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「雲行きが怪しくなってきたな」
窓から空を見上げた霊幻さんがぽつり、とこぼした。次のお客さんが来るまでの空き時間に勉強をしていたあたしは同じように窓に視線を向ける。確かに、どんよりと分厚い雲が覆う空は今にも雨が降り出しそうだ。
「今朝のお天気ニュースでは、場所によっては雷が鳴るって言ってましたよ」
「そういやそんな事も言ってたな…。悠ちゃん、傘持ってきてるか?」
「持ってないです…けど、あたしなくても帰れますよ」
「瞬間移動ってのも便利なものだよなぁ」
しみじみと呟く霊幻さんに苦笑い。まぁ、便利っちゃ便利だけど、あたしの場合飛べる限界距離とかあるからなぁ。測ったことないけど、あることはなんとなくわかる。
ここからだと家までは割と余裕で届く距離だったりするから、まぁ、万が一に傘がなくても雨に濡れずに帰れるよね。降らないに越したことはないけれど。
「…にしても、ここに来る度勉強ばっかしてないか?漫画とか読まねぇの?」
「あまり読まないですね…そもそも家に漫画ないし。勉強に関しては学校に行ってない分自分でできる範囲でやらないとって思って」
「出席日数とか大丈夫なのか?一応受験生だろ」
「学校から定期的に問題用紙送られてくるので、それやって出席日数稼いでるって感じですね。受験も…別に行きたい高校とかないし、どうしようかなって…」
「まぁ、高校っつっても義務教育じゃないしな……っと、お喋りはここまでだな」
どうやらお客さんが来たらしい。手早く勉強道具を片付けて、やって来たお客さんを席にご案内してから給湯室に引っ込む。お茶っ葉の缶を開けてみて……あれ、ほとんどないや。かろうじで今来たお客さんの分はあるけど、明日以降は怪しいかも。霊幻師匠さんに言わないと。
とりあえず淹れたお茶をお客さんに出して受付けに戻る。お客さんの話と霊幻さんの料金説明を聞きながら、今回も本物じゃなくて肩凝りか…なんて思いながら机の下からマニュアルを引っ張り出した私であった。
***
とてもギリギリだった。朝出る前に何を思ったか洗濯物を外に干してしまった事を、ぽつりぽつりと降り出した雨を帰る直前の事務所で見た時にふと思い出したあたしがやむなくテレポートで自宅まで飛び、ベランダに飛び出したのがついさっきである。
やばいやばい。早く入れないとせっかく洗ったのにまた洗わないといけなくなる…!二度手間すぎてやだ。もう、朝のあたしの馬鹿。なんで外に干して行ったかなぁ。
なんて、自問自答するものの、干してしまったのならどうしようもない。というか朝晴れてたし。こういう時テレポートができてよかった、なんて現金に思う。
若干雨に濡れたものの、洗濯し直すほどじゃない。部屋干ししながらファブリーズ振りまくれば匂いも残らないし乾くかな、などと思いながら最後の1枚であるバスタオルを取り込もうとして、気付く。あたしのマンションがあるちょうど向かい側…反対側の歩道を傘もささずに歩く人影を見た気がした。こんな土砂降りなのに傘忘れたのかな…かわいそうに。風邪引かなければいいんだけど…。
「…って、あれ…?」
というか、傘刺さずに歩いてるのってもしかして影山くんじゃなかろうか…。
遠目からじゃ微妙にわからないけど、学ランに重たい前髪、見覚えのある全体的なシルエットはひどく影山くんに酷似していて、ぎょ、と目を剥いた。いや、もしかして、じゃなくて、もしかしなくともあれ影山くんじゃ…。
「ちょ…!影山くん!」
知り合いとわかった以上無視するわけにはいかない。バスタオルを部屋の中に放り込み、玄関に立てかけている傘を引っ掴んで靴を履いたと同時にテレポートした。「影山くん!」咄嗟にしては中々いい場所に飛べたんじゃなかろうか。内心で自画自賛しながらすぐ目の前を歩く影山くんの腕を掴むと、尻尾を踏まれた猫よろしくびくぅッ!と肩どころか全身が大きく揺れた。そ、そこまでびっくりせんでも…。
「悠ッ…さん…!?び、びっくりした…というか一体どこから…」
「ベランダから影山くんが見えたから飛んできたんだよ!それに、びっくりしたのはこっちだから!傘も刺さずにこんな雨の中帰るなんて風邪引くよ?」
「……」
「…影山くん…?どうしたの?」
「いや…なんでもないよ」
そのわりには、なんだか元気がないように見えるのだけど…。表情こそあまり変わらないものの、なんとなくしょんもりしているような気がする。なにかあったのだろうか。
…なんにせよ、いつまでも影山くんを濡れたままにするわけにはいかない。
「影山くんって、家どこ?」
「え?」
「思いのほか濡れ鼠だからさ…。送っていくよ」
「そんな…悪いですよ。僕なら大丈夫ですから」
「いや、どう見ても大丈夫じゃないじゃん…」
「う…」
「…このまま普通に歩いて帰るより、あたしが影山くんちまでテレポートした方が早いよ。風邪は引かないに越したことないし、それに、飛ぶなら人通りが少ない今が一番いいから」
「…ありがとうございます」
影山くんから住所を聞いて逡巡する。そのくらいの距離なら余裕で飛べそうだ。「しっかり掴まっててね。途中で離すと胴体ちょんぱしちゃうからね」「え」普通に嘘である。
脅したみたいになったせいで若干食い気味にあたしの腕を握りしめる影山くんに申し訳なさしか湧かなかった。ほんと、ごめんね影山くん…ちょっとした出来心なんだよ…。心の中で謝った。
しっかり影山くんの家の場所を頭にうかべて、テレポート。「うわッ」瞬く間に変わった景色に影山くんが声を上げたけど、多分テレポートは初めてだろうからそういうリアクションになるよね。
「はい、ついたよ。ここであってた?」
「あってます。悠さん、ありがとうございました」
「…」
「悠さん…?」
「あのさ、影山くん」
「はい?」
呼び止めたものの、そこから先が言葉にならない。口を開いて、閉じて、噛み締める。正直、どこまで踏み込んでいいものかわからないのだ。迷惑じゃないかな、とか、余計なお世話だろうか、とか、影山くんはきっとそんな事思わないのだろうけど、つい考えてしまう。友達と言う友達がいないあたしの初めての友達だから、慎重になってしまうのは否めない。
…だけど、やっぱり影山くんの力になりたいって思うから。
「あの…えっと…もし何か悩んでたり、困った事があったら言ってね…?あたしでよければお手伝いするから」
言った…言い切った…。少し強引過ぎただろうか…いやでも、このくらいじゃないと控えめな影山くんだから全部自分で抱え込んでしまうかもしれない…。あたしは年上なんだから、しっかりしないと…!
なんて、お姉さんぶってみた。
「…ありがとう、悠さん。けど本当に大丈夫だよ」
なんて意気込むものの、思いのほか穏やかに、ほんの少しだけ口元を緩めた影山くんに無意識に強ばっていた肩が降りた。
「そっか…ならいいんだ。あ、引き止めてごめん…!早く家入って!風邪引かないようにしっかり温まってね!」
「わかりました」
それじゃあ、またね。
ばいばいと手を振って、影山くんが家の中に入って行くのを見届けてからもう一度テレポートした。今度はあたしの部屋だ。
玄関に傘を立てかけ、適当に靴を脱ぎ捨ててリビングのカーペットに腰掛ける。なんとなく手持ち無沙汰になってテレビをつけてみると、ニュースは今日の夕方くらいに調味市で起こったらしい怪奇現象について持ち切りだった。
え…夕方の5時過ぎって…あたしまだ相談所にいる時間じゃん…こんなん起こってたの知らなかった…。
「……あ」
ふと、気付いた。影山くんがなんだか元気がないような気がした理由って、もしかしてこの怪奇現象が関係してたりするのかな…。
よくよく考えれば、こんな現象普通じゃ起こらないよね。だとすると…。
「…明日それとなく聞いてみるか」
聞いてみて、何かしら答えてくれるならそれでいいし、影山くんが言いたくないのならそれ以上は詮索しない。
ぶちり。テレビの電源を落として重たい腰を上げる。今日はもう寝よう。お風呂は明日の朝でいいや。
服を脱ぎ捨て、着替えるのもままならずにキャミソールのまま布団に潜り込んだ。
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