前奏曲」と同設定


序曲



 民間船シルバー・ウィンドウの任務は、ユニウスセブン追悼慰霊式典のための事前調査団を送迎すること──だけのはずだった。
 それなのに地球軍と鉢合わせ、臨検要請をされている。艦橋の人間に嫌な汗が流れる。非武装の艦に対して何を精査するというのだろうか。地球軍がユニウスセブンで!
 シルバー・ウィンドウの艦長ウイングはそっと近くにいたクルーに指示を出した。
「貴賓室へ急げ。ご令嬢方をお見せするわけにはいかん。念のために脱出の用意をさせるんだ。もしものときは──わかっているな?」
「アイ・サー」
 年若いが信頼の置けるクルーは頷き、万金にも勝る宝がおわす部屋へと急いだ。その背を見送って、ウイングは改めてメインモニターに向き直った。
「いいでしょう──」


「ラクスさま、アスランさま、いらっしゃいますか?」
『──はい』
 聞こえてきたのは女性にしては低い、よく通る声だった。これはアスラン・ザラの方だ、と彼は息をつく。話が早い相手だ。
「エマージェンシーです。念のため、脱出のご用意を」
『了解した』
 さすがは音に聞こえたクルーゼ隊だ。即座に声には緊張をはらみ、数分もしないうちにラクス・クラインを伴って部屋から出てきた。
 ラクスの手にはピンクのハロがいるが、今日は彼女の手の上でおとなしい。アスランがそう設定したのである。事情を知らない歌姫の顔は不安げだが、怯えてはいない。
 クルーがふたりの令嬢を先導して通路を行くと、地球軍の一団と鉢合わせしそうになって慌てて身を隠す。物陰に身を潜め、何やらいやらしくにやけた顔の地球軍士官を睨むように見つめていたアスランは、一団をやり過ごすとここまで先導してくれたクルーに事情を問い質した。
「あれは?」
「ご覧の通りです。なんでも我が艦を臨検されたいとか。ですからおふたりには念のため脱出ポットに、と」
「なるほど、軍服じゃなくて正解だったな」
 ザフトの軍服を着た人間と地球軍の軍服を着た人間が船内で鉢合わせ、なんて笑い話にもなりはしない。
 アスランはラクスの腕を引いて脱出ポットの設置場所を目指す。着いた先で、アスランはラクスを振り返った。
「ラクスはしばらくこの中で待っていてください。ここなら安全ですから」
「まあ、アスランはどうなさいますの?」
「私は軍人ですから。ここにいるのは非戦闘員ばかりです。彼らを置いて隠れることはできません」
 ラクスの瞳が心配そうに曇って、アスランは安心させるように微笑んだ。
「それにあれくらいの人数でしたら、私ならばなんとでもなりますから。大体この艦は非武装船です。向こうだってそれは知っているでしょうし、簡単にどうにかなるなんてことは──」
 言いかけていた、ときだった。

 銃声が、響いた。

 混乱はすぐに音となって伝わってきた。鈍い音とともに船体が揺れ、よろけたラクスを支える。ただ事ではない空気にアスランが神経を高ぶらせたときだった。
 いきなり背中を押され、ラクスごとポットに押し込まれた。振り返ったときにはもうハッチは固く閉ざされており、なんの準備もないいまの状態では開けることはできなくなっていた。
「おい! 開けろ! 私ならあの程度どうにでもできる! さっさとここを開けるんだ!」
 名前も知らないクルーに呼びかけるが、クルーは首を左右にゆっくりと振っただけだった。
 声は直接届かない。けれど何を言っているのかはアスランにはわかる。アカデミーで読唇術を習得したのだから。
 ガゴン、と脱出ポットが揺れた。その振動の意味するところに気づいたが、もう、どうにもできなかった。
「ラクス、身体を固定させて。射出されます」
「はいっ」
 脱出ポットはくるくると回転しながら母艦から切り離された。やがて自動制御装置が作動し、ポットを安定させる。
「ラクス、お怪我は?」
「大丈夫ですわ。それよりアスランの方もなんともありません?」
「ええ、私は大丈夫です」
「そうですか。では、教えてくださいませんでしょうか? わたくしたちの身に何が起こったのか」
「──ラクスも、地球軍の一団が船内にいたのは見ましたね? あれはおそらくデブリベルト近辺にいた地球軍とシルバー・ウィンドウが鉢合わせして、向こうが臨検を申し入れてきたのでしょう」
 アスランも情報を持っているわけではないが、これくらいの推察ならお手の物だ。
「こちらに断る理由はありませんし、軍艦が相手では断ることもできません。何事もなければ地球軍はそのまま引き上げていったんでしょうが──」
「何事か、あったのですね」
 ラクスはこちらがびっくりするほど毅然とアスランの言葉を聞いていた。
「──おそらく」
 重々しく、アスランは頷く。
 アスランたちを宇宙へ送り出したクルーの言葉──それは「あなたたちに星の加護を」だった。
 アスランにも状況はまるでわからない。けれど祈りの言葉を口にせずにはおれぬほどに、あのとき逼迫した何かが迫ってきていたのだ。
 おそらくはデブリベルトの只中を漂っているのだろうポットの中でしばらく、アスランとラクスは身を寄せあっていた。もともとはひとり用の脱出ポットなのだ。あまり広くはないし、こういう心細い状況下では互いのぬくもりが安らぎを与えてくれる。
「きっと大丈夫ですよ、ラクス。あなたのいる追悼慰霊団が消息を絶ったとなれば、一両日中に捜索隊が派遣されます」
 励ますように抱いた肩を擦る。
「わたくし、アスランとピンクちゃんがいてくださいますからあまり怖くはないのですが……皆さんは、ご無事でしょうか」
 沈痛な面持ちのラクスにかける言葉をアスランは持たなかった。
 軍人であるアスランにはわかる。いや、おそらくラクスもわかっているのだろう。シルバー・ウィンドウに残してきた者たちの安否が。
 何が起こったのかを知りうる術はない。けれど察しはつく。シルバー・ウィンドウの目的そのものがかんに触ったのだとしたら?
 守るために力を手にした自分が、守るべき人たちに守られてしまうなんて。
 無力さに、アスランは唇を噛みしめた。
「……ごめんなさい、アスラン。わたくしのせいでこんなことに巻き込んでしまって」
「え?」
 まるで怒られるのを恐れる子どものような仕草でラクスは続けた。
「アスランがお母さまにお花を供えられるよう、わたくしが父にお願いしてアスランを呼び戻していただいたんです」
「え!? だけどそれは父上が……え、えええっ?」
「はい。ですからわたくしからお父さまに。お父さまからパトリックさまに。パトリックさまからアスランに、という伝言ゲームだったのですわ」
「はあ……」
 とんだ裏話だ。
「わたくしと一緒に、皆様を悼んでほしくてそんなわがままを申してしまいましたの。ですからこんなことにも巻き込んでしまって……本当に、ごめんなさい」
「いや……気持ちは嬉しいから、いいよ」
 アスランがプラントに呼び戻されたのは、パトリックの考えだと思っていた。しかし実際はラクスの思いやりから端を発していたのだ。公私混同は褒められたことではないが、その気持ちは嬉しかった。
「それに……ラクスのおかげで、いいこともあったんだ」
 狭いポット内なのにさらに身体をちぢこめて、アスランは首から下げていたものをを引っ張り出した。
「それ、なんですの?」
 しゃらりと鎖が音を立ててラクスの前に二枚組のそれを垂らした。
「ドッグタグ──認識票だよ。……これ、イザークのなんだ。アイツ、俺は絶対死なないから必要ない、俺の分まで母上に挨拶してこい、って言ってくれてさ」
「幸せですのね、アスラン」
「……そうかもしれない。初めて、アイツと近づいた、って気がしたから」
 星空の大海をさまよう彼女たちは、内緒話をする
ようにひめやかに笑い合った。
 それからどれくらいの時が過ぎた頃か。ガコン、という振動がポットに伝わった。
「アスラン……」
「大丈夫です、おそらく捜索隊が私たちを発見したのでしょう」
 安心させようとラクスには微笑みながらも、アスランは緊張を張りつめる。
 本当に捜索隊ならいいが、ここはデブリベルト。地球軍の可能性がないとも言い切れない。もしも地球軍だったら打開策を考えなくてはならない。ちらとラクスに視線を走らせる。
 最高評議会議長令嬢と国防委員会委員長令嬢、これほど地球軍にとって有益な人質はないだろう。
 アスランが考えを巡らせている間に、ポットは無事収容されたようだった。果たしてこの選択は吉と出るのか凶と出るのか。
「いいですか、ラクス。まずは私が状況を確認しますから、それまでラクスは──」
 ラクスの安全を第一にと言い含めようとしたアスランを遮るように外から解除音が響き、ハッチが開いた。真っ先にアスランが友情の証にラクスへ贈ったハロが飛び出し、続いてアスランが止める間もなくラクスが軽やかに無重力空間に身を踊らせた。
「ご苦労様です」
 外から聞こえる友人の涼やかないたわりの声に唖然としていたアスランも慌ててポットを飛び出すと、視界に入ったのは見慣れた軍服ではなく──見慣れぬ軍服だった。
 ──地球軍! よりにもよって!
 軍服の腕章に敵軍のシンボルを認め、アスランは自分が守るべき少女を捜す。
 着ていたのがザフトの軍服ではなくて本当によかった。父親に言われて嫌々着たドレスだったが、最高の鎧だ。ここは偽名でも名乗って、使えるものはすべて使ってラクスだけはなんとしても守らなくては──!
 ゆるやかに広がるピンクの髪、慣れない無重力に慣性で流されそうになったラクスを引き止めた若い地球軍兵士に、彼女が礼を言うのが聞こえる。そして。
「あら? あらあらあら? まあ、これはザフトの艦ではありませんのね」
 場にそぐわぬ可憐な声を上げるラクスを、こちらに取り戻そうと近寄りかけたアスランは気づいた。
 ラクスを引き止めた若い地球軍兵士。茶色の髪、強い紫の瞳、どこかあどけなさを残した幼い顔立ち。
 いくつかの光景が脳裏をよぎる。
 桜並木。いまにも泣きそうに潤んだ瞳。その両の手が抱いたペットロボット。

 まさか。

 否定の言葉を浮かべるより先に、アスランの頭上を舞うものがあった。
『トリィ』
 旋回するそれをアスランはよく知っていた。当たり前だ。優美に舞う鳥を作ったのはほかでもないアスランなのだから。

「……なぜお前が! 地球軍の軍服を着ている! キラ──!」

 アスランの鋭い声に、ラクスに毒気を抜かれて下げられていた銃口が再び向けられる。だが、それを気にする余裕はいまのアスランにはなかった。ただ目の前の兵士を見据える。

「……アスラン?」

 懐かしい紫の瞳が大きく見開かれ、懐かしい声がアスランの名を呼んだ。




2014.5.6
 

 
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