Kiss of blessing



「アスラン、少しお時間ありまして? お話したいことがあるのですけれど」
「えっ……」
 穏やかな微笑みのラクスに尋ねられ、アスランは少し戸惑った。
 今日はキラに誘われて、カガリと一緒にマルキオ邸、もとい孤児院で夕食をご馳走になったので、これから後片付けを手伝おうとしていたのだ。それに、このあと子どもたちと遊んでやる約束をしてしまった。
 律儀な性格ゆえに迷うアスランの背中を押したのはキラだった。
「行ってきたら? 後片付けはカガリとだけでもできるから」
「わ、私がか?」
「なにカガリ、オーブの代表が食い逃げする気?」
「食っ……そんなこと誰がするかバカ! ふん、やってやろうじゃないか! いいぞアスラン、どこへでも行ってこい!」
 まんまとキラに乗せられたカガリが腕まくりをし、ビシッとアスランに指を突き付ける。
「カガリ……!」
 アスランは顔をしかめた。
 戦争が終結し、条約が締結されたとはいえ、オーブ連邦首長国のトップを継いだばかりのカガリは目も回る忙しさになおも追われつづけていて、今日はそんな中ようやくもぎ取った一日だけの休みだった。
 カガリの首長就任とともにアスランも彼女の護衛の任に就いたが、いくらカガリが保証してくれても所詮周りのオーブの人間からすればアスランは得体の知れない人間にしか過ぎず、カガリの忙しさほど忙しくさせてもらえていなかった。だから、今日はカガリに骨休めしてもらおうとここに連れてきたのに。
「いいから、行け!」
 ぐいぐいとカガリに背中を押されてアスランの身体は玄関へ近づいていく。
 その後ろでは、
「えー!? アスランはおれたちと遊ぶのにー!」
「まあまあ。代わりにぼくが遊んであげるから」
「やだよ。だってキラ、よすてびとみたいでつまんないんだもん」
「ひどいなぁ」
 と、キラが子どもたちと会話していた。
 カガリが外までアスランを押しやったところでラクスを振り返る。
「ラクス、というわけだから、ゆっくりしてきていいからな」
「ありがとうございますわ、キラ、カガリさん」
 ラクスはにっこりと二人にお礼を言って、「ピンクちゃん、お散歩に行きますわよー!」とハロを呼んでいる。
 やかましいピンク色の物体がラクスのもとへ飛んでくる間にカガリがアスランの耳元へ唇を寄せ、素早く囁いた。
「おまえ、こういうときくらい他人の子どもよりラクスを優先しないと愛想尽かされるぞ」
「うっ……」
 その言葉は容赦なく、ザックリとアスランの胸に突き刺さった。
「お待たせしましたわ」
『ハロハロ、ア〜スラン!』
 ハロを従えてラクスが出てくる。
「おー、行ってこい」
「はい、行ってまいりますわ」
 じゃ、お邪魔虫は退散するから。
 そう笑い、カガリはさっさと孤児院の中へ戻ってしまった。
 取り残されたアスランは、ラクスとピョンピョンと二人の周りを跳びはねるハロを見比べ、海辺を指差した。
「……歩きながら話しましょうか」
「はい」
 静かに音を立てて波が打ち寄せては砂をさらい、海へ還っていく。
 そんな砂に大小二つの足跡と丸い跡を一つ残し、アスランとラクスは歩いた。
「星が綺麗ですわね」
「え? ええ、そうですね」
 夜空を見上げるラクスの横顔に見とれていたアスランは、言われて自分も天上を仰いだ。
 幾千幾万という星々が輝いている。
 数ヶ月前まで自分はあそこで暮らし、戦っていたのだ。
 あの輝く場所で、数多の命を散らし……
 グッと顔を歪めたアスランの腕に、ラクスが手を添える。
 気がつくと、空──宙を見上げていたはずのラクスが自分を心配そうに見つめていた。
「ラク──」
 自分を見つめてくる透き通った水色の瞳に、なにか言わなければ、と口を開きかけたアスランをラクスが遮る。
「わたくし、まだ言っておりませんでしたの」
「は……?」
 目を丸くするアスランに、ラクスは言っておりませんでしたの、と繰り返す。
「なにを、ですか?」
「おめでとうをですわ、アスラン」
「え?」
 言葉の意味が飲み込めないアスランにラクスは言う。
「ですからわたくし、あなたにお誕生日おめでとうって言ってなかったんですわ」
 予想外のことにアスランは言葉を失った。
 誕、生日──?
「いくら戦後の忙しさに取り紛れていたとはいえ、わたくしあなたにおめでとうを伝えていないんですの。だけどあなたは同じ戦後でしたのに、ちゃんとわたくしのお誕生日におめでとうって言ってくださいましたわ。キラもカガリさんも」
「いえ、あれは──」
 実はそれはアスランの案ではなかった。
 戦後の混乱を利用しての亡命のどさくさに紛れてアスランの誕生日はすっかり流れてしまったものの、少々落ち着いたラクスの誕生日を間近に控えた頃、キラとの雑談で彼女の誕生日が近いのだと話したのだ。確かに自分もなにかしら祝いたいとは思っていたが、目の色を変えたキラに「それはラクスにおめでとうって言わなきゃ! もう、アスランももっと早く教えてくれたらよかったのに! いまのぼくたち無一文も同然なんだから! カガリにも教えなきゃ。あ、もちろんラクスに一番最初に『おめでとう』って伝えるのはアスランだからね!」と力いっぱい力説されて、日付が変わると同時にいの一番にラクスに伝えに行ったのだが。
 先程のカガリの声がよみがえる。

 ──……愛想尽かされるぞ

 ……これは言わない方がいいよな。
「アスラン?」
 回想の世界に飛び立っていたアスランの思考をラクスの声が引き戻す。
「あっ、いえ、なんでもありません」
「そうですの?」
「ええ、つづけてください」
 不思議そうにラクスは首を傾げたが、そのまま話を進める。
「そのことをわたくし、お恥ずかしいのですけれど、一月前に思い出しまして。それで次にお会いしたときこそあなたに『おめでとう』って伝えようと思いましたのに、アスランったらなかなか会いに来てくださらないのですもの」
 ぷうっと頬を膨らませるラクスにアスランは慌てた。
「それはその……すみません」
「いいえ、わたくしこそすみません。本当はわかっているのですわ。わたくしたちはカガリさんお一人にすべて押しつけてしまっているのですもの。そのカガリさんをお守りするのがアスランの役目なのですから、お忙しいのも無理のないことだと、ちゃんとわかっております」
 ですけれど、と、ラクスは視線をアスランから水平線へ移した。
「それでも……少しだけ妬いてしまったのですわ。アスランはカガリさんといつも一緒におられて……カガリさんは素敵な女性ですもの」
「ラクス……」
 唐突に、こうしてラクスと二人きりで会うのはずいぶん久しぶりなのだと気づいた。
 長く会えないことに慣れてしまっていて、疑問に思わなかった。それがどんなことか、まったく考えも──。
 なぜだかいつもかしましいハロが静かなことにいま気づく。一人でに身体が動いていた。
 アスランはラクスの細い腕を引いて、華奢な体躯を強く抱きしめる。
「アスラン……?」
 ラクスの声が染み渡る。
 どうしてこの声を聞かずにいられたのだろう。
「ねえラクス、おれはおめでとうはいりません」
「アスラン?」
 ゆっくりと身体を離す。
 自分が微笑んでいるのがわかる。翡翠の瞳にラクスを映す。
「その代わりに、キスをください」
 ラクスの瞳が見開かれる。
「それがおれにとっては、なによりの祝福です」
 のちに我ながらなんて恥ずかしいことを言ってしまったのかと大赤面することになるのだが、このときのアスランは真剣だった。
 なぜならば、見開かれていたラクスの瞳がやわらかく細められて。
「まあ、それだけでよろしいんですの?」
「はい、それだけで充分です」
「わかりましたわ」
 彼の言葉に納得したらしい口元が笑みを描いて、その澄んだ声がアスランを呼び。
「──アスラン」
 ラクスから贈られたキスが、数ヶ月遅れのおめでとうを告げたから、アスランはそれだけに満たされていた。
『ミトメタクナーイッ!』
 ──絶妙なタイミングで再び騒ぎ出した、自分が恋人に贈った騒々しいペットロボットに邪魔されるまでのつかの間を。



2011.10.29


 
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