一
微睡んでいた。
ふわり、ふわり、まるで体が水中をたゆたうような浮遊感だ。冷たくもなく、熱くもなく、だけど暗い、どこまでも深い闇の中、感覚だけは母親の胎内にいた時の羊水に包まれているような、そんな生温さに身を任せ、下に、下に、落ちていく。
「(ごぽり)」
口を開いた。
だけど、何か言葉を発する前に全てが泡と変わる。
何を発しようとしたのか。何を言葉にしようとしたのか。誰に。誰かに。何を伝えようとしたのか。霞がかる頭ではまるでわからない
ふと、下に沈んでいく背中に何かが触れた。
寒くもなく暑くもないこの空間では妙に熱を持ったそれは、だけどどういういわけか、心地いいほど暖かく感じた。
「ーーー」
声。誰かの声だ。だけど私の耳には靄がかって聞こえるから何を言っているのかわからなかった。
君は誰?
何を言っているの?
「ーー、ー」
「(…あぁ)」
何を言っているのかわからない。けれど、何を言おうとしているのか理解した。そうか、君だったのか。
「心配してくれているんだね。だけど大丈夫。…私は、大丈夫だよ」
今度はちゃんと声が出た。
「……」
背中に触れる暖かい手が、沈みゆく私の体を上に押し上げた。力強く、だけどどこまでも優しいこの手を私は知っている。
全く、君も心配性だ。僅かな繋がりだけを頼りにこんな所まで来なくてもいいだろうに。
…いいや、君だから来てしまうんだろうね。そんな君だから、私はずっとずっと救われているんだ。
上へ、上へと体が浮き上がる。それと同時に、ふと背中の温もりが消えた。もう、心配はいらないよ。まだまだ迷う事も、間違える事も、立ち止まる事だってあるけれど、一緒になって歩いてくれる人を見つけたから。
「だから、大丈夫」
ぶわり、視界の端をたくさんのあぶくが通り過ぎていく。通り過ぎて、全部が泡沫で覆われて、それでーー
「ーー」
「羽炭」
声が、降ってきた。聞き馴染みのあるあの子とはまた違った暖かさを伴った優しい声だった。
「羽炭、起きて」
もう一度名前を呼ばれ、今度は緩く肩を揺すられる。すると、今まで曖昧だった意識が徐々に、まるで霞が晴れるようにはっきりとしてきた。
ぱちり、瞬きを一つ。まだぼんやりとしている頭をもたげれば、視界の中に鮮やかなべっこう色が太陽に反射してきらきらと瞬いた。
「こんな所で居眠りしてると、風邪引くよ?」
「ん…起こしてくれてありがとう…」
どうやら縁側で眠りこけていた私を善逸が起こしてくれたらしい。ぐっと大きく伸びを一つ。そうすると、隣に座った善逸が何やら神妙な顔をして私を見つめた。
「…夢でも見ていたの?」
夢…夢、かぁ…
何か見ていた気がするけれど、残念ながら私は内容をまるっと全部忘れてしまっているから、善逸の期待するような答えはあげられないなぁ。
「さぁ、どうだろう」
「何よ!!なんで誤魔化すの!!どんな夢見てたかくらい教えてくれてもよくない!?」
「だって忘れちゃったから…」
「もおおお」
所詮夢は夢でしかない。今を生きる私たちからすれば、夢は在りし日を想像する願望で、だけど、どうしたってそれに縋ってしまうのだからどうしようもない。
未だにギャンギャンと騒ぐ善逸を横目に立ち上がる。寝こけてしまっていた私が言うのもなんだけど、もう休憩時間はおしまい。
「てる子たちは?」
「訓練場で自主練してるよ」
「わ、えらいなぁ。私も見習わないと」
託されたものは、繋がなければいけない。私たちが受け取ったものを、今度は下の子たちに伝えるために。
だって私たちは生きているのだから。