▼ 1:突飛なお話のこと
「ケイ、今からお寿司食べに行くわよ!」
イカカモネの反乱から数週間。妖魔界もある程度落ち着きを取り戻したある日の夕方、部屋の掃除をしているところにお母さんが突然乱入してきた。てゆーか、なんでいきなりお寿司…?
ぽかん、とお母さんを眺めていると、お母さんはしびれを切らしたように鼻息荒く私に紙袋を押し付けた。
「ほら、ぼーっとしてないで早くこれに着替えて!あと10分したら出発するからね!遅れたらおいていくわよ、いい?」
早く支度しなさいよー!
そう言い残してお母さんは嵐のように去っていった。何、一体何なの…
「お母たま、何やらすっごくテンションが高めでしたねぇ」
「ただたんにお寿司が楽しみなだけにゃん?」
「うーん、何だかなぁ…。とにかく、置いて行かれちゃたまらないから早々に準備しちゃおうか」
「うぃっす!」
ガサゴソと紙袋の中を漁ると、出てきたのは洋服だった。見た感じなんだかとってもいいところの生地っぽいんだけど、これいくらしたのかな…そもそもいつこんなの買ったの…?
果てしない疑問符を頭上に飛ばしながらウィスパーたちを部屋から追い出し、私はいそいそと着替えた。
「…うわ、めっちゃヒラヒラしてる…」
着替えたはいいものの、服がお母さんの趣味すぎてなんかちょっと…あー…ってなってる。濃い灰色のブラウスに赤いハイウエストのヒラヒラスカート、ハイソックスはピアノの発表会で履くようなレースがついたやつ。レースってたまにかゆくなるから、私としてはあまり好きじゃないのだけれど…
「…あまり文句言ったらお母さんに怒られるしなぁ…」
まぁ、お寿司食べに行くだけだし、一時の辛抱だと思えばどうってことないか…
リボンタイを首に結びながら私は自室を後にした。
「…あの洋服を目にした時点で薄々気づいてはいたけれど…」
「どうした、ケイ?イクラ嫌いか?」
「マグロ好きだったでしょ?今日は遠慮なんてしなくていいたら、たーんとお食べ!」
「あ、ありがとう…」
寿司は寿司でも、まさか回らないお寿司屋さんに連れてこられるとは思ってもみなかったんだけど…
私をはさんで楽しそうに談笑しながらお寿司を食べるお父さんとお母さんを横目に小さくため息を吐く。うん、嫌いじゃないよお寿司。むしろ好き。
けどね…普段めったにこういうところに来ないからいろいろ勘繰ってしまうよね。例えば何かの景気祝いだとか…
「勘繰りすぎですよケイちゃん。きっとお母たまたちもそこまで深い意味があってここへ連れてきたんじゃありませんって!」
「うーん…なんか釈然としないんだよねぇ…」
「疑り深いのもよくはないぞ。ここは素直に喜んだらどうだ?」
「ヤマトがそういうのなら…」
「ちょっとケイちゃんそれは一体どういうことでござーますか!?」
「あ、お母さん私エビがいいな」
「切り替え早ッ!!」
後ろで何やら喚いているらしいウィスパーを放置して改めて目の前に並ぶお寿司を頬張る。めっちゃうまい。回らないお寿司なんて食べたの初めてだよ。目の前で握ってもらえるだけでこんなにも味が違うなんて、匠の技だよねぇ。
しみじみと感じながら腹八分目まで食べた私は、店員のお姉さんが出してくれたあがりを飲みながらほっと一息ついていた。お茶一つおいしいとかこの店ずるいわぁ…
「ごちそうさまでした」
「どう?おいしかった?」
「うん、すっごくおいしかった!」
「はは、そりゃよかった!」
口々にネタの感想を言い合い、家族団らんのほのぼのとした空気に包まれる。たまには家族みんなでご飯食べに行くのもいいかもね。お金はかかっちゃうけど、みんなで外で食べるのは冒険してるみたいでなんだか楽しいから。
お父さんの話に相槌を打ちつつお茶を飲んでいると、不意にお母さんがどこか深刻そうに口を開いた。
「それじゃあ、お父さん。そろそろあの話を…」
「あ、あぁ…そうだね…」
「?どうしたの?あの話って何?」
緊張した面持ちで私を見るお父さんの視線に思わず背筋が伸びる。これは、このパターンは…なんかスっごく突飛でもないことを言われそうなそんな予感がするんですけど…
お父さんとお母さん以外の全員が固唾をのんでお父さんの言葉を待つ。そしてお父さんは、固く閉ざした口をゆっくりと開いた。
「実はな、ケイ…」
「う、うん…」
ごくり。誰かの生唾をのむ音が聞こえた気がした。
「お父さん、転勤になっちゃったんだ…」
転勤になっちゃったんだ―
てんきんになっちゃったんだぁ―
なっちゃったんだぁ―
たんだぁ―
だぁ―
ぁ―
―…
……………………………………え。
たっぷり間をあけて口から出たのがたった一言。転勤って…え、どういうこと?お父さん、今までそんな素振り見せなかったじゃない。
混乱しすぎて理解の追いつかない私を放ってお父さんの話は進む。転勤先は海外のUSAらしく、お父さんだけでなく何と家族全員、詰まるところ私やお母さんも一緒に向こうに行くことになったとかなんだとか…
「……聞いてないんだけど」
「ケイをびっくりさせたくてな!来週には引っ越すつもりでいるから、それまでちゃんと荷物をまとめて、友達にあいさつしてくるんだぞ?」
「そうよ、今度日本に戻るのなんていつになるかわからないんだから」
お父さんの仕事がうまく行ったら、ケイもUSAの中学校に入学することになるのかぁ。
この年から外国に行けるなんてすごくいい経験よね!
喜々としてお父さんとお母さんが話しているけれど、当の私は全く話が耳に入ってこない。え、待って待って整理させて…え?
下手をすると、日本に戻ることなくUSAに永住ってこと…?そんな…だって私フミちゃんたちと約束しちゃったよ…?一緒に中学校行って一緒の部活入ろうねって。それはどうなるの?
…まぁ、子供の私が何言おうが所詮は意味ないんだけどね。
「……うん、そうだね」
出てきそうなため息を飲み込んで私は精一杯の笑みを浮かべた。
夏休みもまだ半分残っているというのに、世知辛い世の中だなぁ。
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