12
『特訓は順調?』
『うーん、どうだろ…もらった特訓メニューがかなりきつくて…。けど、僕はまだスタートラインにも立ててないから、他の人よりも何倍も頑張らないと!』
「そっか。あんまり根詰めてやると体壊すから、ほどほどにね』
「あはは…肝に銘じます…』
「…何も翼まで私に付き合って勉強することないのに」
「折角だからね。それに、早いとこ夏休みの宿題終わらして遊びたいし、中学に上がって少しでも楽したいから」
「ちゃっかりしてんなぁ…」
夏である。去年の比じゃないくらい気温が高い最近は異常気象かなんかじゃないかって思ってる。だって、暑すぎ…蒸すわ。
雄英入試に向けて勉強と体力作りを今のところ両立できている私。お母さんにも付き合ってもらって、個性の精度アップを図っているのだけれど、さすが元プロヒーロー…スパルタが過ぎるぜ…
というもの、お母さんは個性だけに頼らないよう肉弾戦も想定して稽古をつけるから、日々打ち身擦り傷など満身創痍なのだ。おかげで多少の組手はできるようになってしまった。
いずとはちょいちょい連絡は取り合っている。いずのお師匠さんもスパルタらしく、吐かない日はないらしい。
さすがに私は吐くことはないけれど…まぁきついことには変わりないよね。
そして今日は弟の翼と図書館まで勉強しに行った帰りである。家でもできるんだけど、どうにも誘惑が多すぎて。ほら、テレビとかアイスとかスマホとかゲームとか。ダメってわかってるんだけど、ついつい手が伸びちゃうんだよねぇ。その分図書館なら静かだし、誘惑されるものなんて置いてないから。
夏休みもまだ始まったばかりである。
「あとどのくらいで宿題終わりそう?」
「理科の自由研究と読書感想文。それと算数のプリントかな」
「結構終わってんね…」
「どっかの誰かと違って誘惑には打ち勝てるから」
「ぐぬぬ…」
ぷーん。そっぽ向く翼のなんと憎たらしいこと。遠慮がない分余計にね。姉ちゃん辛い。
夏休みということもあって、住宅街には子供の声で大変にぎわっている。いいなぁ、私も遊びたい。
公園で楽しそうに遊び子供たちを見ながら歩いていると、前から歩いてきた人とすれ違う時に肩をぶつけてしまったらしい。少しよろけた体制を素早く立て直して振り返る。
「ご、ごめんなさい!」
「いーえ、大丈夫よ」
にっこり、笑ったその人は男の人だと思うんだけど、飛び出してきた口調は女の人みたいで…
「(オカマさん…?)」
「何してんの、姉ちゃん」
「へ?あー、あはは。ぶつかっちゃった」
「よそ見して歩くから」
「……ハイ」
がっくり、首を落とす。てか、なんで私こんな責められてんの…?解せぬわぁ。
「ねぇ、ちょっといいかしら?」
翼からの言葉の暴力に打ちひしがれていると、さっきすれ違った男の人が話しかけてきた。あ、やっぱりオカマさんだ。男前な顔してんのにもったいない…
「はい?どうしまし…翼?」
不意に翼が私の言葉を遮るように片手を向けてきた。
「…何かご用ですか?お兄さん」
いつになく翼の声色が冷たい。普段翼は淡々としているから、と言われればそうなんだろうけど、それとはまた違う冷たさというかなんというか…。たらり、冷や汗が流れる。
「やだ、そんなに警戒しないでちょうだい?ちょっと聞きたいことがあっただけなの」
「…手短にお願いします」
「あたしね、人形師やってるの。けどまだまだ駆け出しの人形師でね、たくさん作るんだけどどうも納得がいくものが作れなくて…これなんだけど」
そういってジュラルミンケースから徐に取り出したのは、1体のドール。フランス人形のようにふわふわのドレスを着せられたその人形はとてもきれいで、彼が本当に駆け出しの人形師なのか疑うほど素人目に見ても洗礼されているものだとわかる。
「わぁ、きれい…」
「そう言ってもらえて嬉しいわぁ!けどね、この子まだ未完成品なの…最後のパーツがどうしても見つからなくて…」
「え、未完成何ですか?それ…」
「姉ちゃん」
「えぇ、そうなの…ほら」
そう言ってくるり、見せられたのは、真っ黒い眼孔が覗く眼のない人形。
ぶわり、と嫌な汗が噴き出た。なんだろう、この人…すごく嫌な予感がする…。思わず翼の腕を掴んだ。
「眼がね、どうしても納得いくものができないの。眼って人形の命そのもの。眼の出来栄えでその人形の良し悪しと命が決まる。…でもね、そう、ついに見つけたの!この子は未完成品だけど、今まで作ってきた中で一番の傑作と言えるわ!そんな作品にふさわしいパーツを!見つけたの!!」
いつの間にかさっきまで賑やかだった子供たちの声が聞こえなくなっていた。
「神々の義眼って、知ってる?」
「「、!!」」
なぜこの人が神々の義眼を知ってる…?てゆーか、なぜ今このタイミングで?ぐるぐる、最悪の結論が頭をよぎる。私と翼は男の人から少しずつ後ずさる。
「あたし、あなたを知ってるわ。あの小僧とそっくり。忌々しいあいつらから囲われているクソガキが…。けど、やってみるものね。まさかこんなところでも神々の義眼保有者に出会えるなんて思ってもみなかった!あっち側では手に入らなかったけど、ここならあの連中もいない。心置きなくコレクションに加えることができるわ!!」
「走って翼!!」
踵を返し、翼の手を引いてダッシュする。
「待ちなさい!その眼をあたしに寄越しなさい!!寄越しなさいよぉぉおおおお!!!」
うわぁ、追いかけてきた…!人形片手に髪を振り乱すあの人はまさしく呪いとか呪詛的な何かみたい!こっわ!こえぇええええ!!!
「言ってる場合!?てか、あいつなんで姉ちゃんが義眼だってわかったんだよ!ゴーグルだってしてたし、そもそも義眼の話なんてしてないだろ!?」
「んなこと言われたって…!!」
とにもかくにも、このまま住宅街を走り続けるのはかなり分が悪い。夕方とはいえ、今は夏休み。大通りにさえ出れば人もいるし、ヒーローだって来てくれる!あの人に捕まって義眼を抉り出される前に何としてでも大通りまで逃げ切らないと…!
「翼!あんたは別の道から逃げて!」
「は!?何言って…!」
「少なくともあいつの狙いは私だよ!一緒にいると、翼まで巻き込んじゃう!だから逃げて、お母さんに知らせて!」
「けどッ…!!」
「いいから行け!!!」
「ッ…!」
途中細い路地に入り込んだ翼を横目に見送って、後ろを振り返る。さっきのオカマさんは翼には目もくれずひたすらに私を追いかけて来ていた。よかった、これで翼の方に行かれたらどうしようかと思った…
けど、これで心置きなく…!
「飛んでけッ!」
ポケットに入っていた小銭に電磁加速を加え、振り返りざまにオカマさんに放つ。
「小賢しい…!!そういうところ本っ当にあのクソガキとそっくりよッ!!」
…あの人、さっきも言ってたけど私を誰かと重ねてる?今思えばあの人の発言には不可解なところが多い。というより、気になることだろうか。神々の義眼を私が保有していることを知っているのも気になるし、あの人が知ってる小僧とそっくりって…それに、“あっち側”って一体…
「ぐあッ!!!」
深く考えすぎたのか、できた隙を見逃すことなく攻撃してきた男の人。モロに受けた攻撃に吹っ飛んだ私はしたたかに背中を壁に打ち付けた。息が詰まり、咳き込むとほんの少し内臓が傷ついたのか鉄臭い赤色が手のひらに付着した。
「ちょろちょろと…そういうところも本当にそっくりね。けど、まぁいいわ」
「い゛ッ…!」
踏みつけられた肩が嫌な音を響かせる。多分これ…肩外れたかも…
最悪。その言葉が頭の中を占める。が、この眼は預かりものなんだ!そう簡単に渡してたまるかよ!!!
「視野混交(シャッフル)!!!」
義眼で男の人の眼を支配して回す。途端にうめき声をあげながら後ずさるオカマさんから目を逸らさない。
「ぎゃぁああ…!!!目がッ、目ぇぇええ…!!!」
「くッ…!平伏せ!!!」
瞬間、不意にオカマさんの体が真横の塀に向かって吹き飛んだ。思わず義眼を開いたままぽかん、と呆けるけれど、近くから聞こえてきた声に途端に焦りがよみがえる。
「姉ちゃん…!!」
「翼…!!なんで戻って来たんだよ!!逃げろって言っただろ!?」
「姉ちゃんを放って行けるわけないだろ!!早く逃げよう!ヒーローも呼んできたんだ!もうすぐ来てくれ…」
「ヒーローが何!?」
「ぎゃッ!!」
「翼ッ!!」
オカマさんに首を掴まれ、宙ぶらりんになった翼は手をほどこうともがく。けれど、オカマだとしても体は男なわけで、力も成人男性と小学生じゃ太刀打ちできない。「かはッ…!」翼の息が詰まった。
「よくも邪魔をしてくれたわね…!あんたには用はないのよ!!義眼さえ手に入ればあたしは…!!」
「姉ちゃんに手を出すな…!!!それは、姉ちゃんのその眼はあんたなんかが手を出していいものじゃない…!!!」
「何ですって…!?」
「それでもッ…!!!それでも奪うというのなら!!!僕から奪うんだ!!!」
ざばりと、キンキンに冷えた冷水を頭からかぶせられたような感覚だった。
「翼ッ…待って、ダメだ…!!」
「奪うなら!!僕から奪えッ!!!」
首を絞められてもなお、真っ直ぐとオカマさんから視線を逸らさない翼の眼は覚悟で溢れていた。ダメ、ダメだ…!そんな覚悟翼がしなくてもいい!!私が全部背負うから!!だからお願い…!!
全身が震える。うまく力が入らない。その間にもオカマさんは翼の眼を物珍しそうにのぞき込んでいた。
「ふ〜ん、よく見るとあんたの眼、きれいなアイスブルーをしているのね」
やめろ…
「そういえばその色はまだコレクションに入れてなかったかしら…」
やめろ…!!
「…まぁいいわ。今日はあんたの眼で我慢してあげる。神々の義眼所有者の近くには失明者が必ずいるって言うのがセオリーだもの。文献に則って、お望み通りあんたの眼を奪ってあげるわ」
オカマさんが人形を翼の眼の前に持ってくる。すると暗闇を宿していた人形の眼孔が虹色に光りだし、翼の眼と繋がる。
「さぁ、取り換えっこ(リプライス)しましょ!!」
「ぐッ…あ゛、あ゛ぁぁああああ!!!!」
「やめろぉおおおおおおお!!!!」
片手を突き出し、翼の首を掴む男の人の体を吹き飛ばすように電撃を飛ばす。ピンポイントでオカマさんだけに当たった電撃。まるでゴムボールのように弾きとんだオカマさんと人形を横目に、外れた肩を庇いながら翼に駆け寄る。
「翼ッ!!翼しっかりして!!翼ぁ!!」
「いった…!本当…!厄介な個性持ってるわねあんた…!!」
「お前…!!!」
「でも、まぁいいわ。こうして手に入れられたんだもの。本当は最高傑作には最高傑作である神々の義眼を嵌め込みたかったんだけど、贅沢は言えないわね。この眼も中々素敵じゃない!」
そう言ってオカマさんが掲げた人形の眼は、さっき見た暗闇ではなく翼のアイスブルーの眼が瞬いていた。地に伏せる翼を見下ろす。今は瞼で覆われているが、もうここには翼の眼は…ない…
「もう大丈夫だ、少女よ!!」
呆然とオカマさんが掲げる翼の眼が嵌った人形を見つめていると、どこからともなくそんな声がこの場に響き渡った。そうして、翼を抱えて座り込む私の前に映りこむ大きな足。ゆっくりと視線をあげると、いつもテレビで見ていた世界のヒーロー…オールマイトが立っていた。
「玲央ちゃんッ!翼くんッ!」
「いず…?」
どうしていずがここに…?いや、そもそもどうしてオールマイトと一緒にいるの?
聞きたいことは山ほどあったけど、今はそれを聞ける余裕は私にはない。「ちッ…オールマイト相手じゃ分が悪いわね…」いずは私の背中を支えながら、そう吐き捨てるオカマさんを睨みつけた。
「オールマイトに出てこられちゃ勝ち目なんてないわ。今日のところは大人しく引いてあげる。…でもね、おちびちゃん?あんたの義眼は必ずあたしが奪って見せる。精々かわいい弟に庇われたことを悔いる事ね!!」
「ま、待てッ!!グラース!!」
「じゃーね」
そう言ってオカマさんは、手に持った紫の結晶を地面に叩きつけ、まるで瞬間移動するかのように消えたのだった。
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