一回目のプロポーズ



「さなだだいすけ、よんさいです」

 猿飛佐助、二十八歳。職業保育士。運命は残酷だなあと思ったのは、二度目だった。


「大助くん、何描いてるの?」
 佐助が聞くと、真っ白い画用紙にクレヨンでぐちゃぐちゃと何かを描いていた幼児は、にぱっと前歯の抜けた口を開けて笑った。
「おとうさん!」
 私立ばさら保育園。世の働くお父さんお母さんの味方であることを理念として創設されたこの保育園では、時に深夜まで子どもを預かることもある。真田大助もそんな園児のひとりで、夜勤に入ることが多い佐助は、預かる子どもたちの中でも迎えがもっとも遅くなりがちなこの幼児のことをとくに気にかけていた。そこに私情が入ってしまっていることは、否定しない。
 大助の父親である真田幸村とは、それこそ彼が大助と同じ歳の頃からの付き合いなのだ。いわゆる幼馴染みというやつである。ただし、この五年ほどは疎遠だったのだけれど。
「そっかぁ。大助くんのお父さん、かっこいいもんねぇ」
「うんっ!」
 佐助の言葉に、大助はにっこりと頷いた。そんな子どもの頭をぐりぐりとなで、佐助は大助の父親の顔を思い浮かべる。男振りの良い端正な顔立ちながら、ベビーフェイスの中に残るあどけなさがたまらないとママさんや女性保育士から密かに人気だったりする。
「おとうさんにプレゼントするんだ」
「へえ、お父さん、大喜びするよ」
 そのさまが目に浮かんで本心から言うと、大助はえへりとはにかんだ。
 迎えが六時を過ぎる場合、子どもには軽く夕食を取らせるようにしている。簡単なものだが、その日の担当の保育士が食事を作るのだ。手早くチャーハンを作った佐助は、口いっぱいに頬張る大助を見ながら詫びた。
「ごめんねー。先生料理のレパートリー少なくて。いっつもチャーハンじゃ飽きちゃうよね」
「ううん。だいすけ、せんせいのごはんすきだよ。いっつもおいしいもん」
 ああっ、なんていい子っ。うりゃーと抱きしめてやりながら、佐助は笑った。
 ──幸村が結婚したのは、大学を卒業した翌年のことだった。真田家は旧家で、相手のお嬢さんもそれに並ぶ旧家の出だと聞いた。一度だけ会ったことのある彼女は清楚で儚げなひとで、ああ、お似合いだ。そんなふうに思ったのを覚えている。当人たちの意思ではなく、家同士の結婚だったけれど、きっと幸せになるだろう、と思った。
 最初に運命は残酷だと思ったのはこのときだ。いつからそうだったのか、そんなことも思い出せないほどいつの間にか、佐助は幸村を好いていたので。叶うはずのない恋だと思っていたけれど、よもやこんなにも早く幸村が結婚するとも思っていなかった。心の準備をするより前に、佐助は現実を突きつけられてしまったのだ。
 結婚式には出席した。幸村の花婿姿なんて見たくなかったが、祝う気持ちがあるのも本当だったので、欠席するという選択肢は端からなかった。緊張して、がちがちの幸村を友人たちと囃し立てた。笑顔で祝えたと思う。そこから徐々に、佐助は幸村と距離を取るようになった。
 幸村はこっちの気も知らないで、まるで結婚前と変わらぬ態度と距離感で接してきた。近すぎるのだ。結婚前は嬉しかったその距離も、あとになっては複雑極まりなかった。幸村と距離を置くことを決めた決定的な理由は、夫婦に子どもができたことだった。そこまではもう、見ていられなかった。幸村に男の子が生まれたと風の噂で聞いたのを最後に、佐助は幸村の前からそっと姿を消した。
 見知らぬ土地で、ばさら保育園の仕事に就いたのが二年前。そして一年前、真田父子は佐助の前に現れた。
『さなだだいすけ、よんさいです』
 幸村の小さな分身だった。幸村の幼い頃にそっくりだ。そして幸村は佐助の前に現れた。シングルファーザーとなって。──皮肉だろうか。運命は残酷だ。
 昔より精悍な顔つきになった幸村は悔しいくらいにかっこよくて、佐助はまだ、この恋が全然過去になっていないことを知ったのだった。
 迎えが来たのは、八時を回ろうかという頃だった。息せき切って教室の扉を開け、幸村が飛び込んでくる。
「すまぬ佐助! 遅くなった!」
「しっ!」
 大声を上げた幸村に、佐助は唇に人差し指を当てて静かにするよう伝える。
「ちょうどいま、眠ったところなんで」
「すまぬ……」
 しゅん、と肩を落とす幸村に犬耳と尻尾が見えるようで、佐助はちょっとときめきながら大助の帰り支度を始めた。荷物を取って戻ってくると、幸村が眠る大助の傍らにしゃがみこんで寝顔を眺めていた。見つめる目はとても優しい。
 そんな幸村に、佐助は画用紙を差し出した。
「これ、大助くんが描いたもんだよ。お父さん」
 画用紙を受け取った幸村は、絵を見たとたん、みるみるうちに黒目がちの瞳を涙でいっぱいにした。
「こ、これは……! なんと俺にそっくりな! 天才だな!」
 親馬鹿丸出しの発言に思わず吹き出してしまいそうになりながら、佐助は「そうだね」と相槌を打つ。涙が瞳からこぼれ落ちそうになったのでポケットからハンカチを出して差し出すと、幸村はぐすぐすと「かたじけない」と礼を述べた。
 幸村はもう一度絵を眺め、ふっとさびしげに微笑した。
「俺は……あまり大助のそばにはいてやれぬゆえ、父親らしいことも何もできぬが……それでも子どもというのは、こんなにも一途に慕ってくれるものなのだな」
「ああ、うん、そうだねぇ。子どもってのは大人をよく見てるもんだから。旦那がいいお父さんやってるからこそ、過ごす時間が短くても旦那のことが大好きなんだよ、大助くんは」
 言うと、幸村は照れたように笑った。
「そうだろうか。そう言われると、なんだかこそばゆいな」
 そこからは、ちょっとした報告会になった。
「今日の大助はどうであった?」
「もー、旦那の小さいときと一緒で、元気の塊だよ。やんちゃやんちゃ。でも、みんなと仲良しでさぁ。ホント旦那にそっくり。あっ、そうそう、実は最近、好きな子ができたみたいなんだよ」
「なんと」
「伊達五郎八ちゃん」
「ああ、政宗殿の。さようであったか」
 ちなみに大助は紅組で、五郎八ちゃんは蒼組だ。父親の政宗はクールそうな外見とは裏腹に娘を溺愛しているから、大助の気持ちを知ったら大人げないかもしれない。
 ほかにもやれ大助がこうした、何を話したかなどを話しながら、この状況はなんだろう、と不思議に思う。佐助と想い人と、その子どもがいる空間。変な関係だ。でもまあ、佐助はいまの関係に結構満足している。もともと恋が成就するとは思っていないから、こうしてそばにいられるだけで充分っていうか。あれ、俺様ってば結構健気?
「──……やはり幼子には、母親が必要であろうか」
 そんなことを考えていたら、突然、シリアスな展開になっていた。え、ちょっと待って。どうしてこうなったかわからない。
「あー、うん。まぁ、いた方がいいんじゃない?」
 わからないから返答に困って、とりあえず一般論を言ってみる。
「そうか──では」
 すると、ぎゅっと両手で手を握られた。え? と困惑する佐助を幸村は真剣そのものの表情で瞳に映し、口を開いた。
「佐助、ぜひとも大助のおかあさんになってもらえぬだろうか」
「……え?」
「俺と、結婚してほしい」

 猿飛佐助二十八歳、人生で初めてプロポーズされました。



2015.6.11


 
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