▼ 28:さよならの一期一会
「ケイちゃん…その影どうしたの…!?」
会って第一声のマオくんの言葉だった。まぁ、当然か。別れるときはこんなものなかったしね。地面に揺れる私の影。普段ならきちんと私が移されているのだけれど、見える人には見えるんだろう。影に揺れるキツネの耳と九本の尻尾が。
問いただそうとしたのだろうマオくんだけど、ふと見たウィスパーに何かを悟ったのだろう大きく深呼吸すると眉間にしわを寄せながらこう言った。
「…やっぱりケイちゃんは自己犠牲が過ぎるよ。肝心な時に僕たちを頼ってくれない…。でも、たとえケイちゃんがケイちゃんでなくなってしまっても、僕はずっと君の友達だから。ケイちゃんが言ったように、友達に理屈は必要ないから」
本当、つくづく私は友達に恵まれたんだなって思った。
『感傷に浸っているところ悪いんだけど』
不意に私の頭の中にキュウビの声が響いた。この声はぢうやらマオくんにも聞こえているみたいで、少し警戒しながらキュウビの話に耳を傾けた。
『町全体を覆うこの異様な妖気に気が付かないのかい?』
「妖気…?」
そういえばなんとなく息苦しいような気はするけれど…
そんなことを思いながら周りを見渡していると、キュウビは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。…むかつく。
『僕たちが妖魔界に乗り込んでいるうちにあいつの手下が街の結界を壊したようだね。今じゃこの桜町全体が強大な妖怪のパワースポットになっているみたいだね』
「結界って…」
「前に私たちが封印し直した結界のことでうぃす?」
『そうさ』
「ケイ!」
鋭い声が私を呼ぶ。声の主…もといオロチは切羽詰まったように私に詰め寄った。
「妖魔界の奥に眠っていた妖怪たちが人間界を目指している。それに、倒したはずのあいつも…」
「あいつ…イカカモネのことだよね」
「あぁ」
「あいつがこの町の妖気を狙っているんだ…。このままじゃイカカモネにみすみす強大な妖気を明け渡してしまうことになってしまう」
「一体どうすれば…」
考えた。考えて考えて、答えが見つからなくて思考の終止符に難航していると、不意にウィスパーが言いにくそうに口を開いた。
「…一つだけ方法があります」
「あるの!?教えてウィスパー、一体どうすれば…」
「妖怪エレベーターを閉じるのでうぃす」
「なッ、」
『おや』
一瞬、ほんの一瞬だけれど、私の中にいるキュウビが動揺したような気がした。
『おやおや、思い切った決断だね』本当にいいのかい?』
「そんなことをしたら、オレたちみんな人間界にはいられなくなってしまうんだぞ」
「…どういう、こと…?」
「本来妖怪エレベーターは、二つの世界をつなぐ扉のようなものなのです。そこを閉じれば、二つの世界のつながりは完全になくなります。健在人間界で暮らしている妖怪たちも妖魔界に封じ込められることになるでしょう」
つまりそれは、妖魔界への強制送還。そして…ウィスパーやヤマト、ジバニャンたちとの別れを意味する。出会いがあれば別れもあるのは自然の摂理。けれど…
そんな突然に別れを受け入れられるほど私は大人じゃないのだ。
「…や、だ…私、みんなと一緒にいたい、別れたくない…!」
「我儘言ってる暇はありませんよ、ケイちゃん。こうしている間にも、妖怪たちは人間界に溢れ出してきているのです。人間たちはまだ気づいていませんが、それも時間の問題でしょう。いつか必ず影響が出ます。その前に…」
「…でも、」
妖怪エレベーターを閉じること。それはウィスパーたちとの別れを意味し、同時にキュウビとの契約も破棄されることになる。
私は…
「…わかった」
「ケイちゃん…」
「私、やるよ」
迷ってばかりだった。我儘を、駄々をこねればどうにかなると思っていた。けれど現実はそんなに甘くはない。何かを妥協しなければ得られないものがある。妖怪は嫌いだった。何んもしていないのにいつも私をからかってきて、いじわるしてきて、けれどそんな彼らが大切で大好きで、私の日常の一つにいつの間にかなっていた。
私たち人間の日常を守るには、私の友達との別れを決断するほかはないのだ。
「さすが、私のご主人様でうぃす。…いいですか、ケイちゃん、この町全体に結界を張り直すのです。元々あった結界よりもさらに強力なものを…。さぁ、これを使って、さくらニュータウンに桜を咲かせるのです!!」
そう言って手渡されたのは、妖怪花さかパウダー。ウィスパー曰く、この粉を桜の木に振りかけると桜を咲かせることができるのだとか。なんてご都合主義なのか、だなんて、この際何も言わないでおこう。
「あふれ出てきた妖怪たちの足止めはオレたちに任せてくれ。行くぞ、影」
「はッ」
いつの間にかオロチの傍らにいたらしい影オロチは、そろって颯爽と消えていった。そしてヤマトも「オロチにばかりいい格好はさせられんのでな」だなんてぼやきながら同じように去っていく。
「ケイちゃん、僕にも手伝わせて。人では多い方がいいでしょ?」
「え、でも…」
「マオ様のことは私に任せて。Sランクの名に懸けて雑魚たちからちゃんと守って見せるわよ」
「八百比丘尼…わかった。マオくん、無理はしないでね」
「ケイちゃんこそ」
マオくんに花さかパウダーを手渡し、それぞれに振り分けた桜の木のもとへと向かう。途中で何度かイカカモネの手下に襲われたりしたけれど、そこは何とかキュウビの力を駆使して退かせることができた。
キュウビの力は初めて使うのだけれど、私の中にキュウビがいるおかげで体が力の使い方を変わっているのか、すんなり扱うことができた。
手下たちを倒し、桜の木にパウダーをふりかけを何度か繰り返すころには、気付けば街のあちこちに桜の木でいっぱいになっていた。夏なのに桜が満開って…いつぞやの雪女の時の豪吹雪みたいにはたから見たらきっとただの異常気象なんだろうね、なんて。思わず苦笑した。
「ケイちゃん、大きな妖気がおおもり山に逃げていきます!」
「イカカモネ。だよね」
「はい。さくらニュータウンに結界を張り直したことでかなり弱っているようですよ」
『イカカモネを妖魔界に戻すなら、今しかチャンスはないよ?』
どうする、ケイ?
キュウビは意地悪く問いかけてきた。そんなの、聞かなくても深層心理に入り込んでいるあんたならわかっているでしょうに。ほんと…
「意地悪なキツネだね」
『褒め言葉だね』
おおもり山のご神木、妖怪エレベーターがある場所にまでイカカモネを追い詰めたはいいものの、最後の悪あがきとでも言うように桜町に流れる妖気を取り込み、姿を変えた。気味悪さが何倍にも倍増したイカカモネに顔が引きつる。
「妖怪が人間などの見方をするのはイカがなものかと。いイカ?私に協力すれば、人間界を手にすることも可能なのだぞ」
「そんなものに興味はないニャン!おれっちたちはただ、好きで人間たちと暮らしているニャンよ!それに、エミちゃんが暮らすこの町を脅かすわけにはいかないニャ!」
「ふん、人間に飼いならされ、妖怪としての誇りをわすれるなどイカがなものかと…。もはや話すことは何もない。人間界はこの私のものになるのだ!!」
そう言って攻撃してきたイカカモネの触手を避ける。キュウビの力をまとい、妖気をためてそれを炎へと変換させる。
「『紅蓮地獄!』」
「やまたのおろち!!」
キュウビの力の使い方が手に取るようにわかる。まるで前に一度使ったことのあるような感覚。そして、力を使えば使うほど私自身になじんでくるような気がする。気がする、じゃなくて実際にそうなんだろう。現にぼんやりとおぼろげだったキュウビの耳と尻尾が、今じゃ完全に目視できるくらいまでにはっきりと見えるようになってしまったもの。
「ケイ、体が…!」
「平気!私のことは大丈夫だから、早くイカカモネを…!」
「ッ…」
お互い攻撃し、攻撃され、私たちはみんなボロボロだった。けれど誰も諦めることなく、粘りに粘った末、ついにイカカモネを倒すことができたのだった。
完全に地に伏せるイカカモネを息を切らせながら見下ろす。
「イカん…なぜこの私が…!こんな結末はイカんじゃないかと…!お前たちのように、人間と馴れあい、誇りを失った者たちになぜ私が…!」
「…誇りって、一体何なんだろうね」
先ほどからずっと気になっていたイカカモネの言葉、誇り。イカカモネにとっての誇りは、自分は人間よりも優れているという妖怪としての誇りだった。けれど、全員が全員それを掲げているのかというと決してそうではないはず。
「私は、人間として妖怪であるみんなと友達になれたことを誇りに思ってるよ」
「ケイちゃん…!」
感極まったらしいウィスパーはハンカチをかみしめていた。顔の穴という穴からいろんなものが垂れ流れていてとても汚い。ジバニャンがドン引きしたようにウィスパーを見ていた。
「思い知ったか。これが我々の友情の力だ!」
「ぐ…ぐああああああああああああああああああ!!!」
耳を劈くような断末魔を上げたイカカモネは、今度こそ煙に紛れて消えた。枯れ果てていた木々や植物たちも元通り、きれいに咲き誇っている。勝ったのだ、私たちは。この長い長い戦いにようやく終止符が打たれた。…けれど、それは同時にウィスパーたちとの別れも意味している。
「…イカカモネを倒しても、妖怪エレベーターを閉じないとダメ…?」
「イカカモネがいなくなっても、妖魔界は未だ混乱しています。その混乱に紛れて、イカカモネの残党がまた人間界にやって来るやもしれません。それを防ぐには、妖怪エレベーターを閉じるしかないのです。それと…」
「ケイ、お前の目もだ」
ウィスパーの言葉を引き継ぐようにオロチが口を開く。私の目を、閉じる…?いったいどういうことなんだろう。思考を巡らせていると、私の中にいたはずのキュウビが外に出てきた。9本の尾を優雅に揺らす彼は驚く面々をよそに淡々と話し始める。
「目を閉じる。つまり、ケイが持つ妖怪を視る”力”を封印するということ。今後一切、未来永劫視えないようにするために」
「なん、で…どうして?そんなの困るよ!た、確かに初めのころはうんざりしてたけど、今は視えないと困る…!だって、もう二度とウィスパーたちが視えなくなっちゃうじゃん!!」
「それで、いいのでうぃす」
愕然とした。なぜ、どうしてが頭の中をぐるぐると回る。ウィスパーなんで…どうしてそんなこと言うの…?だって、もし妖魔界が落ち着いて、妖怪エレベーターがもう一度動くようになったときにみんなの姿が見えないんじゃ、探すことなんてできないじゃない…!
言いたいことは山ほどある。けれどそれは全部嗚咽となって完全な言葉を形成することはなかった。
「ケイちゃん、出会いに別れはつきもの。ここで出会った時から、私たちが分かれることは決まっていたんですよ」
「そんな…!」
「さてと、妖怪執事ウィスパー、最後の仕事でうぃす!」
ふよふよと妖怪エレベーターに近付くウィスパーに手を伸ばすものの、後ろからやんわりと手を掴まれることによってそれは意味のなさないものになった。
「影、オロチ…」
「…別れるのが辛いのは、お前だけじゃない。しかし、みんな表に出さないようにしている。一期一会は必然だ。オレたちの出会いが必然であるように、また、別れも必然なのだ」
呟く影オロチの声が胸に刺さる。その間にウィスパーは、どこからともなく取り出した”封”の文字が書かれたお札を高く掲げた。
「ま、待って…!!」
「閉じろ、妖怪エレベーター…!」
そうして、お札が入り口にたたきつけられた。途端に青白い光が瞬き、私の周りにいる友達妖怪たちが一人、また一人と消えていく。
「ケイ、おらたちに優しくしてくれてありがとうズラ!」
「少しでもケイと一緒に暮らせておらたち、本当に楽しかったズラよ!」
「コマさん、コマじろう…」
「あの日、さんかく公園でケイが私を見つけてくれて、ともだちになってくれたから今の私があるの。友達の大切さを教えてくれたあなたにはとても感謝してるわ!」
「雪女、」
「覚えてる?あなた、私を見て女神の微笑みだーって言って感涙してたわよね?あれが本当におかしくておかしくて、今でも思い出し笑いしちゃうわ。…そんなあなただからこそ、一緒にいたいと思った。正解だったわ。あなたってば危なっかしいんだから、しっかり誰かに手綱握ってもらってなさいよ」
覚えてる、覚えてるよ。忘れるなんてできない。
「ケイよ、ワシはお前をだましていたのにも関わらず受け入れ、それでいて友達だと言ってくれたことを心底嬉しく思っている。ケイと過ごした日々はとても楽しかった。ワシはお前のおかげで人間というものの考えを改められることができたし、友達とは何たるかをまざまざ考えさせられた。お前と友達になれたこと、誇りに思う。本当に、ありがとう」
この場所でウィスパーに呼び寄せられただけのカブトムシ、ヤマト。出会いは偶然かもしれないけれど、その偶然が糸のように絡まり、私たちの関係を深いものにさせてくれた。
「オレは幼少よりお前をずっと見てきた。お前はもう覚えてはいないだろうが、森で深手を負ったオレを手当てし、居場所をくれたケイにとても感謝している。…あの時お前と出会っていなかったら、オレはこの場には存在していない」
影オロチの言うように、小さい頃のことはあまり良く覚えていない。けれど私の何気ない言葉や行動で彼を救うことができたのなら、私自身も救われたような気がする。
「…執事としての仕事はこれで終わりです。私たちは、元の世界に帰ります。ですが、悲しむことはありません。きっと、またどこかで会えますよ」
「、あ…!」
左腕に付けていた妖怪ウォッチが消える。私の周りにいたみんなも、いつのまにかウィスパーだけになってしまっていてじんわりと視界がぼやけた。
「またっていつ…?いつからないようなこと、そんな無責任なこと言わないでよ…!」
「…出会いがあれば別れも必然…しかし、再開することもまた然り、なのです。いつかは私にもわかりません、ですが…」
ウィスパーの白い手が私の両目を覆った。人割と温かみを持つ彼の手にまた涙があふれそうになるけれど、唇をかみしめることによってそれを何とか止める。ウィスパーが苦笑したのが空気でわかった。
「その日まではまた」
「さようなら」
-----
ずいぶん駆け足で端折っていったところもたくさんありますがあと少しだけ続きます…!
ですが完結間近でございますもうしばしお付き合いを…!
prev / next