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いつものようにバイトを終えたモブは、夕暮れ時のほんの少し薄暗い黄昏を歩いていた。今日は最後の依頼人が少しだけ時間を前倒して来たため、師匠である霊幻が早めに店仕舞いをしたのだ。
夕焼けの赤を迫り来る濃紺が飲み込んでいく空模様は何とも言えない。普段は別段気にしないのだが、今日はなぜかモブの胸をそわり、と掻き立てた。

早く帰ろう、そう思い足を早めたモブは、ふと顔を上げた。同時に、視界の中に小柄な人影が入り込む。河川敷の橋の上からぼーッと川を見つめているそれは霊、ではない、人間の女の人だ。それでもモブがほんの少しでも身構えてしまったのは、女の顔があまりにも薄幸としていたからに他ならない。一切の表情を削ぎ落とした女はただ、何をするわけでもなく川を見下ろしていた。
何となく気になりながら橋を通り過ぎようとした時、不意にぐらり、と女の体が揺れた。「え?」突いて出た疑問符を飲み込む間もなく女は手摺を乗り越え、頭から真っ逆さまに落ちていく。
咄嗟だった。
手を伸ばし、超能力を使う。あと少しで川に叩きつけられる寸前の女の体が浮かんだ。浅いとはいえ、いや、浅いからこそあの高さから、しかも頭から落ちて無事にすむはずもない。バクバクと嫌に早鐘を打つ心臓を抑えながら女を引き戻したモブは駆け出した。


「大丈夫ですか…!?」


女に駆け寄り、声をかけるモブ。だが、当の本人はモブの超能力に驚くわけでも、橋から落ちたショックを受けるわけでもなく、ただただぼんやりと宙を見つめ、ぼやいた。


「…なんだ、生きてるのか」


普段空気を読むのを得意としないモブでもさすがにわかった。この人、自殺しようとした。
焦りだったり、困惑だったり、色んな感情が奔流するモブをよそに虚空を見つめていた女はくるり、とモブを振り返る。


「今のどうやったの?」

「へ?」


思わず聞き返してしまった。いや、それをなしにしても、女は些か呑気だった。ついさっき橋から飛び降りた人間の言葉じゃない。だけど、だからこそモブもそんな女の呑気さに釣られてしまった。


「えっと…僕、超能力が使えるんです…だからさっきも、超能力でお姉さんを…」

「ふーん、そっか」


それだけ言った女はまたぼーッと宙を見つめる。
どうしよう。
堂々巡りのようにその言葉ばかりがモブの脳内を駆け巡る。だって、明らかに自殺しようとして、だけど、あっけらかんとしているこの人が一体何を考えているのか全くわからない。かといって、じゃあさようならと言えるような雰囲気ではないことは空気を読むのが苦手なモブでもわかった。


「(ほんと、どうしよう)」


こうなったら師匠に電話して来てもらうしか…。なんて思い始めた頃、唐突に女がすくり、と立ち上がった。


「ごめんね、嫌なところ見せちゃって。ここ、君の通学路?」

「え?あ、はい…」

「そっかぁ。なら、なおさらごめんね。もう遅いから、君も早く帰るんだよ」


びっくりするほど、女は笑顔だった。あまりにも普通に笑うから思わず絶句したモブは呆気に取られる。


「助けてくれてありがとう」


そう言い残し、女は踵を返した。あぁ、行ってしまう。
…本当に、いいの?

なんとなく、このままあの人を行かせては行けないような気がした。


「本当に、そう思ってますか…?」


無意識に口からまろび出た声は、モブが思う以上に震えていた。ぴたり、足を止めた女の背中にもう一度「本当にそう思ってますか」と投げかける。


「…どうしてそう思う?」

「いや、何となく…だけど…」


お姉さん笑顔だけど、なんだか泣いてるような気がしたから。
そう言い終わった瞬間、ばッ!と勢いよく振り返った女にモブは肩をビクつかせる。…が、それよりも、くしゃりと顔を歪めて、今にも泣き出してしまいそうな女の表情に釘付けになった。どうしよう、泣きそうだ。「あの…」モブが女に声をかけたのと、女が「ねぇ」と消え入りそうな声で囁いたのはほぼ同時だった。


「君、さっき超能力が使えるって言ったよね?テレパシーとかもできるの?」

「いや、テレパシーはできませんけど…」

「そっかぁ…そうなんだ…」


ぶわり。ついぞ堰き止めていた涙が女の大きな目玉からこぼれ落ち、地面に斑点模様を無数に付けた。泣きながら歪に笑う、なんとも言えないそんな顔。


「中学生にバレてたんじゃ世話ないよなぁ」


はは、なんて笑い声は次第に嗚咽へと変わっていき、ついぞ本格的に泣き出してしまった女にモブは大いに慌てふためいた。「あ、あの…えっと…泣かないで…」おろおろと狼狽えながら声をかけるものの、完全に何かのタガが外れてしまったらしい女は泣き止むどころかむしろ勢力を増した気がする。


「お、お姉さん、とりあえずあっち行きましょう…?ここじゃあなんだから…」

「う"ん…」


泣きじゃくる成人女性の手を引く中学生の絵面は、傍から見ればなんとも珍妙だった。時間が時間だからこそ人の目はそれほどないものの、この河川敷は仕事帰りのサラリーマンもよく利用するため、たまたまその光景に遭遇してしまった人たちは怪訝そうに、けれどどこか心配そうに2人を見遣りながら足早に立ち去っていく。

どうにか移動した2人は芝生に腰かけた。散々泣きまくった女は次第に落ち着いてきたらしく、しゃくり上げながらパンプスのつま先を見つめている。静かな河川敷に女の嗚咽だけが木霊する。
どうしたものか。とりあえず女が泣き止むまで待っていたモブは、ぱかり、と口を開いた。


「どうして飛び降りたんですか?」


とんでもなくド直球であった。ようやっと泣き止んだらしい女はモブの超絶直球な物言いに苦笑いを返す。


「別に死にたいわけじゃなかったんだよ。それより、急に泣き出してしまったごめんね」

「いえ、それはいいんですが…。じゃあ、どうして」

「どうして…うーん、どうしてだろ…なんとなく…?」

「なんとなくって…」

「だって他に思いつかないんだもの」


まるで怒られた子供みたいに唇を突き出す女にモブはいよいよ困惑を顔に出した。女は続ける。
朝起きて、ご飯食べる間もなく働いて、愛想振りまいて、夜遅くに帰って、体は疲れてるはずなのに全然寝れなくて、仮眠程度の時間寝て、起きて、また働いて。毎日毎日同じことの繰り返しで、なんというか。


「ちょっと、疲れたなぁって」


後ろ手をついた女の顔は空に向けられる。いよいよ夜の帳が降り始めた空に少しずつ星が光り始め、ひょっこりと顔を出した細い月が女の顔を照らした。青白い薄明かりのせいかはわからないが、ひどく顔色が悪いし、よくよく見てみれば目の下のクマも濃い。
げっそりと疲れきった表情を浮かべる女にモブはどう声をかけていいかわからず、唾を飲んだ。こういう時、師匠のように気の利いた言葉なんかが言えればいいのに。そう思った。
再び沈黙が支配すること数分。先にそれを破ったのは女だった。


「こんなん、君に言ったって仕方ないのに、これから未来のある少年にこんなこと言っちゃってごめんね」


女は立ち上がり、もう一度「ごめんね」と告げる。今度は泣き出しそうな顔をしていなかった。


「愚痴っぽくなっちゃった…。君に聞かせるようなことじゃなかったけど、でも、話聞いてくれてありがとう。せっかく君に助けてもらった命だからね。もう少し頑張ってみるよ」


にっこり、屈託なく笑う女が急に心配になった。漠然とした焦燥感だけれど、モブはなんとなく、あの女がまた飛び降りるような気がした。


「お姉さん」


立ち上がり、思わず掴んでしまった女の腕のあまりの細さに瞠目するモブ。「どうしたの?」だけど驚いたのは女も同じだった。モブに掴まれる腕とモブの顔を交互に見遣る女の顔には困惑が浮かんでいる。
呼び止めたはいいものの、何を言えばいいんだろう。あー、だの、うー、だの、なんとも言えない呻き声をこぼした後、何も考えがまとまらないままぽつり、ぽつり、口を開いた。


「社会人生活がどれほど大変なのか、僕はまだ知りません。僕が言うことじゃないのかもしれません。…だけど、お姉さんは少し休んだ方がいいと思います。働くことは大切なことだと思いますが、根詰めすぎるのもよくないです。こう、息抜きとか、友達と遊んだり、今みたいに誰かに話すだけでも気が楽になると思うし…」

「けど、私友達いないし…忙しすぎてそれどころじゃない…今日はたまたま早く帰れたけど、いつもはもっと遅いんだよ…」


もごもごと蚊の鳴くような声で呟く女にモブは逡巡した。考えて考えて、だけど、結局考えたところでそのどれもが自分の言葉じゃないような気がして、だから、モブは今自分が思ったそのままの言葉を何にも飾らずに真っ直ぐ女の目を見て言った。


「だったら、僕があなたの友達になる」

「…え…?」

「多分、だけど…今お姉さんに必要なのは時間じゃなくて、人なんだと思う。誰かと何かを共有したり、それこそ、ほんの些細なことで笑ったり、泣いたりするだけで孤独は拭えるんだ。人は多くの人と関わって成長していくし、変わることができる」

「…君の人生に私を組み込むことなんてないんだよ。君の人生は君だけのものなんだから」

「なら、どうするかは僕が決めたっていいはずだよ。人には人が必要で、いつか誰かが必要になる。きっとお姉さんには今が必要な時なんだ」


女の腕から手を離したモブは、そのままの手をす、と女の前に差し出した。


「僕と友達になってください」


ひたすらに真っ直ぐな目だった。暗がりにも関わらず、だけど、女からはモブが眩しいくらいに輝いて見えた。
手を取っても、いいのだろうか。年下のこの子に縋ってしまっても、甘えてしまっても、いいのだろうか。深く考えた。だけど、心の中に巣食う寂しさに抗えずに、女は震える手を伸ばして差し出されるモブの手を取ったのだった。


「ありがとう」


そう言うや否や、しゃがみこんで再びぼろぼろ泣きじゃくる女にモブはそろそろと背中を撫で続けた。

しばらくして、モブのバイト先である霊とか相談所で元気いっぱいに動き回る女の影があったのはまた別の話。