02、



 ミカサが目を覚ますと、そこはホテルだった。
「つっ……」
 起き上がったとたん頭痛に襲われて、くらくらと倒れ込む。それが落ち着いてからゆっくり上体だけを起こし、戸惑いに辺りを見回す。
 ふとベッドサイドにホテル備え付けのメモパッドを見つけて手を伸ばす。リヴァイからだった。
 ミカサがここにいる理由と、宿泊料は支払ってあること、エレンに関してできるかぎりの協力はすること、それからリヴァイの連絡先が記されていた。締めくくりの『ゆっくり休め』という一文を読み終えたミカサは、再びベッドに沈んだ。
 顔が熱い。恥ずかしい。
 リヴァイの前で、とんだ醜態をさらしてしまった。お酒に任せるまま、泣いて泣いて、溜めていた感情を吐き出して、あげく、こんな。
 どうやらリヴァイにとても迷惑をかけてしまったことは理解できて、ミカサは穴があったら入りたいとはこういう気持ちかと思った。
 枕に頬を押しつけて頬の熱を冷まそうとするうち、ミカサはうとうととまどろんだ。……なんだか、とてもいい夢を見ていたと思う。エレンに会う夢だ。エレンに向けて両腕を広げたら抱きしめてくれて、優しいキスをくれて。ふわふわしてあったかくて、泣きそうになるくらい幸せな夢だった。
 そのまま短い眠りに落ちたミカサは次に気づいたとき、慌てた。チェックアウトの時間が過ぎている。大急ぎで身支度して、パンプスを引っかけて部屋を飛び出した。そうして着いたフロントで、ミカサは驚かされることになる。
「料金は二日分いただいておりますが……」
 チェックアウトを、と告げたミカサに、フロントマンは穏やかに知らせた。
「二日分?」
「はい。お連れ様が今朝、お支払されていかれました」
 今朝? リヴァイも泊まったのだろうか? ……どこに?
 疑問に思ったが、どうなさいますか? と聞かれたので、ミカサは考えることをやめ、ひとまず飛び出してきた部屋に戻ることにした。シャワーを浴びたかったし、頭も痛かったから、ゆっくりできるものならゆっくりしていたい。ここはリヴァイの配慮に甘えよう。宿泊料はあとで返せばいい。
 ザァァとシャワーを浴びながら自分の身体を見下ろしたミカサは、鎖骨にポツリと赤い痕を見つけて首を傾げた。虫刺されだろうか? 痛みもかゆみもないけれど。
 赤い痕は流れてきた髪に隠れて見えなくなってしまった。その髪を軽く引っ張る。ずいぶん伸びた。いい加減切りたくもなるが、これはミカサの、願掛けだった。
 エレンに会えますように。
 そんな、願掛けだ。
 ずっとずっとひとりで捜し続けていた。諦めにも近い絶望を感じ始めてさえいた。もう二度とエレンには巡り会えないんじゃないか、そんな悪い想像に捕らわれて、途方にも暮れかけていた頃だった。──昨日までは。リヴァイに、会うまでは。
 ミカサの願いは、そう遠くないうちに叶うような気がいまはしている。リヴァイに出会ったことで、不思議と、確信めいた予感がミカサの心にはあるのだった。


 翌日、ミカサはゼミの研究室を訪ねた。教授を通じて取り寄せてほしいものがあったからだ。
 リヴァイには昨日、あれからすぐに連絡を取った。これから少し仕事が忙しくなるらしく、一週間後に会う約束をして電話を切った。
「リヴァイ・スミスの論文?」
「はい。ほかの大学の卒業生の、昔の論文なんですけど、取り寄せられますか?」
 年配の教授は、あっさり頷いた。
「もちろん。っていうか、この研究室にもどこかあったはずだけどなぁ」
「え?」
 ミカサはきょとりと目を瞬いた。
「リヴァイ・スミスはちょっとした有名人だったからね。彼の考察は興味深かったし、論文も大胆な切り口で面白かった。私は、彼は院に進んで、そのまま研究者の道を歩むものとばかり思っていたから、彼が一般企業に就職したと聞いたときは少し残念に思ったものだよ。彼なら空白年間の謎を解明してくれるんじゃないかと期待していたから」
「へえ……」
 さすがは人類最強だった男だ。現代でもただ者ではない。
「だけど、よく知っていたね。誰か先輩にでも聞いたのかな?」
「その……本人と、古い……知り合いで」
「へえ! それは羨ましいな! お元気かい? またこの世界に戻ってきてくれないかなぁ」
 本当に羨ましそうにしながら、教授は席を立った。乱雑に紙束が突っ込まれた棚に向かう。
「ええっと、確かこの辺りに……ああ、あったあった」
 棚を引っかき回した教授は、見つけた紙束をミカサに差し出した。
「あなたの論文、読みました」
 一週間後、カフェでリヴァイと会ったミカサは開口一番そう言った。リヴァイは一瞬不思議そうにして、ああ、とカップを持ち上げた。
「読んだのか」
「はい。とても、興味深かった。……『自由の翼』」
 そうタイトルを冠した論文は、ほかのきっちりした考証を持ったものとは違ってまるで夢物語のようなあやふやさを持っていたが、わかる者にはわかる内容だった。あれは、間違いなく調査兵団を書いたものだ。
 リヴァイは苦笑する。
「あれを書けば、誰か見つかるんじゃねぇか、と思ってな。結局、誰も見つからなかったが」
 ミカサはカップをいじりながら尋ねた。
「……兵長は、どうして研究をやめたのですか?」
「ああ?」
「うちの教授が、言ってました。兵長は研究者になるものだと思ってたって。あなたなら、空白年間の謎を解き明かしてくれるんじゃないか、期待してたって」
「俺は別に……あの時代を解明したかったわけじゃなかったからな。ただ幻じゃないことだけを証明できればそれでよかった。そういうお前はどうなんだ?」
「え?」
「あの時代を解明したいのか? 卒業しても、研究を続けるのか?」
 どうだろう。そんなこと考えたこともなかった。リヴァイの言うように、あの日々を生きた自分を証明したい、それだけだったから。それにもしかしたら……研究を通じて誰かに出会えることを期待していたのかもしれない。
「……わかり、ません」
「ま、お前にはまだ時間があるからな。ゆっくり考えりゃいい」
「はい」
 ミカサは頷いた。リヴァイに再会して、誰にも言えなかったことを打ち明けて、ミカサの心には少し余裕ができたように思う。エレンのことはいまだって一番大事。でもこれからは、ほかのことを考えることもできるかもしれない。……ゆっくり考えよう。リヴァイの言うとおりに。
 不思議だ。昔はリヴァイの言うことなすこと、それがどんなに正しくたって反感を持たずにはいられなかった。だけどいまは素直に聞ける。なぜだろう。
 そこでミカサは思い出して、バッグを探った。
「そうだ、これ……お返しします」
 言って、ミカサはバッグから封筒を取り出した。リヴァイの前に滑らせる。
「ホテルの宿泊費」
「ああ、別にいい。これはお前が持っとけ」
 興味なさげに言われ、ミカサは困惑した。
「そういうわけには。……ただでさえ、あなたには食事をおごってもらったし、迷惑も、たくさんかけた」
「いいから取っとけ。お前は学生で、俺は社会人だ。これくらいで困るような生活はしてねぇ」
「でも……」
「わからねぇ奴だな。ここは俺にかっこつけさせとけって言ってんだよ」
 ……何か、おかしなことを言われた気がした。リヴァイらしくない、ようなことを。
 戸惑うミカサをよそに、リヴァイは続ける。
「今度エルヴィンに会いに来るといい。奴もお前に会いたがっていたぞ。……エレンのことも、スミスのコネクションを使って捜している。お前ひとりが捜すより、見つかる確率は格段に上がるはずだ」
 それは嬉しい知らせだった。嬉しいけれど。
「……どうして、そんなに良くしてくれるんですか?」
「お前のためだからな」
 さらりと言われた。言葉を失うミカサに、リヴァイはふっと瞳をやわらげる。優しい顔だった。
「惚れた女のために尽くすのは、当然だろうが」
 ミカサはゆっくりと目を見開いた。



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