優しい顔
蛍の宮は妹が愛らしい笑顔とともに差し出したものに、その端正な面差しをわずかに引きつらせた。
「猫のお姉ちゃまにお願いしたら、縫ってくれたの。どうぞ、兄さま!」
日の宮が両手に持って差し出したのは、でかでかと亀−−千寿の刺繍が施された帯だった。
(……何を考えているんだ、あのじゃじゃ馬姫は)
以前某かの会話の折に、二条の姫がそのようなことを言っていたのは覚えている。だが、自分はきっぱり断ったはずだ。
それがなぜ、現実になったのか。
「……日の宮、猫のお姉さまに何をどう頼んだんだ?」
「前にお話したときに、お姉ちゃまが兄さまにお香のお礼をしたいって言ってらしたの。兄さまには断られたって言ってらしたけど、千寿の帯なんて素敵。だから、日の宮がお姉ちゃまに縫ってってお願いしたのよ。兄さまにあげるからって」
「日の宮……」
蛍の宮は脱力した。
確かに、千寿を可愛がる日の宮にとっては素敵以外の何物でもないだろう。
しかし、自分には──。
(どうしろというんだ……)
妙にこだわってある千寿の刺繍。
これを使えというのか。
眉間にしわを寄せて考え込んでいると、あのね、と日の宮が言った。
「お姉ちゃま、とっても優しいお顔で縫ってらしたのよ」
「え?」
「心を込めて縫えば、どんなものでもとても素敵なものになるんですって」
「そうか……」
呟き、蛍の宮は帯を受け取った。
そっと縫い目をなでる。
おせっかいでお転婆で、騒々しくて、心優しい姫。
これは彼女の心か。伏魔殿の後宮で、数少なく信じられる真心の一つ。
我知らず微笑んだ蛍の宮に、日の宮はにっこりとした。
「兄さまもいま、とても優しいお顔をなさってるのよ」
千寿の刺繍が施された帯は、蛍の宮の唐櫃に大切に保管されている。
2010.7.30