アスランは、思うのだ。
「平和のためにと、その軍服をまとった誇りがまだその身にあるのなら──道を空けなさい!」
 ふわふわしたピンクの髪を高く結い上げ、指揮官たる座にその身を預けた彼女は、はっとするほどに誇り高く美しく、毅然と前を見据えて声を上げる。
「戦闘をやめ、道を空けなさい! このようなものを、もうどこに向けてであれ、人は撃ってはならないのです! 下がりなさい!」
 その凛と澄んだ彼女の声を通信機越しに聞きながら、目の前にある中継ステーションに意識を向けながら、それでもアスランは思ってしまうのだ。
 いつ、どこで、どうしていたら。たとえこれが、エゴ以外のなにものでもなかったとしても。

 アスランを惹きつけてやまぬ美しい人を、あの穏やかな庭に棲まわせてあげられたのだろうと──。


穏やかな庭


「まぁ、お花が綺麗ですわね、アスラン」
 オーブの慰霊碑がある公園は、先のザフトによる侵攻で見る影もないものになってしまった。けれども奇跡的に破壊を免れた一角では、平和だった頃と変わらぬ姿をアスランに見せていた。
 そんな生命の強さを見せる花の前にしゃがみこみ、ラクスは屈託なく笑った。それはこのちぐはぐな公園において異質に見える。
「……君がオーブに来ていたとは思わなかったよ」
 メサイア攻防戦の直後、プラント最高評議会は「あなたの力が必要なのです、ラクス・クライン」と告げた。それを受けたラクスはそのままプラントに帰還し、一息吐く間もなく正式な停戦、終戦に向けて忙しくしていた。
 脱走兵という肩書きがついてしまうアスランには彼女を手助けすることもできず、アークエンジェルとともにオーブに戻るしかなかった。その後、プラント政府は寛大にもアスランの脱走を不問に処すと通告してきた。
 勝てば官軍、ではないが、似たようなものだ。議会はラクスを必要とした。そのラクスを助ける側にいたアスランを罰するのは簡単なようで難しい。『ザラ』の名は捨て置けるものでもないが、デュランダルの残した混乱と血のバレンタインを遥かに上回る悲劇の前には些末なことだ。先の大戦後と同じくうやむやにしてしまうのが、一番都合がよかった。
 助かったと言えば、助かった。けれどこれでプラントには帰れなくなったな、とアスランは思った。ならばもうラクスとの未来を夢見るのは難しいかもしれない、とも。
 とりあえずできることをとオーブの復興に力を尽くすうちにオーブとプラントは正式に停戦条約を結び、ルナマリアからシンとオーブへ行くと連絡を受けてあの慰霊碑の前で待ち合わせた。そこへ音沙汰もなかったラクスが現れたものだから、アスランをひどく驚かせた。
「……正式に議長になることが決まりましたので、その前に、と思いまして」
「……そうか」
 それが彼女の償いなのだ。自分にかかる責任から逃れることなく、目指すべき明日へと向かう。
 ……それなら、俺は。アスランはどうなのだろう。
 償いもさせてもらえないというのは、つらい。もしかすると、それがアスランに与えられた罰なのかもしれない。
「……君はもう、歌は歌わないのか?」
 その問いかけは無意識にこぼれていた。
「…………そうですね。もう、わたくしが歌うことはないかもしれません」
「なぜ、と聞いても?」
「わたくしは歌うことより、戦うことを選んでしまいましたから」
 やっぱり、とアスランは思った。そんな気はしていたのだ。……アークエンジェルで再会してから、アスランはラクスの歌を聴いていなかったので。
 だからこそ、アスランは考えてしまう。あのとき──どこで?──いつ──どのとき?──どうしていれば、彼女から歌を奪わずに済んだのだろう、と。
 ここに至るまでの要因はいくつもあった。けれど一番最初は、間違いなくアスランの父からなのだ。
「……悲しそうなお顔ですわ」
 アスランははっとした。彼女はいつの間にかアスランの目の前に立っていた。
 ラクスが両手でアスランの顔を包み込む。
「……これは、俺の、エゴだ」
「はい」
「君にはやっぱり、穏やかな庭が似合うよ。日だまりの花園で、紅茶を飲んで、思うように歌を歌って……」
「……はい」
「もしもを考えてしまうんだ。もし俺があのとき、君の設問に応えられていたら──君から歌を奪うことはなかったんじゃないか、って」
 意味のないことだとわかっているのに、折に触れ、アスランは考えずにいられない。
「いいえ、アスラン」
 ふわりとほのかな香りが薫って、ラクスはアスランに抱きついていた。背中に腕を回して力を込める。
「わたくしは、自分で選んだのです。……望めば、あのまま穏やかな庭であなたを待ち、歌うこともできたのですから。けれどそうしなかったのは、わたくしです」
「ラクス……」
「……わたくしも、ひとつ、エゴを言いますわ」
 アスランもそっと、ラクスの背に手を回す。
「わたくしは、歌うことにあまり未練はないのです。好きなように、たくさん歌わせていただきましたから。……けれどもアスラン、あなたの前でだけは歌いたいと、思うのですわ」
「え……?」
「いつだったか、あなたはおっしゃいましたわね。わたくしの歌で癒されると……だからここに帰ってこようと強く思うのだと……」
 言った。確かに。
 ラクスが『静かな夜に』を発表したあと、アスランはそう言った。アスランの偽りない本音で、最大の賛辞だった。
 ですからと、ラクスはかそけく呟いた。
「わたくしのそばに……いてくださいませんか?」
 顔を上げて、澄んだアクアブルーの瞳がアスランを映す。
「そう簡単なことではないとわかっています。きっとあなたへの風当たりは強いでしょう。わたくしは議長になりますが、議長になるからこそ、公私混同はできません。あなたをかばうことも、おそらくはできないでしょう」
 アスランはかすかな驚きとともにラクスを見下ろした。彼女の言葉の正しさにではなく、そこに秘められた哀切に。彼女がこんなにも感情を露に何かを頼んでくることなど初めてだ。
「ですがそれを承知の上でお願いします。……プラントに、帰ってきてはくださいませんか? わたくしの、ために」
 ぎゅ、とアスランの服を握る指に力が込められる。
「あなたがいてくれるだけで、そこはわたくしにとっての穏やかな庭になるのです」
 アスランは静かに目を見開いた。……俺が、ラクスの穏やかな庭? 本当に?
「だからどうか、そばにいて……」
 切なく響いた声に、アスランはラクスの身体を強く掻き抱いた。まるでそれが答えであるかのように。
「アスラン……!」
 アスランの名を呼ぶラクスの声が喜色を帯びる。
 いまはまだ、何がアスランの償いかはわからない。けれど償いの道は探せる。これから一生をかけて。オーブでではなくとも……ラクスの、そばでも。
 だからいまは考えまい。腕の中の愛しい人を決して離さぬように、アスランは痛いくらいに腕に力を込めた。ラクスも、また。
 風が吹く。潮の香りをはらんだ風は抱きしめ合う恋人たちを包んだ。




2014.4.21


 
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