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十三




「離して!!」


私を抱える腕を振り払って距離を取れば、彼女ーー雛鶴さんは困ったように眉を下げて私を振り返った。


「あなたは、やっぱり冬姫なの…?だけど、その髪…」


戸惑うように私を見つめる雛鶴さん。彼女の反応も最もだ。見なれた髪色をしていない今の私は、事情をよく知らない人から見ればただの化け物に等しいのだから。

…私は、生まれた時から髪が白かった。いや、髪だけじゃない、目も、普通の人のものとは程遠い鮮やかな紅色で、体の色素が欠乏した疾患なのだと医者に言われた。
だから、私のこの姿を見た人は皆私を気味悪がるため、これを隠すために髪を染め粉で黒くし続けていたのだ。

…だったのだけど。


「…私は、冬姫、だよ…雛鶴さん。切見世に行ったあなたがどうしてここにいるのだとか、色々聞きたい事はあるよ。わからない事、知らない事、たくさんある。…だけど、聞かない。いや、聞けないから、だから、雛鶴さんもこれから私がする事に口出しをしないでほしい」


もう、私は嘘をつきたくない。今度こそ自分に正直でいたい。だからこそ、自身の偽りの象徴である髪に塗ったくった染め粉を落としてここに立っているのだから。


「…何をしに行くの?」

「話がしたい。蕨姫姐さんと、善子ちゃんと」

「善子はともかく、蕨姫花魁は話が通じるような相手じゃないわ。あれは、人を貪り喰う鬼なのよ」

「鬼…」

「そう、この吉原に長い間巣食っていた鬼。この街で起きた不可解な怪死や遊女たちの失踪は、確かに足抜けもあったかもしれないけれど、そのほとんどが蕨姫花魁によるものなの」

「……」

「それに、あなたがあの中に入ったところでみすみす死にに行くようなものだわ」


蕨姫姐さんが、鬼。人じゃない。さっきほんの一瞬見た姐さんは、服装や姿が変わってもあれが姐さんだとなんとなくわかった。だけど、そう、人じゃなかったんだね。
妙に腑に落ちた。すとん、と。なんの違和感もとっかかりもなく、腹の底に落ちた。今ならわかる。時折姐さんから漂ってきた鉄の匂いも、私の周りで起きた不可解な変死体も。もう、これで目を反らす事ができなくなったし、反らす理由もなくなった。
受け入れ難い事ではある。腑に落ちたものの納得はしていない。…それでも。


「それでも私は、姐さんに会いに行く。いいや、会いに行かないといけない。だって、直接本人の口から理由を聞くまでは納得できない!!」

「ッ、冬姫!!」


駆け出した。背中に飛んでくる雛鶴さんの声を振り切って、ただ走った。彼女は追いかけてこない。きっと雛鶴さんなら私を捕まえるだなんて造作のない事なのに、どうして、なんて思うけど、まぁいいや。
場所は覚えてる。生まれてこのかた育ってきた街並みだ。私がわからないはずがない。
今でずっと素足だったからか、石が足の裏に刺さるし、あちこち瓦礫まみれでそれらをずっと踏んずけていたからか、すっごい痛い。通りを真っ直ぐ突っ切って、右の路地裏に入って、抜ければーーいた。


「蕨姫姐さん!!」


声の限り叫べば、屋根に腰掛けていた蕨姫姐さんがゆったりと私を振り返った。驚いたように、姐さんの不思議な採光が丸くなる。その下の、崩れた瓦礫の中には二回も私を助けてくれた男の子と、ガリガリの人。男の子は私を見るなり「どうしてここにいるんだ」と言わんばかりに目を見開いていたし、ガリガリの人に関しては心底不機嫌そうな顔で私を睨み付けていた。
こ、怖く…ないんだからね!!

震える何もかもを抑え込んで、小さく深呼吸をした。


「蕨姫姐さん、だよ、ね…」


姐さんは何も言わなかった。


「わた、私…わたし…」

「…何しに来たの」

「へ…」

「何しにここに来たっつってんのよ」

「…話がしたかったの、姐さんと」

「話?あんたが、あたしに?馬鹿じゃない?あんたと話をする道理があたしにあるの?」

「ない、ないよ…ないけど…!それでも私は…!」

「消えな」

「ッ…姐さん…!」

「姐さんだなんて呼ばないで!!」


ひゅん!頬を何かが掠めた。「え…?」あまりに早くて何が横切ったのかわからなかったけれど、ぴりぴりと痛むそこに触れてみれば手にべっとりと赤い液体が付着した。


「ち…」

「あたしは堕姫。蕨姫でも、あんたの姐さんでもないし、あんたにする話なんてない。姐さん姐さん姐さんって、ずっと思ってたけど、ほんと目障り。さっさとどっか行って死に腐れろ」

「、…」


ぐさり、ぐさり、ぐさり。初めて蕨姫姐さんに言われる言葉の数々が胸に深く突き刺さる。それがどうしようもなく痛くて、痛くて、見える世界がじわりとぼやけた。「私は…!!」私は、私はただ、姐さんと話をしたくて、それで…


「だったらさっさと殺しちまえばいいだろぉ?」


瞬く間だった。背後に何かの気配を感じた瞬間、喉を圧迫される感覚に息が詰まった。「やめろ…!」切羽詰まったあの男の子の声がした。


「その人は関係ないだろ!」

「関係あるないじゃねぇんだよなぁ…なぁ、なんですぐ殺さない?」

「…お兄ちゃん」

「怖い顔すんなよ、せっかくの美人が台無しだろ?そもそも、お前が殺さないから俺が代わりに殺してやろうとしてんだろうが」

「そんな奴、わざわざあたしたちが殺す必要がないから放っておいてるの!もういいでしょ!?そいつじゃなくて、鬼狩りのガキを早く殺してよ!」

「どっちを先に殺そうが一緒だろぉ…何ムキになってんだ?それとも…存外こいつに情でも湧いてたりしてな」

「う"…」


首を絞める手の力が強まる。解こうと藻掻くが、私の非力な力なんてせいぜい手の甲を引っ掻くだけだ。「お兄ちゃん!」咎めるような姐さんの声。息が、息が吸えない。私、このまま死ぬの?姐さんは私と話す事なんてないって言うけど、私はたくさんあるよ。謝りたいし、できるなら、前みたいにもう一度…

だんだんと視界が狭まってきて、意識が朦朧としだした頃、唐突に大きな音が轟いた。落雷にも似たそれを聞いたと同時に、圧迫されていた首が解放されて肺の中に酸素が一気に流れてくる。


「げほッ…!げほッ…」

「死にたくなかったら隠れてろ!!おい!てめぇら!!譜面が完成した!!勝ちに行くぞ!!」


崩れ落ちた頭上で途端に吹き荒れる黒い刃みたいなもの。「う、わ…!」それに吹き飛ばされた私は、近くの瓦礫の中に背中から突っ込んでしまった。その時に頭を強かに打ち付けたらしく、途端に目の前が暗くなる。
あぁ、待って、閉じないで、まだ、私、何も…ーー