに。
アスランが休暇を願ったのもカガリが許可を出したのも、休暇を取ってまでアスランがラクスと一緒に海へ行ったのも、これが理由だ。
レノアのことを知らないわけじゃないから、キラも一緒に行こうかと思ったが、ラクスが彼女を迎えに来たアスランと並んだ姿を見てやめた。並び立つふたりにはキラとアスランと、キラとラクスとは違うアスランとラクスの絆があって、その間に入るのは無粋な気がしたのだ。だからキラはなにも言わずに、ロッキングチェアに揺られてふたりの帰りを待っていた。
そして、カガリの理由は。
あのふたりはきっと、愛する人を悼み胸を痛めても、キラたちにはいつものように笑おうとするのだ。「大丈夫」だと。
カガリもそれに気づいていたからここへ来たのだ。ふたりを心から笑わせるために。
死者を悼む日に、笑っては、楽しんではいけないなんて決まりはないはずだ。そんなのは悲しい。たとえ不謹慎かもしれなくても。
だって──彼らは生きているのだから。
大切な人に私は元気だよと教えてあげよう。だから、祈りを捧げた夜を、その日を笑顔で締めくくっても罰は当たらないとキラも思う。
キラは目元を和らげる。
床を蹴り、キッチンに飛び込む。
「カガリ!」
「う、うわっ! びっくりさせるな!」
突然飛び込んできたキラにエプロンを着けたカガリが目を白黒させる。
キラはにっこりと笑った。
「うーんと大きいの作って、ふたりをびっくりさせようね!」
その日の夜、アスランとラクスを出迎えたのは、キラとカガリと子どもたちみんなの明るい笑い声、そしていびつだけれど愛情がたくさん込められたとびきり大きなチョコレートケーキだった。
2012.2.14