ぎゅむっ



「……アスラン?」
 帰宅したイザークは玄関口で首を傾げた。
 同棲を始めて一年。勤務先は同じでも部署が違う二人は帰宅時間も異なる。定時に帰宅する率はイザークよりもアスランの方が高い。
 自分は本当に愛されているのだろうか?
 そうしばしば疑問に思ってしまうほど、アスランは普段、イザークにはつれない。それでもイザークより早く帰宅した日はイザークが声をかけると玄関先まで出迎えに来てくれるのだ。だが、声をかけてもアスランが出てこない。今日は定時に上がると聞いていたのだが。
 まだ帰っていないのかと思ったが、リビングからテレビから流れる音がするのでいるのだろう。またソファで寝たのかと呆れながらリビングに入ると、予想と反してアスランは起きていた。
 しかし、どうにも様子がおかしい。
 アスランはソファに座り、茫然とテレビを見つめている。微動だにしない。
「おい、アスラン?」
 怪訝に思ってアスランの肩を揺さぶると、彼はゆっくりとイザークを仰ぎ見た。途端にアスランの翡翠の瞳が潤む。
「アスラン!?」
 イザークはぎょっとした。
 アスランは優しげな風貌と裏腹に我慢強い。過去の心の傷もたくさんあるしハツカネズミに陥って悩むことも多いが、泣くことはあまりないのだ。
 どうした、と聞く前に、アスランが抱きついてきた。立っているイザークの腰周りに腕を回して、腹筋にぐりぐりと頭を押しつけてくる。
 これにもイザークは驚いた。こんなふうにアスランが甘えてくることも悲しいかなめずらしく、事情はわからないものの、ここは甘やかしてやろう。
 とりあえず、鍛えているとはいえいつまでも腹部をぐりぐりされるのはつらいので、イザークはアスランの腕をつかんだ。
「アスラン、一度離してくれ。俺も座る」
 言い聞かせるように言うと、アスランはおとなしく従った。イザークがソファに座るとアスランはするりと首に腕を回し、なおもぐりぐりと頭を押しつける。本当にめずらしい。
「何があった?」
 藍色の頭をぽんぽんと叩いてやりながら優しく聞くと、アスランは押し殺した声を出した。
「…………クラウスが……死んだんだ……」
 思わぬ台詞にイザークは息を呑む。
 誰が死んだ。同期か同僚か。それともザラ家の関係者か。アスランの周りにクラウスという人物はいなかったはずだが……
 そこまで考えて、イザークはハッとした。ちらりとついたままのテレビに視線を流す。
「……ああ、今日は木曜だったな」
 呟くと、アスランはこくりと頷いた。
 ドラマやバラエティの類などほとんど見ないアスランだが、現在放送中のドラマを楽しみにしている。イザークにはありきたりな探偵モノにしか見えないのだが、アスランは気に入って毎週木曜日、夜八時からのこのドラマを楽しみにしている。
 そのうち、アスランも別段ドラマの内容を気に入って見ているわけではないことに気がついた。主人公の探偵、彼の傍らに控える探偵助手が気に入っているのだ。その探偵助手の名前がクラウスだった。
 イザークはすがりついて離れないアスランを見下ろす。
 ドラマを見てはいないから前後はわからないが、作中でそのクラウスが死んだのだろう。アスランがクラウスを気に入った理由を知っていたイザークは、よしよしと頭を撫でた。
「アスラン、あれはドラマだ」
「……わかってる」
「クラウスが本当に死んだわけじゃないぞ」
「……わかってるよ」
 イザークは頭を撫でるのをやめて、両腕をアスランの背中に回した。ぎゅむっと力強く抱きしめる。
「……ニコルがまた、死んだわけでもない」
 びくっとアスランの身体が跳ねた。
 ──クラウスを演じる俳優はどこか、ニコルに似ていた。イザークたちより年下で、十五で時を止めた少年のような癖のある緑色の髪、橙色の瞳。彼より髪も瞳も色素は薄いが、ふんわりとした雰囲気がまたよく似ていた。
 アスランはどこかで彼をニコルと重ね合わせていたのだ。
 探偵モノとはいってもささやかな依頼を解決するだけのほのぼのしたドラマで、よもや主要キャラクターが死ぬとは思わなかったに違いない。イザークも思いもしなかった。その分、衝撃は大きかったのだろう。
「……わかってる。ちゃんと、わかってるんだ。けど、予想もしてないことだったから、びっくりして……」
「そうか」
 アスランはもはや押し倒す勢いで抱きついていたが、イザークは気にしなかった。そのままソファの肘掛けに頭を乗せて転がる。
 再びぽんぽんと頭を撫でてやりながら、イザークは口を開いた。この様子では食事などしていまい。
「貴様、今日の夕食は何が食べたい?」
「ロールキャベツ」
 鼻をすすりながらも、アスランは即答した。




2013.2.1


 
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