ハッピーエンドのその前に


 炎と煙と煤と硝煙と、物騒な匂いに満ちた中、志保は崩れ落ちそうになる建物を走っていた。
 APTX4869のデータは手に入れた。そのデータは先ほど新一に渡した。彼女たちがいま飲んでいるのは限りなく完成品に近いが、まだ不完全なものだ。数日しか効果がない。志保が、この組織壊滅作戦に合わせて作ったものだった。
 必要なデータを手に入れたのに志保がまだここにいるのは、赤井秀一とジンの所在がつかめないからだ。お前が行く必要はない、と新一は案じてくれたが、そういうわけにはいかなかった。

 ──あなたにとっての蘭さんが、私にとっての彼なのよ。

 そう言えば、新一は驚いたように変な声を上げて、けれどそれ以上志保を引き留めようとしなかった。ただ「絶対に赤井さんと生きて戻れ」と、そう言って。
 志保は頷いて、出てきたばかりの建物に戻った。
「赤井さん! どこ!? 赤井さん!」
 煙が充満してくる。げほりと咳き込みながら、志保は赤井を呼ばわった。そのときだった、志保の耳が銃声を捉えたのは。
 この状況下でする銃声音など、限られている。耳を澄ませ、志保は銃声のした方向を探る。音というのは以外と伝搬しやすく、出所をつかみにくいものだ。もう一度銃声が聞こえて、志保は再び走り出した。
 階段を駆け上る。踊り場を踏みしめたとたん、視界の端に、長い銀髪が見えた気がした。はっと振り返れば、爆発でもしたのだろうか、ドアが吹き飛んだ部屋に、ジンがいた。
 ジンの姿に、志保の身がすくむ。ジンは肩を撃ち抜かれていながらも、拳銃を構えていた。志保にはまだ気づいていないようだ。銃口の先に誰がいるのかは見えない。けれど志保にはわかった。あの銃口の先にいるのは──赤井だ。
 植え付けられた黒の恐怖。だけどそれを乗り越えなければ、志保は前に進めない。償いも、未来を生きることもできない。
 キッと前を見据えて、志保は部屋に飛び込んだ。
「赤井さん!」
 響いた声に、案の定ジンの銃口の先でライフルを構える赤井も、ジンでさえ意識が一瞬志保に向けられた。チ、と軽く舌打ちして、宿敵から目を逸らさず、赤井が口を開く。
「志保、こっちへ来い」
 赤井の促しに、志保はジンから視線を外さず、じりじりと赤井に歩み寄った。赤井の背後に隠れるようにして、真っ向からジンと対峙する。
「──志保、なぜ来た」
「……過去と決別するためよ。あの男と決着をつけなければ、私は未来を生きられないの。誰とも、──あなたともね」
 視線は逸らさず、けれどきっぱりと言えば、ジンが高笑いを上げた。ぞっとする笑い声だった。
「ハッ、そうか。シェリーをたぶらかした色男はお前だったのか、赤井秀一!」
 その暗い瞳は憎悪に満ちていた。
 厳密には違うけれども、結果的にはそうと言える。
 志保は、赤井と生きていく未来を選んだ。
 組織が壊滅して、ジンを捕らえられたなら──勇気を出して、罪を背負いながら、あなたと生きたいわ。
 ……許してくれるわよね、お姉ちゃん。
 ジンが、なぜか志保に執着していることは知っていた。だが、志保にとってジンは姉の仇でしかない。そうして私と同じく、罪を贖うべき男だ。
「そうよ。私は決してあなたのものにはならないし、あなたに殺される気もない。これからの人生を、この人と生きていくわ。たとえ石を投げられてもね」
 強い覚悟を込めて宣言すると、目に見えてジンの表情が不快さを孕んだ。苛立ちも感じる。
 ふ、と隣で笑う気配がした。
 腰を抱かれて引き寄せられ、志保は赤井に口づけられていた。
「んっ……!」
 一瞬だけのディープキス。
「何を……!」
「何、勝利の女神から祝福を受けようと思ってな」
 恥じらいながら赤井を睨むと、彼は飄々と言って、すぐさまジンに視線を戻した。遅ればせながら志保もジンを見れば、ジンは凄絶な笑みを浮かべていた。
「もとから殺す気でいたが……どうあっても死にたいらしいな、赤井秀一」
「お前に殺される気など、微塵もありはせんよ」
 微笑を消して、赤井は答える。
「ハッピーエンドには、いい女のキスが付き物だからな」



2017.2.22

 
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