06
「はい、できたわよ」
ぽん、と帯の結び目をお母さんに叩かれる。姿見にうつるのは、紺地に白い花を咲かせた浴衣を着た私だった。
「ありがとう、お母さん」
「いいのよ。…にしても、玲央が浴衣を引っ張り出してくるなんて珍しいわね。歩きにくいし暑いから好きじゃないって言ってたのに」
「いずとね、花火大会は浴衣着ていこうねって約束したんだ」
「あら、そう。緑谷くんと…」
そう行ってお母さんは「うふふ」となにやら怪しく笑った。…こういう笑い方してる時のお母さんって大体がいらんこと考えてる時だから、何も触れずにそっと立ち去ろっと。
巾着を引っ掴んで去ろうとすると、案の定お母さんがにやにやしながら私の後ろを着いてきた。もう、ほんっとそういうのいいって。
「待って玲央。お母さん詳しく聞きたいわぁ」
「詳しくも何も、いずは私の友達!」
自分の中では親友の括りではあるけど。いずもそう思ってくれてたらいいなぁ、なんて。
「えー、もっと何かないの?」
「ないよ」
いい年こいて娘の恋バナ聞きたがるお母さんとか厄介でしかないわ!
未だにうざ絡みしてくるお母さんを弟の翼に押し付けて、私はそそくさと家を飛び出したのだった。
「行ってきます!」
いずとの待ち合わせは夕方の5時30分。スマホで時間を確認すると5時13分で、今のペースで歩けばちょうどいい具合に待ち合わせ場所に着くだろう。
「楽しみだなぁ」
柄にもなく緊張している私がいる。変なところないかな?浴衣を着付けてもらうついでに髪の毛も上げてもらったから、首元がなんだか涼しい。ゴーグルはさすがに外してきたんだけど、目が開かないように細心の注意を払わないとびっくりしたりするとうっかり義眼を使っちゃいそう。
商店街に近付くにつれ、賑やかな喧騒と祭囃子が聞こえてきた。私たちの待ち合わせは商店街の入口。人の邪魔にならないように端っこに寄り、スマホを開く。
「着いたよー…っと」
LINEでいずにメッセを送るとすぐ既読がつき、返信が来た。何々…
「もうすぐ着くよー…」
「ご、ごめん!待ったよね!?」
メッセを読み終わるのといずに声をかけられるのはほぼ同時であった。走ってきたのか両膝に手をつき、荒く呼吸をするいずは私服だった。というよりTシャツ着てるのになんで“Yシャツ”ってプリントされてんの?どこで売ってんのそれ。とかまぁ色々突っ込みたいことは山ほどあったのだけど、とりあえずいずの背中をさすってやる。
「大丈夫?」
「だッ、大丈夫…!さすがに女の子待たせるのはよくないかなって思っ……」
「?どしたの?」
顔を上げたいずが急にフリーズした。ひょい、顔を覗き込むとなんか変な格好で顔を覆ういずは正直言ってちょっと引く。なんだ、その格好は。笑いでも取ろうってか。
「いやあのそのななッ…!なんでもないよ!」
「そう?…とりあえず、早く行こうよ!私かき氷食べたい!」
「ぴゃッ…!?ああああの玲央ちゃん手…!」
まぁ、なんせいつまでもここでこんなことをしていたらせっかくのお祭りが終わってしまう。焼きそば!たこ焼き!かき氷!
未だに変なポーズで顔を隠しているいずの手を取り(なんか変な悲鳴みたいなのが聞こえた解せぬ)喧騒賑わう商店街の中へと足を踏み入れた私たちだった。
商店街の屋台をめぐりながら、私の一歩後ろを終始挙動不審に歩くいずを横目にブルーハワイのかき氷を頬張る。甘くてさっぱりとした味の後にキーンッと頭が軋む感覚はお祭りの醍醐味である。
「ねぇ、いず」
「いやでもそうしたらぶつぶつ…」
「…お祭り、楽しくなかった?」
ぽつり、こぼした言葉にいずは驚いたように顔を上げ、私を凝視する。なんだか今日のいずはちょっぴり変。ずっと落ち着きがないし、無理に私に付き合わせてしまっているような気がして申し訳なくなってきた。しゃくり、もう一口かき氷を頬張ると今度は頭はキーンッてしなかった。
「どうして?」
「いず、ずっと挙動不審だし、忙しないというか…」
「……そっかぁ」
「はぁぁあああ……」としゃがみこんで頭を抱えそうな勢いで息を吐くいずに首を傾げる。俯くいずの顔は私からじゃ見えないけど、小さく「よしッ…」と意気込んでいることから何か腹を括ったらしい。一体何に腹を括るのか甚だ疑問だが、そうこうしているうちにいずは不意に私の手を取り、そのまま引っ張って商店街からはずれた。
「ち、ちょっと、いず?どこいくの?」
「いいから、着いてきて」
さっきまでのふにゃふにゃ感が抜けたような力強い声が飛んできて、ぎゅッと口元を結ぶ。黙ってついてこい、ということだろうか。
お祭りの喧騒が後ろの方で聞こえる。一体彼はどこまで行くつもりなんだろう。いずに手をひかれるがまま、やっとこさ長い階段を登り切った先にあったのは小さな神社だった。
「神社…?」
「ここって商店街から離れた所にあって、階段も長いから人があまりこないんだ。高い所にあるから街灯の灯りもここまで届かないし、花火を見るには絶好の穴場なんだ」
「へぇ、知らなかった…」
「知る人ぞ知るって感じかな」
小さい頃に見つけた場所だと、いずは言った。見渡せば確かに、街灯や家の灯り、商店街の照明は随分下の方に見える。
いずに促されるまま先程登ってきた階段に腰掛ける。ヒグラシがこの境内のどこかで鳴いているのか、しきりに声が聞こえた。
しばらくして、沈黙を破ったのはいずだった。
「なんというか…ごめんね。僕から誘ったくせに…」
「ううん、私こそ不貞腐れてごめんね。久しぶりにお祭り来れて、楽しかったよ」
「……………………浴衣、」
ぼそり、単語をこぼした。浴衣…がどうかしたんだろうか。
頭上に疑問符をたらふく浮かべていると、暗がりでもわかるくらいに顔を真っ赤にさせたいずが手の甲で口元を隠しながら目を逸らす。
「浴衣で行こうって言ってくれたのに家に浴衣がなかったとか、普段制服とかで見慣れてるから不意打ちだったとか髪の毛編んでるんだとか色々脳みそ掠めたけど、女の子って褒めてあげた方がいいのかなってずっと迷ってたらいつの間にか花火始まりそうだったしかと言って何も言わないのは男としてどうなんだって思ったからとりあえずここまで来てもらっ……」
「ちょちょちょちょい!ちょい待ち!ぶつぶつタイム禁止!」
「ご、ごめん…!」
「…で、結局なんだったの?あの挙動不審は」
「へ!?えっと…なんというか…」
「?」
「ッ……ゆ、浴衣!すごく似合ってるッ!!!」
静かな境内にいずの声がエコーした。顔をりんご飴見たく真っ赤にして俯いているいずだけど、実は私の顔もそれに負けないくらい真っ赤になっているのに気付いてはいないんだろうなぁ。
ごほん、咳払いを1つ。…てゆーか、
「いず、もしかしてそれを言うために今日ずっと変だったの?」
「変って…」
「だって一人で百面相してたし」
項垂れるいず。
…なんだ。
どぉーん、不意に周りが明るくなる。見上げると、夜空に浮かぶ大量の花。暗い夜空に色とりどりの花を煌めかせる花火は、久々に見たのもあって思ってよりもずっとずっと綺麗だと思った。
「綺麗だねぇ…」
「………うん、そうだね」
絶え間なく鳴り響くずっしりとした重い音。
…私とお祭りに来て楽しくなかったのかと思って不安だったけど、そうじゃないみたいで安心した。
「すごく、きれい…」
いずが何か呟いていたけれど、花火の音にかき消されて私が聞き取ることはできなかった。
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