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※本誌205話のネタバレ含みます。
炭彦と黄昏時に出会う話(貪欲主/名前変換無)





黄昏であった。

昼と夜が混ざり合う、人の顔が認識できなくなる夕暮れ時。ぱちり。瞬きをした炭彦は茜さす街の真ん中でぽつねん、と立ち尽くしていた。
忙しなく歩き去っていく人々をぼう、と眺める。見覚えのある賑やかな光景だった。だけどどこか見覚えのない街並みだった。


「早く渡らないと轢かれるよ」


ふわふわと視線をさ迷わせていた炭彦に声がかけられた。


「もうすぐ信号が変わるから。ほら、早く」


振り返るよりも早くに手を引かれる。後ろ姿しかわからないその人は少女であった。ふわり、ふわり、彼女が動く度に揺れる赫灼の髪をぼう、と見つめながら炭彦は、けれどそこで自分が今までスクランブル交差点のど真ん中で突っ立っていたのだと気付いた。
信号を渡りきり、黄色い点字ブロックを踏みしめたと同時にすぐ背後でけたたましいエンジンの音がたくさん通り過ぎる。あのままあそこにいれば、危うく自分は大量のクラクションの雨をふらされることになっていたのかと。想像してゾッとした。
いくら自分がぼんやりしていようとも、交通便を妨げるほどの迷惑は本望では無いのだ。


「大丈夫?」


また、声が聞こえた。
ゆっくりと視線を足元から上にあげる。先程見た赫灼色の髪の少女が、心配そうに自分を見つめていた。
…きっと、心配してくれているのだろう。なぜなら、どういうわけか彼女の顔がはっきりわからないのだ。わからない。だけど、彼女の声音と雰囲気でそうなのだろうと思った。


「だ、ぃじょ…」


心配してくれている彼女をどうにか安心させようと声をかけるものの、喉が張り付いて掠れた変な声が出た。これじゃあ何を言っているのか分からない。もう一度大丈夫、と言おうとして、だけどその前に少女の「そっか」と言う優しい声にかき消されて、炭彦の言葉は誰の耳にも届かずに霧散した。

…妙に暖かい声だと思った。暖かい布団に包まれているのでも、美味しいご飯を食べて胸を暖かくさせるようなものでもない別の暖かさを伴った彼女の声に安心して、ほろり、自分の頬を水滴が滑り落ちた。


「え?」


思わず声を上げた炭彦。だけど、次から次へと止めどなく、しとどに目玉から落ちていく涙は中々どうして、自分では止められない。見ず知らずの、もっと言えば女の子の前でいきなり泣き出すなんてさすがに女々しすぎる。
そう思いながら袖で目を擦っていると、その腕をやんわりと止められた。びっくりして顔を上げると、顔のわからない少女はなんとなく困ったような顔をしているんだなって言う雰囲気を纏わせて、ふわり、腕を掴んでいない方の手で炭彦の頭を撫でた。


「擦っちゃいけないよ。赤くなってしまうからね」


ふわり、ふわり、頭を行き来する優しい手を甘受していると、不思議といつの間にか涙は止まっていた。

不思議な手だ。まるで魔法みたい。炭彦は思った。

完全に涙が止まったのを見て、少女は「ん、もう大丈夫だね」と、きっと柔らかく笑っているんだろうなっていう雰囲気をさせながら炭彦から手を離していった。なんとも言えないような寂しさが胸に広がる。喪失感とはまた違う、冷たい風が吹き込んでくるような感覚。変なの。首を傾げた。


「早く帰りな。皆が君を待ってるよ」


不意に目の前の少女がそう言った。弾けるように顔を上げて、瞬間、炭彦の目にうつるものが、ぼんやり、全て霞がかり始めた。
白く塗りつぶされる世界と同時に、目の前の少女が遠のいていく。


「待って」


今度ははっきりと音を紡げた声は少女の耳に届いたらしい。手を伸ばす炭彦と対照的に、少女はひらり、と手のひらを左右に振った。


「待って、ねぇ、待って。君は誰なの?」


知りたい…否、どうしても知らなければいけないと思った。漠然とした何かに突き動かされて、炭彦は決して届かない手を伸ばす。


「知らなくてもいいよ。君は、君の世界で自分だけの時間を生きて」


その言葉を最後に、炭彦の視界は真っ白に塗り潰された。


「炭彦」


はッ…と目を開ける。
ぼんやりとする視界の中で、無表情ながらもどこか心配そうに顔を覗き込む兄の姿があった。


「急に立ち止まるから、びっくりした。どうかしたの?」


どうか、したのだろうか…。さっきまでとても寂しかったような気がする。だけどどうして寂しかったのかも、そう思っていたのかも今の炭彦にはわからないもので、大量の疑問符を頭に浮かべながら首を傾げた。


「早く帰ろう」

「うん」


兄に急かされるまま足を動かす。見慣れた光景、見慣れた街並み、見慣れた通学路。違う事といえば、いつも一緒に登校する賑やかな姉弟がいない事くらいだろうか。なんて考えながら歩いていると、ぶわり、背後から突風が吹きすさんだ。


「うわ、びっくりした」


兄の驚く声を聞きながら炭彦は振り返る。そこには帰りのサラリーマンや学生などで溢れかえるだけで、あの人はいなかった。


「…あの人って、誰だろう」


ふと浮かんだ疑問に首を傾げる。「炭彦」だけど、何か答えが出るわけでもなく、それよりもせっかちに名前を呼ぶ兄の背中を追いかけるために炭彦は踵を返したのだった。





「羽炭?」


ふと、目を開ける。

見慣れた街の中に、心配げに自分の顔を覗き込むべっこう色を見つけた。


「急に立ち止まって、どうしたの?」


否、心配そうどころか、めちゃくちゃ心配してくれていた。やれ貧血か、やれ熱中症かと騒ぎ立てるたんぽぽ頭に「大丈夫」だと宥めながら、羽炭は静かに黄昏の空を見上げた。

君はそっちの世界で、ちゃんと幸せになれたのだろうか。


「…いや、きっとそうだったんだろうね」

「え、何?急にどうしたの?」

「何でもないよ」


何だよそれー!!と再び騒ぎ出すたんぽぽ頭に羽炭は今度こそ大きなため息を吐いた。相変わらず元気だなぁ、なんて、しみじみ思いながら歩き出せば、「待って!」と忙しなくたんぽぽ頭揺らしながら隣に並んだ。

誰だっていい。何だっていい。ただ、幸せであってほしい。そう願わずにはいられない誰そ彼の時。