イザークとアスラン



 姿見に映る自分を見ながら、イザークはきゅっとスーツのネクタイを締めた。
 ──今日が、決戦の日。見合いの日だ。
 イザークは見合い相手をまだ知らされていない。エザリアに何度か尋ねたが、その度に「それは当日のお楽しみよ」とはぐらかされて終わった。けれどもう、イザークの心は決まっている。

 ──……なぜ、俺だった?
 ──あなたを誰にも渡したくないと、アスランが泣いたから

 イザークは瞼を伏せた。──アスラン、俺は。
「イザーク、時間よ」
「いま行きます」
 もう一度姿見を見つめて、イザークは部屋を出た。


 見合いの席が設けられたのは、アプリリウス中央ホテルだった。
 イザークも幼少時から何かと親しみのあるホテルだ。というのも、このホテルは評議会から近いこともあって議員御用達なのだ。評議会議員を家族に持った者なら一度は利用する。──アスランも、例に漏れず。
 イザークはふるふると首を振った。またアスランのことを考えている。今日ばかりは見合い相手に失礼だろう。
 顔を上げて、イザークは先を歩くエザリアに声をかける。
「母上、そろそろ今日のお相手について教えてくださいませんか。さすがに何も知らないのでは相手にも失礼です」
「大丈夫よ、会えばわかるわ。あなたもよく知っているお相手だから」
 ──知っている?
 内心で首を傾げる。イザークが知っている令嬢というのは、実はそう多くない。
 昔は色恋沙汰より勉学の方が面白かったし、今はいまで仕事の方が面白い。ジュールの嫡男である以上そういう感情とは縁がないとも思っていたし、何より戦争でそんな余裕はなかったからだ。おまけに母がわざわざ見合いをセッティングするほどの家柄でフリーの令嬢も、もうあまり残っていないように思う。
 それなのに母はイザークも知っている相手なのだと言う。それも『よく』とつくほど。となるとザフトの人間だろうか? まさかシホじゃあるまいな?
 真っ先によく知る異性を思い浮かべる間にもイザークの足はエザリアを追って進んでおり、見合いの場へ導かれていく。
 イザークは再度首を振って雑念を追いやった。考えても仕方がない。どうせ数分後には嫌でもご対面だ。
 相手が誰であれ、イザークが渡す答えは決まっている。ノーだ。
 これがあと半年でも早ければあるいは違ったかもしれない。だが、イザークは知ってしまった。恋というものを。甘美ではあるが、非常に扱いにくい厄介な想いを。
 エレベーターに乗って、驚いたことに最上階まで上る。イザークは柄にもなく緊張してきて、母に気づかれぬように唾を飲み込んだ。
 着いた先で、しんと静まり返った廊下をエザリアに付き従って進む。足音はふたつだけ、けれどそれも吸収性の高い絨毯に吸われてごくかすかなものだ。
 やがてエザリアはひとつの扉の前で止まり、イザークに向き直る。
「イザーク、用意はよくて?」
「いつでも」
 息子の返事にエザリアは満足げに頷き、扉を軽くノックした。そして礼節を重んじる彼女にはめずらしく、相手の返事を聞くことなく扉を開けた。
「お待たせしたわね」
 開かれた扉の向こうには大きな窓ガラスがあって、アプリリウスの街並みが一望できた。母の肩越しにそこから外を眺めていた人物の背中が見え、イザークもよく知る赤を視覚が捉える。
 どくんと鼓動が跳ねた。──まさか。
 窓際に佇んでいる人影が、振り返る。
「なっ……!」
 見知った顔に、イザークはあらんかぎりの驚きを浮かべた。相手も同じくらいに──いや、それ以上に驚いた顔をしている。
「イザーク……!?」
「アスラン……!」
 部屋の中にいたのは、イザークが焦がれてやまないアスラン・ザラ、その人であった。
 混乱した頭は、しかしさすがはザフトの白と言うべきか、すぐに回転を始める。瞬時にこの喜劇──それ以外のなんだと言う?──を理解する。

 ──図られた!

「図りましたね、母上!」
「さぁ、なんのことかしら?」
 エザリアはさても飄々としたもので、ころころと笑いながらうそぶく。
「とぼけないでいただきたい!」
「さぁさぁ、あとは若いふたりで。じゃあね」
 エザリアはあっさり息子をいなし、元来た道を戻り出した。
「母上!」
 その背に向かって激した声を上げるが、彼女は振り返らない。
「イザーク。あなたの思うままになさい」
 そう言い残し、エザリアは颯爽なまでにこのフロアから立ち去った。
 イザークは頭をかきむしりたくなった。
 おかしいとは思ったのだ。母がなぜいきなり見合いなどと言い出したのか、それを知る者は少ないはずなのにいつの間にか広まっていた噂も、イザークがいつまでも相手を知らされなかったことも。
 それもこれも、すべて初めから仕組まれていたことだったとしたら?
 まんまとしてやられたことに歯噛みしながら、まだ状況がつかめず、やけに狼狽しているアスランを振り返る。
「え……えっと、イザーク……これって……?」
「……俺にもまだ全部はわからん。それより、貴様はなぜここにいる?」
「ラクスに……内密に会ってほしい人がいるからって頼まれて……」
 ラクス・クラインもグルか!
 イザークは思わず胸中で叫んでいた。これでザフト内で噂が広まっていたことにも得心がいく。最高評議会議長自ら手回ししていたのなら、噂は火が巡るかのように広がったことだろう。事実そうなった。
 ──待て。初めからイザークの見合い相手がアスランだったのなら、母も議長も知っていたと言うのか? イザーク自身が気づいていなかった、アスランへの想いを。
 ……なんだか頭が痛くなってきた。自然とため息が出る。女性不信になりそうだ。
「……イザーク?」
 そんな彼に、まったく状況が飲み込めていないアスランがぎこちなく名を呼びかける。
 イザークは顔を上げ、アスランの顔を正面から見据えた。びくりと身を震わせて、アスランはなぜか居心地悪そうに視線を逸らした。
 その様子を訝しみつつ、イザークはまたも出かけたため息を飲み込んだ。
 何から話したものか……とりあえず。
「まずは茶だ。一息つきたい」
 心の平穏を図るためにも紅茶を求めて、イザークはルームサービスを頼んだ。


 ボーイの用意した紅茶を飲むと、イザークは何度も深呼吸を繰り返した。そうでもしなければ、とても平静な顔でアスランと向き合ってはいられない気がしたからだ。いくらなんでもこの展開は予想していなかった。
 ちらりと視線だけを上げて窺う先には、戸惑い顔でティーカップを取ったり下ろしたりを繰り返しているアスランがいる。──自分の想いを自覚してからアスランに会うのは、これが初めてだった。
 この状況はなんだろう、と思う。
 意を決して赴いた見合いの席で、スーツ姿のイザークと軍服姿のアスランが向かい合っているこの光景は一体なんだと言うのだろうか? よくわからない。
「それでその……これはどういうことなんだ?」
 ためらいがちにアスランが切り出す。イザークはもう一口紅茶を飲んで、……開き直ることにした。母とラクス・クラインが何を思ってこんな茶番劇のようなことを仕立てたのかはわからないが、これはいい機会かもしれなかった。
 イザークはネクタイを緩め、肩をすくめてみせる。
「どうしたもこうしたもない。俺と貴様は、母上とラクス・クラインに図られたんだ」
「エザリアさまとラクスに……?」
 意味がわからない、とアスランの顔に書いてある。その表情はどこか幼げで、…………うっかり可愛いと思ってしまった自分にため息をつきたくなった。
 けれど仕方ない。イザーク・ジュールはアスラン・ザラに惚れているのだから。アスランが可愛く見えてしまったとしても、それは当たり前と言うものだろう。
「そのままの意味だ。貴様も俺が見合いすることは知っていたのだろう? その見合い話からしてすべてでたらめだった。……そうだな、強いて言うなら俺の見合い相手は貴様だった、ということだ、アスラン」
「………………は!?」
 たっぷり三十秒は間を取って、アスランはガタンと椅子を鳴らした。
 イザークは頬杖をつく。
「俺は今日、ここで見合いをするはずだった。そして母上に連れてこられた先には貴様がいて、貴様はラクス・クラインに言われてここに来た……と、貴様ならもう、この意味がわかるんじゃないのか?」
 言われて黙りこくったアスランの顔が次第に赤く、そして青くなっていく。以前のアスランからは想像もできなかった表情の豊かさだ。

 ──あなたを誰にも渡したくないと、アスランが泣いたから

 出がけにも思い出した、キラ・ヤマトの言葉を反芻する。……本当に? 期待して、いいのだろうか? アスランもイザークと同じ気持ちなのだと。
 開き直ったはずなのに、心臓がうるさく鼓動を始めた。
 は、と息を吐く。
 キラ・ヤマトの言葉の意味を、イザークは何度も何度も考えた。そして決めたはずだった。それなのに自分の、なんと臆病なことか。ここに来ても二の足を踏んでいるこの心。
 おとなしく椅子に座り直したアスランから目を離せない自分に気づいて、イザークはテーブルの下で拳を握った。
 心臓がどくどくと跳ねて、ひどく胸が苦しい。しかし同時に、甘美ささえ感じる。
 これが恋なのだ、とひとり静かに改めて納得する。
 隊長という立場になっていまでこそ冷静にあろうと努めているが、もともと自分は直情型だ。ならば心の思うままにやろう。アスランが心に抱えるものも、いまは気にすまい。ただただ、すべてを尽くそう。
「──アスラン」
 声が震えないように気をつけながら、イザークは想い人の名前を呼んだ。
 エメラルドの瞳がイザークを捉える。その瞳に確かな愛しさを感じながら、イザークは告げた。

「貴様が、好きだ」

 ──もう、後戻りはできない。




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