近ごろ気づくと考えている


 幸村の世界はひどく単純なものだった、と思う。お館様のそばに在り、戦場に生き、死ぬる。政宗殿という、生涯の好敵手にも出会えた。これ以上の人生はないと。そこに、恋だの愛だの、そんなものの入る余地はなかったのだ。いままでは。
「はっ!」
 勢いよく槍を突き出す。風を切って唸った槍先はそこにはいない敵を穿った。額から流れ出た絶え間ない汗が顎を伝い、幸村はふうと一息ついた。縁側に寄っていって、置いておいた手拭いで汗を拭う。何刻も鍛練に明け暮れていたので、さすがに消耗している。ここはゆったり風呂に入りたいものだ。
 縁側に腰かけて、空を見上げる。ずいぶん空が高くなった。夏も近い。甲府の夏は暑い。気を引き締めておかねば、戦ではなく暑気にやられてしまう。だというのに、近頃幸村は、うわのそらでいることが多かった。原因は──。
「旦那! お疲れ!」
 突然聞こえた声に、鼓動が跳ねた。飛び上がるように立ち上がって、後ろを振り返る。完全に油断していて気配に気づかなかった。不甲斐ない。
「佐助! お前、いつ戻った!」
 一ヶ月の偵察任務に出ていたはずの忍びに、幸村は驚きもあらわに問いかけた。
「ほんの一刻前かな。お館様に報告済ませて、ついでに旦那にも報告しようと思ったら、鬼気迫る勢いで鍛練してたから、こーれは声をかけない方がいいかなって思ってさ。終わるの待ってたってわけ」
「それなれば休んでおればよかったろう」
「何言ってんの。俺の主は旦那なんだからね。旦那に帰還の報告をするまでが仕事なわけ。ってなことで」
 言って、佐助はかしこまった。唇に笑みを閃かせる。
「幸村様、猿飛佐助、ただいま帰還いたしました」
「……──」
 思わず見惚れて、幸村はかけるべき言葉をなくした。あまりに黙っているので、佐助が首を傾げる。
「旦那? どうしたの? 腹でも痛い?」
 触れ合えそうなほどに顔を近づけられて、幸村は我に返った。慌てて身を離す。それでますます佐助は不思議そうな顔をした。
「旦那?」
「あ、……ああ。ご苦労、だった。ゆっくり休め」
「旦那、本当に大丈夫? お腹痛くない?」
 佐助が一歩を踏み出したので、幸村は急いで首を縦に振った。
「大丈夫だ! 腹も痛くない」
「……そう? なら、いいけど。じゃ、俺様、お言葉に甘えて休ませてもらうから」
「ああ。ゆっくり休め」
「それ、さっきも言ったよ」
 微笑を残して、佐助の姿が消える。この屋敷の中でくらい普通にしておればよいものを、と思いながら、幸村は手のひらを握りしめた。
 ──佐助が、帰ってきた。そのことに感じるのは喜びと、……困惑。
 佐助が幸村のもとを離れて諜報活動に勤しむのはままあることで、今回が初めてなわけではない。なのになぜか、佐助が任務に出たその日から幸村は、気がつけば佐助のことを考えていた。つい佐助の姿を捜してしまうし、何かにつけて佐助を関連付けた。たとえば、この食べ物は佐助は好きだろうか、とか。こんなことは初めてで、幸村は戸惑った。時間があればそんなふうに佐助を思い出すものだから、いつにも増して鍛練に励んだ。そうしていると佐助を思い出さずに済んだから。
 幸村の世界は単純で、わかりやすいものだった。なのにいま、なんだかわからないものが幸村の世界に現れて、幸村の心を乱す。

 なあ佐助。なぜ俺は、気づけばお前のことばかり考えておるのだ?



2015.6.11

 
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