初めは印象最悪だった。
ネチネチと、まるで蛇のように私と禰豆子を糾弾した彼の言い分は正しくとも、決して心を開けるようなものではなかった。
…だけど、禰豆子が柱たちに認められるようになって一度だけ彼の任務に同行した事がある。
私がまだ未熟故に鬼に手間取った時、ネチネチと執拗にお小言をもらったけれど、ほとんど彼が私を庇いながら戦っていた事に気付いてしまったのだ。
その時に、あぁ、彼は不器用なだけなんだと、思った。
未だ禰豆子の事をぶり返して文句を言ってきたりするけれど、そう思えば、これも遠回しに禰豆子の事を気にしてくれているんだとわかる。
初めは苦手な人だった。
だけど、階級が上がるにつれ何度か任務を共にする事が増え、伊黒さんを知れば知るほど、少しずつ私の中で彼への恋心が芽生えていくのに気付いた。
…気付いてしまったのだ。
「伊黒さん、こっちは終わりました」
「ふん、この程度に手間取るとは。本当に階級が上がったのか。そもそも時間がかかりすぎだ。鬼がたったの三匹で苦戦するようじゃいくら鍛錬を積んだところで何ら変わりない」
「す、すみません…」
「あと、さっさとそのみっともない腕をどうにかしろ。いつまでそうしているつもりだ」
びッ、と背後に隠していた腕を指さされ、ぎくり、肩を揺らした。
これは先程の鬼との戦いで、うっかり爪に掠って怪我をしてしまったのだ。バレないようにと隠していたけど、彼にはどうやらお見通しらしい。
…ほら、そういうところ。
皮肉も嫌味も耳にたこができるほど聞いたけれど、それでも怪我にいち早く気付いてくれた事に嬉しいと思っている私がいる。「帰るぞ」スタスタと早歩きで道を行く伊黒さんの背中を慌てて追いかける。
けど、だけど。
私の中にあるこの想いは、決して実ることはない。実るどころか、芽生えさせてしまった事にいっそ罪悪感さえ感じるような賜物なのだ。なぜなら彼…伊黒さんには既に想い人がいる。
見ていればすぐわかるし、私は鼻がいいから、匂いでわかる。
甘露寺さんを目の前にした時、伊黒さんからはほんのりと甘酸っぱい匂いがする。目だって、優しさと、慈愛と、愛おしいって感情をいっぱい詰め込んだような恋の色。
わかっていた事だった。初めから望みなんてない。望みを持つ方が烏滸がましいこの感情を持て余している私は、心底未練がましい女だと嫌になる。
そもそも私は、甘露寺さんと同じ土俵にさえ立っていないのだから。
「本部の鴉から伝達です。今日はもう帰ってきて体を休めろとの事。近くに藤の家紋の家もありますが、どうします?」
「好きにしろ。俺はこのまま本部に戻る」
「なら、私もご一緒します」
「ふん」
あぁ、あぁ、ほんと、馬鹿だ。
少しでも一緒にいたいと思ってしまった。わかっている事なのに、ほんの刹那の時間に縋ってしまう。
しまっておかないと、むしろ、潰してしまわないといけないのに、ほんのちょっと気をよそへやった瞬間に厚かましくも、きつく錠前で閉じた箱をこじ開けようとしてくる。本当、厄介だ。
私も、甘露寺さんのようにかわいければ見てもらえただろうか。しのぶさんのようにたおやかであれば。もっとかわいげがあれば。柱になれるくらい強ければ。
そんなたらればばかりを並べている。
「何をしている」
気付けば、ずっと遠くの方で伊黒さんが訝しげに私を振り返っていた。どうやら考え事に耽るあまり、足が止まっていてらしい。
慌てて彼に追いつけば、彼はまた歩みを再開させた。そういうところ。本当にそういうところだよ、伊黒さん…
あんなつっけんどんなのに、そうやって中途半端に優しくするから、どんどん胸が締め付けられて苦しくなる。
まるで酸欠になったようだ。
「(これが恋なら、こんな感情知りたくなかった…)」
善逸から聞いた恋とは全然違う。
苦くて、辛くて、胸を掻きむしりたくなるような衝動に襲われるこれはきっと、よくないものだ。
ならば、もっと深いところへ、ずっとずっと奥深く、誰も、何者も、私でさえも手が届かないところへ沈めてしまおう。
そうして、もう二度と開かないように鎖でぐるぐる巻きにして、何十個の錠前をかけて、全部全部なかった事にすればいい。
「伊黒さん」
「…なんだ」
「明日は晴れますか?」
「……明日の天気なんぞ知るか」
それを聞いて安心しました。
(執筆2019.11.4)
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