波紋
「俺、お前が好きなんだ」
イザークがその言葉を聞いたのは、アカデミーの寮から少し離れた、木陰でのことだった。
部屋にいるとディアッカやラスティがうるさいので、静かに読書できる場所を探している途中だった。あそこでいいかと目星をつけた木陰に回り込んだところに、先の台詞が聞こえた。
イザークがいる木陰から数メートル先の木陰に、緑の制服が見える。男だ。相手の女はちょうどその影に隠れていて見えない。
イザークは別に野暮ではない。このご時世、軍の道を選んだからにはいかにアカデミー生とていつどうなるかわからない。ならば告白くらい自由にやればいいと静かに退散しようと思っていたイザークの足を止めたのは、相手の女の声だった。
「その……ごめんなさい」
聞き知った声だった。
「気持ちは、とても嬉しいんだけど」
──アスラン!?
「でも、あなたの好意には応えられない」
告白されていたのは、イザークが唯一ライバルと認める、アスラン・ザラだった。
男の身体がわずかに揺れ、ちらりと覗いたアスランの顔に、イザークは咄嗟に木の幹に身を寄せていた。無意識のうちに耳を澄ませている自分に気づいて、内心で舌打ちする。
俺は何をやっている。さっさとここを去れ! でないと相手にもアスランにも失礼だろうが!
自分にそう言い聞かせている間にも、ふたりの会話は続いていた。
「……そう、か。…………俺じゃ、ダメなんだな」
「……はい」
顔を見なくとも、男が消沈しているのはわかった。重ねて続ける。
「どうしても? 俺のこと、好きにはなれない?」
「……ええ」
そっか、と小さく呟いて、男は黙り込んだ。
さすがにこれはマズい。ディアッカではあるまいし、イザークに出刃亀の趣味はない。今度こそ退散しようとしたイザークの足を再び止めたのは、やっぱりアスランで。
「好きなひとが、いるんだ」
聞いたことのない、声音だった。やわらかくて、甘くて、たっぷりのいとおしみが含まれていて。
誰だろうか。アスラン・ザラにこんな声を出させる男は。
まあ俺じゃないな。それはない。断言できる。そうひとりで頷いているときだった。
「……それって、イザーク・ジュール?」
「はあ!?」
それまでとは打って変わって、露骨に嫌そうな声だった。慌てて押さえたイザークの口からは出なかったが、必要がなければ同じ反応をしていただろう。
「……違うの?」
男は、心底不思議そうにしていた。
「全っ然! 普段の私たちを見てて、どうしてそう思うんだ!?」
「や、だって、戦闘データとか見ても、普段いがみ合ってても信頼し合ってるのはわかるし、いつも一緒だし、喧嘩するほど仲がいいっても言うし、アイツ、顔はとびきりいいし、そうなのかなって……そっか、違うんだ」
「違う。ありえない」
即答だった。
そのまま二言三言会話して、アスランも男も、その場をあとにした。
イザークはなんとなく、その場から動けなかった。ずるずると木の幹越しにしゃがみこんで、プラントの空を見上げる。
──ありえない。イザークもそう思う。アスランはライバルだ。イザークが認める唯一の。男と女というだけで、いつもつるんでいるからといって、そんな俗っぽい、安っぽい関係に当てはめないでもらいたい。俺とアイツの関係はもっとプラトニックなものだ。
それなのに。
──ありえない。その言葉がやけに胸を穿ったのはなぜだろう。あまりにもきっぱりしすぎていたからだろうか。
好きな奴がいると言っていた。あのアスランに、と思うと、おかしくないことのはずなのにおかしく思う。アスランからは色事の匂いがしない。
どんな奴だろう。イザークのライバルを惚れさせるほどの男とは。たいした奴じゃなかったら許さない。
考えて、イザークははたと我に返った。
許さないって、なんだ。俺には関係ないことだろうが。
もやりと胸の内に何かが垂れ込めるが、イザークはそれを打ち払うように頭を振った。
いや、この俺のライバルがたいしたことのない男に引っかかるのが許さない、それだけだ。……それだけの、ことなのだ。
読書はもう、できそうもなかった。
2014.9.12