誕生日



 十五の誕生日は戦艦の中で迎えた。
 父からの飾り気のない簡潔なメッセージと、ラスティやニコル、ミゲルが率先して、ささやかながらに祝ってくれた。アデス艦長から「おめでとう」と言われたときは素直に嬉しく、クルーゼ隊長から言われたときは不思議と居心地が悪かった。イザークやディアッカだって、憎まれ口は叩きながらも祝福してくれた。母を亡くして初めての誕生日は、それでも胸に暖かな灯をともした。
 十六の誕生日はプラントで迎えた。
 ラスティもニコルもミゲルもアデス艦長もクルーゼ隊長も、父すらも、去年祝ってくれた人々を亡くし、政府によって拘留された自分を、自身も臨時評議会入りが決まって忙しいくせにイザークはわざわざ「おめでとう」と言いに来てくれた。同じように拘留されて動けないディアッカの分まで。
 そして十七の誕生日を、アスランはオーブで迎えた。
「ただいま戻りました」
「まあまあ、アスランさん、おかえりなさいませ」
 とっぷりと日が暮れてからアスハ邸に帰宅したアスランを、エントランスでマーナが出迎える。
 アスランは現在、アスハ邸に住まわせてもらっている。一軍人だったバルトフェルドやマリュー、軍人ですらないラクスや元はオーブの国民であるキラと違い、自分がいかに厄介な立場かをアスランは理解していた。故国ですら持て余した自分を受け入れてくれただけでなく、ボディガードという仕事を与えてくれたカガリには、いくら感謝してもしきれない。
 それで充分すぎるほどだったから、カガリからアスハ邸に住めと言われたときは驚いた。自分の存在はほかの閣僚たちに良く思われていないし、カガリの護衛を任されていることにもいい顔をしない者は少なくない。それなのに、自邸に住まわせるなんて。
 アスランは男で、カガリは女だ。妙齢の、何かあってもおかしくはない二人。アスランとカガリ自身がそんなことはありえないとわかっているが、周りはそう見ない。カガリはこの国の元首だ。おまけに婚約者までいると聞かされて、断ったが「お前は私の護衛だ。それにお前を一人にしたくないんだ」と顔を曇らせて言われてしまうと、ついでに「姫様にそんなお顔をさせるなんて!」というマーナの視線にと、アスランは逆らえなかった。結局カガリに甘えてしまっている。
「すみません、マーナさん。遅くなって」
「あらそんな、お気になさらなくて結構ですのよ。今日はアスランさんの、お誕生日でございますからね。マルキオさまのところはいかがでございました?」
 マーナはカガリの乳母というだけあって、包容力に満ちた笑顔をアスランに向ける。
 世話になり出した頃はアスランがコーディネイターであることやパトリック・ザラの息子であることは関係なしにただ「姫様に近づく男!」という理由でよそよそしい態度を取られていたが、カガリが勝手にカミングアウトをかましてからは、ころりと打って変わって甲斐甲斐しく世話をしてくれて、逆にこちらがいたたまれないほどだ。
 ちなみに何をカミングアウトされたかというと、アスランの恋人についてである。
「マーナ、心配してくれるのは嬉しいが、アスランほど安全な男はいないぞ? アスランが好きなのは男だからな! アスランと私がどうかなるなんてことは、たとえ天地がひっくり返ってもありえない!」
 と、実にあっけらかんとカガリは自分の乳母を説得したのである。
 恋人が男なのは事実だけど、何もそこまできっぱり否定してくれなくても。
 なんだか釈然としない気分を味わうアスランだった。
 以来よそよそしくはなくなった代わりに、マーナの視線を生温く感じるときがあるのは気のせいではあるまい。
「ええ、みんな良くしてくれました」
 そこへ、カガリがバタバタと廊下を走って現れた。
「帰ったか、アスラン!」
 そんなカガリを早速マーナが咎める。
「姫様! お邸の中はバタバタ走らないようにと、姫様がお小さいときから、このマーナが口を酸っぱくして申し上げておりますのに!」
「わかった! わかってるって! 今日はアスランの誕生日なんだから、お説教はまたにしてくれ!」
 両手を上げ、苦笑を浮かべてマーナをいなし、カガリはアスランに向き直った。
「おかえり、アスラン」
「……ただいま」
 アスランは笑った。
 アスランはカガリに「おかえり」と言ってもらえる瞬間が好きだった。家に帰ると「おかえり」とアスランを出迎えてくれる人など、母を失ってからはいなかったからだ。ザラ邸には執事を含め使用人がいたが、母を亡くしてすぐザフトに入隊し、父との距離感をつかめなかったアスランは邸に帰ることもあまりなかった。クルーゼ隊の仲間たちとも「おかえり」はあまり言い合わなかった。
 もしかしてカガリが自分を一人にしたくないと言ったのは、こういうことなのだろうかと思う。優しい少女だから。
「パーティーはどうだった?」
「ああ……楽しかったよ」
 マルキオの孤児院で、キラとラクスがアスランの誕生パーティーを開いてくれたのだ。
 カリダの手料理とお手製ケーキ、子どもたちのバースデーソングハーモニー。ラクスからはアスランのために作ったという歌を、キラからは工具セットをもらった。
 一斉に祝われるのは気恥ずかしかったけど、楽しかった。
「私も行きたかったんだが、悪いな」
「仕事なんだ、仕方ない。その気持ちだけで充分だよ」
 それに、今日一番に「おめでとう」と言ってくれたのはカガリだ。それでいい。
「実はな、アスラン。私からもお前にプレゼントがあるんだ」
「プレゼント?だが、カガリからはもう……」
 朝食の席で、パーティーには行けないからと彼女からのプレゼントはすでに渡されてある。アスランの瞳と同じ、綺麗な緑色のカフスボタンを。
「いいからいいから。ちょっとこっち来い。マーナ、荷物を頼む」
 心得たマーナがアスランから荷物を取り上げ、カガリは戸惑うアスランの腕をつかんで引きずっていく。
「カガリ?」
「絶対喜んでもらえると思うんだ」
 言いながら連れ込まれたのは普段は使われていない一室で、なのになぜか立派な通信端末が据え置かれている。
 カガリはモニター前の椅子にアスランを座らせて、コンソールを操作する。
「秘匿回線を確保できた。間に合ってよかったよ」
 カガリはアスランを誰かと通信させようとしているらしい。待っていると、パッと通信が繋がった。
「……ッ!?」
 モニターに映し出された顔にアスランは息を呑んだ。
「ほら、ご所望のアスランだ。感謝しろよ〜? この回線を確保するの、いくら私でも大変だったんだからな」
『……感謝しましょう、アスハ代表?』
「いまは公務中じゃないんだけどな〜。まあ、いいや。そんな怖い顔するなって。冗談だよ。私もアスランを喜ばせたかったし、恩返しだ。お前は私の命の恩人だからな!」
『礼ならばすでに言われましたが』
「気持ちの問題だって! これですっきりしたよ」
 カガリが明るく笑い飛ばす。
 アスランは彼女がモニター越しに話している相手を、信じられない思いで見つめた。
 ──どうして。
「イザーク……」
 アスランが名前を呼ぶと、相手──イザークは視線をカガリからアスランに移し、ニヤリと笑った。
『間抜け面だな? アスラン』
 茫然とモニターを見つめるアスランを振り返ったカガリが、腰に手を当てて説明する。
「カフスボタンは予備のプレゼントだったんだ。こっちが駄目だったときのな。保証はなかったからお前には言わなかった。恋人がいるなら、やっぱり誕生日は恋人に祝ってもらうのが一番だろ?」
「カガリ……」
 亡命した身では、プラントの人間と連絡を取る術などなかった。
 戦後の危うい混乱期にザラの名を持つアスランが迂闊に何かすれば、いらない刺激と摩擦を与え、生むことにもなりかねない。それではわざわざ亡命した意味がないのだ。下手にアスランがプラントと関わるものと接触することを、犯した罪を深く追求はせず亡命を認めてくれたアイリーン・カナーバ臨時評議会議長も望みはしないだろう。
 だからアスランはこの一年、オーブだけを見て生きてきた。
 余所者である自分にはさせてもらえないことも、できないこともあったが、カガリを守ることがオーブのためになる。そう思って。
 そういうわけだったから、アスランは彼らがどうなったのか知らなかった。
 父が亡くなり、自分もプラントを去ったザラ家に仕えてくれた人たちのことも、同じように拘留されていたディアッカのことも、ユニウス条約締結後に解散された臨時評議会に在籍していたイザークのことも。
 どうしているだろう。みんな元気でいるだろうかと、ずっと気にかけていた。
 中でも一番気にかかっていた相手が、モニター越しでもいまアスランの目の前にいる。
 これをすべてお膳立てしてくれたのは、カガリなのだ。
「ありがとう……カガリ」
「気にするな、礼はいらない。これはお前への誕生日プレゼントだからな。ハッピーバースデー、アスラン」
 カガリがにっこりと笑った。南海の宝珠、オーブの太陽のように活力に満ちた笑顔だった。
「じゃ、私はお邪魔だからな。あとは二人でごゆっくり」
 モニターの中のイザークにもひらりと手を振って、カガリは部屋から出ていった。
 カガリを見送り、アスランはモニターに向き直る。
「久しぶり……イザーク、少し痩せたな」
『それは貴様もだろう。……元気だったか?』
 声音からじわりとにじむこちらを気遣う響きに、アスランは微笑む。
「ああ。イザークも元気そうで安心した。……傷、消したんだな」
 イザークの顔からは、アスランがオーブに降りる前にはまだあった、キラにつけられた傷が消えていた。
『少し、迷いはしたがな』
 言いながら、イザークの手が傷一つない顔を滑る。
 かつてこの傷に誓った屈辱にもう意味はない。それなら傷を残しておく必要も。けれども、自らが犯した罪の自戒の意味を込めて残しておくべきではないかと、イザークはそう迷ったのだという。迷って、イザークは傷を消した。残せば自戒にはなる。しかしこの傷は、彼の憎しみの象徴でもあった。憎しみを抱えたままで、どうして先に進めるだろう。
『本当は、俺がオーブに行けたらよかったんだが……無理だった。すまん』
「イザークが謝ることじゃないよ。こうして話せただけで満足だ。……お前と話せるなんて、思ってもいなかったから」
 本心から言ったのに、なぜかイザークはムッとしたようだった。
『前から思っていたが、貴様は欲がなさすぎる! 誕生日くらい欲を出せ! 確かに俺は今日、貴様のそばには行ってやれないしプレゼントも渡してやれはしないが、それでも言うだけ言ってみるくらいのことはしたらどうなんだ!』
 アスランは虚を突かれて目を丸くする。
 欲がないと怒られるなんて初めてだ。普通は逆なんじゃないだろうか。
 だけどイザークらしい──小さく吹き出しかけたところで、ふと思いついた。
「じゃあ……一つだけ、いいかな?」
『なんだ? 言ってみろ』
 モニターの中でイザークが偉そうに踏ん反り返る。
「名前を──イザークに、俺の名前を呼んでほしい」
『……アスラン?』
「うん、イザーク」
 イザークは戸惑ったように尋ねる。
『それだけでいいのか?』
「今日、キラとラクスが、俺の誕生日パーティーを開いてくれたんだ。カリダおばさんがご馳走作ってケーキ焼いてくれて、子どもたちがバースデーソング歌ってくれて、ラクスが俺のために作ってくれた歌を歌ってくれて、キラが俺がそのうち揃えようと思ってた工具セットをくれた。楽しかったし、嬉しかった。でも」
 アスランは微笑う。なんだか泣きそうな気分だ、幸せで。
「こうしてお前の顔を見て声を聞いて、名前を呼んでもらえることの方が、一番嬉しいんだ。生きていてよかったって、そう思えるから──」
 モニターからイザークが息を呑む音が聞こえた。
 父が犯そうとしていた恐ろしい罪を、自分の命と引き換えに止めようとした。そんなアスランを叱咤して留まらせたのはカガリだ。カガリの言葉にハッとし、救われる思いで彼女とジェネシスを脱出した。
 そうしてプラント側から表明された停戦の申し入れを聞いてカガリと抱きしめ合ったとき、宇宙を漂っていたキラを見つけたとき、エターナルで迎えてくれたラクスを見たとき、生きていてよかったと思った。
 けれどプラント政府がザラの嫡子の処遇に悩んでいる様子を見て取ったとき、迷いが生まれた。本当に自分は、生きていてよかったのだろうかと。生きていたら、自分の存在が混乱と火種を生むかもしれない。ならばいっそ、あのとき──。
 そんなふうに思いつめかけていたときに誕生日を迎えて、イザークは忙しい中、しかも彼の母親が父の右腕だったことでいくら戦友とはいえ難しかっただろうに、わざわざ会いに来てくれた。「まったくこの忙しいときに貴様もディアッカも使えんとは!」なんて言いながらも、言葉とは裏腹にイザークの顔は優しく笑っていた。拘留されて一人、キラにもラクスにもカガリにも会えない中で、イザークだけが、アスランに「おめでとう」と言ってくれたのだ。
 その瞬間、ああ、生きていてよかった──そう思った。そうして、彼が生きていてくれたことに感謝した。
 だからアスランはイザークに名前を呼んでほしい。
 俺に生きていてよかったと確かめさせて。イザーク、君が生きていることも。
『……ッ、アスラン』
「うん」
 アスランは目を細める。
 モニターのイザークは何かをこらえるように顔を歪め、口を開いた。彼の形の良い唇がただ四つの文字を紡ぐ。
『アスラン』
「うん」
『アスラン』
「うん」
『アスラン』
「うん」
『アスラン』
「うん」
 イザークは繰り返し繰り返しアスランの名前を呼び、アスランもそれにいちいち相槌を返した。
『アスラン』
「うん」
 何度目の応酬だっただろう。
『ハッピーバースデー、アスラン』
 アスランはハッとする。硬い表情はいつの間にか和らぎ、イザークはとても優しい目をしていた。
『名前くらいいくらでも呼んでやるというのに、やはり貴様は欲がない。来年はもっと欲深くなっておけ。俺がなんだって用意してやる』
「……うん」
 わずかに瞳を潤ませて、アスランは頷いた。
 本当になんて嬉しいプレゼントなんだろう。通信してきてくれたイザークに感謝する。でも一番感謝するのはカガリにかもしれない。
 今日、アスランにイザークをくれたのは彼女だから。
「あのな、イザーク」
 話したいことも、聞きたいこともたくさんある。
 ディアッカのこと。ザラ家にいた使用人たちのこと。キラのこと。ラクスのこと。カガリのこと。プラントのこと。そしてイザークと、自分のこと。
 たくさん、たくさん。
 夜は更けていく。
 日付が変わって誕生日が終わりを告げてもなかなか二人の会話が終わることはなく、アスランは心行くまでイザークとの時間を堪能したのだった。
 おかげで翌日、仕事中にうっかり居眠りしてしまったアスランがカガリにからかわれたのは余談である。



2012.10.29


 
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