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「ねぇ、冬姫」


夜も更け、吉原が一層賑わう頃。店の中を走り回る私に女将さんがふと声をかけた。


「なぁに?女将さん」

「……ちょっと、こっちにいらっしゃい」

「え?でも…」


手元のお膳に視線をおとす。これは今から大部屋にいるお客たちへ持って行かないといけないものだ。言おうか言わまいか迷っているような、そんな雰囲気を醸し出す女将さんはどうやら私に話があるみたいで。だけど、これを持って行ってからじゃだめだろうか…
そんな事を考えながらお膳と女将さんの顔を見比べていると、不意に持っていたお膳が手から消えた。「代わりに持ってってやるよ」近くにいた姐さんが私の代わりに大部屋へお膳を持って行ってくれるらしい。「ありがとう、姐さん!」それに遠慮なく甘え、女将さんが部屋に入っていく後を追った。


「女将さん、どうしたの?急に私を呼び付けて…」


神妙な顔付きの女将さんに話しかける。口を開いたり閉じたり、どことなく言いづらそうだ。こんな女将さんは珍しい。いつだって言いたい事はずばッと言ってしまうのに、どうしたんだろう。


「蕨姫の事なんだけど…」

「姐さん?姐さんがどうかした?」

「あんたは…あの子の事をどう思ってる?」


なぜ女将さんがこんな事を聞くのかわからなかった。そりゃあ蕨姫姐さんはどうしようもなく癇癪持ちで、すぐ手が出るし、性格もキツいし、他の姐さんたちや禿たちから恐れられているけれど、それは周りが思っている事であって私が思っている事ではない。


「私は蕨姫姐さん、好きだよ」

「…………そう」


そう言ったきり、女将さんは黙りこくってしまった。悩むような、難しい顔だ。もしかして私は間違った事を言ってしまったのだろうか。だけど、本当にこれは私の本心なのだ。
じ、と女将さんを見つめていると、私が不安な顔をしている事に気付いたのか困ったように笑いながら、私の頭を撫でてくれた。


「冬姫がそう思うのなら、それでいいよ。けど、これだけは忘れないでちょうだい。いくら蕨姫が冬姫にだけ優しかろうが、あの子はお前が懐いた姐さんたちを虐め殺していたという事を」

「そんな、大袈裟だよ…確かに蕨姫姐さんは気が短いし、怪我人は何人も出てたけど、殺しだなんて…」

「いいから、わかったね?」


冗談、だなんて、笑い飛ばせるような雰囲気じゃなかった。
女将さんは厳しい。けれどその厳しさは、様々な事情で京極屋に売られてきた人たちを、せめてこの世界でも一人で生きていけるようにと私たちの事を思っての優しさだった。だから女将さんはこの店の誰からも好かれているし、女将さんもこの店で働く全員の事を想ってくれている。
…だから、女将さんがただ一人の事をこんな風に言うのはよっぽどの事だ。「うん…」消え入りそうな声で返事をすれば、女将さんは私を引き寄せて、ぎゅッ、と抱き締めた。


「冬姫、どうか…どうかお前だけは…」


その後の女将さんの言葉は、正直よく覚えていない。大袈裟だなぁ、とか、心配性なんだから、とか、きっと何かしら思ったんだと思う。

…その日の晩。夜がとっぷりと更ける頃。女将さんは死んだ。転落死だったそうだ。





***



女将さんが死んでからというものの、店の中は以前に増して暗い空気が流れていた。旦那さんも、顔には出さないけれど、ひどく悲しんでいる様子。


「………」


だから私は後悔した。あの時ちゃんと女将さんの話を真剣に聞いていたらって。もっと寄り添ってあげられてたらって。女将さんがなんだか思い詰めていたのはわかっていた。私にあんな事を言ったのも、抱き締めてくれたのも、何かを伝えようとしたから。
それなのに、私は…


「冬姫」


はッ、と意識が戻って来た。蕨姫姐さんの支度準備を手伝っていたのだけど、どうやら余所事を考え込んでしまっていたらしい。顔を上げると、怪訝そうに眉を顰める蕨姫姐さんが私を見つめていて、その双眸にどきり、と変な風に心臓が脈打った。


「手が止まってる、ぼーッとしてんじゃないよ」

「ご、ごめん姐さん…」

「……何考えてんだい」

「え?」


不愉快、という感情を隠しもせずに顔を顰めた蕨姫姐さんに、素っ頓狂な声を上げる。何を考えてる、か…


「…ううん、何も考えてないよ。ただ、女将さんが死んじゃって…寂しいなって、思っただけ…」

「そう。………」

「…?姐さ…わぁ!」


ぐいッ!と腕を引かれた。身構えも何もしていなかった私の体はいとも簡単にバランスを崩し、そしてあろう事か蕨姫姐さんの腕の中に突っ込んでしまった。ほあああー!!


「ね、姐さんごめんなさい…!私ッ…」

「泣いてないんだろ?」

「ッ…」

「惨めったらしく泣けばいいのに、お前って子は…。昔からそうだ」

「ごめん…」

「謝るんじゃないよ。あんたはいつものように、びーびー泣き喚いてればいいのさ」


泣き喚いてって、私そんな毎度毎度喚いてないんだけど…。蕨姫姐さんの中の私はいつまでも赤ん坊らしい。
あはは、と苦笑いしようとして、視界が滲む。


「あれ…」


ぼろぼろこぼれる水滴を拭うけれど、次から次へと溢れてくるから追いついていない。蕨姫姐さんの着物につかないよう顔を離そうとしたら、それをさせまいと言うように後頭部に手を添えられ、押し付けられた。


「姐さん…着物…汚れちゃう…」

「構いやしないさ」


ぽん、ぽん、規則正しく、それでいてゆっくりと背中を叩かれる。その感覚が、昔、泣きじゃくっていた私をあやす女将さんの手に似ていたから、どうしようもなく悲しくて、苦しくて。


「お母さん…!」


私の涙が蕨姫姐さんの打掛に吸い込まれていく。あとでしっかりと染み抜きをしないと、なて思いながら、姐さんの肩に顔を押し付けて泣いた。

だから、私は知らなかった。姐さんが笑っていた事も。どういう表情をしていたのかも。