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十三




俺はしがない農夫だった。俺と、香耶と言う名の娘と二人暮し。妻は娘を産んで間もない頃に病気で亡くしてしまった。周りの手を借りながらもすくすくと育ってくれた香耶をどうして恨もうか。
その日生きる日銭を稼ぐのがやっとではある貧しい生活だが、それでも不幸だとか思った事はなくて。
貧しかったが、それでも俺たち家族の間で笑顔が絶えない時はなかった。

香耶はとても器量のいい溌剌とした子だった。萌黄色の着物がよく似合う子で、性格は母親似なのだろう、俺に似なくて心底よかったと安堵の息を吐いたもの。
時たまお小言もあるが、それも香耶のいいところである。今年で齢16になる香耶だが、如何せん色恋沙汰にはとんと疎く、早く嫁に嫁いで幸せになっておくれ、と願う反面、それはそれで寂しくなるな、だなんて思いながら日々を過ごしている。

そんなある日、香耶と喧嘩をした。ほんの些細な事だ。口にするのでさえ些事な事。…されど、些事。些細な事だったはずなのに、お互い頭に血が昇っていたからか売り言葉に買い言葉で、ついぞ香耶が家を飛び出してしまった。

香耶が家を飛び出すのはいつもの事だ。頭を冷やして、しばらくしたら気まずそうに戻ってくるのがいつもの事だったから、今回も同じようにして戻ってくるのだと思っていた。

…そう、思っていたんだ。

だけど香耶は帰ってこなかった。日が暮れた。夜になった。夜が明けた。けれど香耶は、いつまで経っても帰ってこない。珍しく怒りが長引いているんだと俺は思っていた。仲のいい友達の所に泊まっているのだと思って探しに行かなかった。三日が経った。香耶はまだ帰ってこない。
さすがに変だと思って、香耶が仲良くしている友達の家に片っ端から訪れた。けれど、誰一人として香耶の行方を知る子はいなかった。

何か犯罪に巻き込まれたのかもしれない。そう思った俺は警察に駆け込んで捜索願いを出した。


捜索願いを出して四日後、変わり果てた姿で香耶は見つかった。
香耶は町外れの崖の下で見つかったらしい。先日降った雨のせいで地面がぬかるみ、それに足を滑らせて落ちたのだろうと言う警察の声を、俺はどこか遠くにいるような錯覚になりながら聞いていた。

これは、誰だ。頭が潰れて、手足がひん曲がり、おおよそ人の面影もないほどぐちゃぐちゃに潰れたこれが香耶だと言うのか。違う。違う違う違う。これは香耶じゃない。香耶であるはずがない。そうだ、これは香耶じゃない。探しに行かないと。まったく、しっかりしているようで迷子になりやすいのは小さい頃から変わらない。待っていろ香耶、必ず俺が迎えに行ってやるからな。


「お父さん、どちらへ?」

「探しに…行かないと…」

「へ?」


困惑する警察の声をぼんやりと聞きながら、俺はその場を後にした。
ふらり、ふらり、足元が覚束無いのは自覚している。
香耶を探した。自分が思いつく限りの場所。そこにいなかったのなら、また別のところを。ずっと探した。ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと。


「捜しものかい?」


男と出会った。どこか浮世離れしたような雰囲気を纏わせた男は飄々と、狐のように目を細めて佇んでいた。


「娘を…探しているんだ…」

「なら、僕が手助けをしてあげよう」


とん、男の指が額に触れた。突然何をするんだ、と振り払おうとするものの、どういうわけか体が硬直したように動かない。
けれど、刹那、突如として全身を駆け抜けた痛みに呻き声をあげた。


「がッ…!あ"、ぁ"…!な、にを…した…!」

「へぇ、これに耐えれるのかい?ならば、貴方はきっと素晴らしいーーになるだろう」


激痛に耐える中で男がなんて言ったのかわからない。だけど、もう何だってよかった。
地面を転げまわり、獣のように唸り散らかし、ふとした瞬間、あれ程痛かった体が嘘のように軽くなっている事に気付いた。まるで生命が漲るよう。一歩、足を踏み出す。覚束無い足取りではなく、力強く大地を蹴りあげる足に、これで遠くまで香耶を探しに行ける、そう歓喜に震えた。
野を駆けた。自分の体じゃないみたいに軽い体は何でもできた。川を渡るのも、岩場を飛び越えるのも、何日も走り続けても疲れる事はない。

ある村に辿り着いた。都会から取り残されたような場所にある小さな村の住人たちは、俺を見るなり血相を変えて額を地面に擦り付けた。


「ば、化け物…!」

「どうか、どうか命だけは…!」

「何とぞ!」


何を、言っているんだ。この人たちはどうして俺なんかに跪いているのだろう。考えど考えど答えなんて出るはずもなく、けれど、ひれ伏す村人たちを見ていると、どういうわけか口いっぱいに涎が溢れてきた。

人だ。

人のはずだ。

なのに、どうして、こんなにも腹が減るんだ。

ふ、と近くにいた男に目を向ける。目が合い、体を震わせるその男が踵を返したのと、俺の手が伸びるのはほぼ同時であった。


「きゃあああああ!!!!」


けたたましい悲鳴がその場に満ちる。けれど、そんな事なんて気にもならない程目の前の“肉”は美味かった。
こんなにも美味いものを食べた事がない。久しく食事をしていなかったから余計にそう思うのだろう。余す事なく全てを食べた。腹が膨れるまで何かを食べたのは久しぶりだ。こんな美味い肉、香耶にも食べてやりたい。

……あぁ、そうだ。香耶…香耶を探さないと。俺の娘…


「娘…」

「へ…」

「娘は…どこだ…」

「む、娘…!わかりました…!次からは娘を用意いたしましょう…!近くに社がございます、空に満月が登る頃に、必ず…!ですので、どうか、どうか…!」


どうやらその社にいれば、この村の人たちは俺の娘を連れてきてくれるそうだ。なんて親切なんだろう。社は朽ち果てていておおよそ人が住めるような場所ではなかったが、それでも雨風さえ凌げれば何でもよかった。

言葉通り、村の人たちはこの社に娘を連れてきた。…だが、そのどれもが香耶ではなかった。顔、身長、体格、声、目の形、何をとってもどこを見ても香耶ではなかった。俺の娘じゃない。そう思った瞬間、目の前が真っ赤になって、草木の匂いがしていた社はいつしか鉄臭く、赤黒い染みが一面にこびりつくようになった。





木々の隙間からこぼれ落ちそうな程の星空が見える。夜空を見上げたのなんていつぶりだろうか。こんなにも、星々は煌々と瞬いて居るんだな。


「どこ、だ…」


香耶にも見せてやりたい。あの子は星が好きだった。決まって天気のいい日は、近くの川べりに二人して寝転んで星空を見上げたものだ。


「…娘さんを探しているの?」


ふと、声が落ちてきた。高すぎず、落ち着いた声音は俺の鼓膜を優しく揺らした。


「そうだ、俺の娘…どこかへと消えてしまった。ずっと、ずっと探していた。村の人が、娘を連れてきてくれると言った。けれど、誰も彼も違う娘だ」


そうだ、誰も香耶じゃなかった。香耶、どこにいるんだ。俺は、俺は……ーー


……俺は、どうして香耶を探しているのだろう。


『もう、お父さんったら馬鹿ね』


はッ、と目を見開いた。意識をそこに向けると、地面に伏せる女の近くに萌黄色の着物が見えた。


「あぁ…そこにいたのか…」

『どうしてそんなになるまで気付かなかったの?お父さんだって、わかっているでしょう?いくら私を探したって、私はあの時、死んでしまったのだから見つかるはずないのよ』


あぁ。あぁ。あぁ。

靄がかった頭が一気に晴れ渡った。そうだ、そうだった。香耶は死んだ。足を滑らせて崖から落ちたんだ。だけど、どうしても信じたくなかった。認めたくなかった。だって、だって、だって…ーー


『謝りたかった…ずっと、お前に謝りたかったんだ…些細な事だとしても、お前を傷付けた事には変わりない…。すまない、すまない香耶…怒鳴ってしまってすまない…早く探しに行ってやれなくてすまない…!俺は…』

『もう、いいよ』


香耶の手が俺の手に触れた。そこからじんわりと冷えきった俺の手に温もりが広がる。


『もう怒ってないよ。私こそごめんなさい。我儘言って、お父さんを困らせたのは私だから…』

『…いいや、あれしきの事、我儘ですらない』


なぁ、香耶…俺はずっと、お前に謝りたくてお前を探し続けていたのかもしれない。だけど、香耶を探す途中で俺は決してしてはいけない罪を犯してしまった。だからもう、お前がいるところには…


『ずっと一緒にいるよ、お父さん。だって、たった一人の家族なんだもの』


くん、と腕を引かれた。灼熱の業火が燃え盛る方へと二人並んで歩いていく。
あぁ、神様。もし、もし罪深き俺の言葉を聞いてくださるのならどうか、こちら側に連れてきてしまった香耶を、次は俺じゃない幸せな未来のある家族の元へ生まれ変わらせてあげてください。





***


「羽炭さん!!」


はッ、と意識が戻ってきた。どうやら少しばかり気を失っていたようで、そのおかげかぐるぐると回っていた視界などはきれいさっぱりなくなっていた。


「帰ってこないから心配しました…!大丈夫ですか?」

「……迎えに来てくれたの?」

「そうですよ…来たらきたで羽炭さん、倒れてるんだもの。ほんと、心臓縮んだかと思った…」

「…ごんね」

「?どうして謝るですか?」

「だって、善逸に大口叩いた割にこのザマだから…」

「生きてるだけ儲けもんですよ。…帰りましょうか」

「ん、そうだね」


清に手を借りながらどうにか立ち上がる。…ふと、さっきまで鬼がいた場所を振り返った。「どうかしましたか?」「…ううん、なんでもないよ」首を傾げる清にそういって、今度は振り返る事なく私たちは村へと戻っていった。

ちゃんと、出会えたのだろうか。なんて、私が思う事ではない。