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猪から守る話




「むー…むぅ…」


ふわり、ふわり、頭を優しく撫でられるぬくもりと共に、心配そうな音が聞こえる。あれ、どうしてたんだっけ、俺…。確か、チュン太郎から伝令もらって、嫌々捏ねながら任務に行って、鬼がいる屋敷に入って、それで…


「ッー!!」


がばッ!!勢いよく体を起こした。そうだ、俺、鼓鬼と戦ってたんだった!そしたら羽炭ちゃんの頭がそいつに掴まれて、つぶ、されて…


「む?」


ちょん、と羽織の袖を引かれた。振り返ると、からん、と耳飾りを揺らして首を傾げる羽炭ちゃんがいて、一瞬幽霊かと思ったけど、ちゃんといつもの優しい音を響かせる彼女に、本物だと知る。
潰されたはずの頭も、切り落とされた腕も、ちゃんとある。ぼろり、目玉から涙があふれた。


「…羽炭、ちゃん…?」

「?」

「本当に…本当に羽炭ちゃん…!?あ、腕ッ…!頭も、ちゃんと、ある…」

「むんむん」

「よ、よかったぁぁあああ…!!」


がばり、羽炭ちゃんを抱きしめる。きつく、きつく抱きしめて、わんわんぎゃんぎゃん泣いていればゆっくりと背中に細い手が回り、そして、ぽんぽん、俺の頭を撫でた。


「むぅ」


優しくて、あたたかなぬくもりが、ちゃんと俺の腕の中にある。抱きしめ返してくれる。それだけで、どれほど救われたか。


「本当に、よかった…!」


泣きじゃくる俺が泣き止むまでずっと頭を撫でてくれていた羽炭ちゃんの体を離し、唐突に襲い来る恥ずかしさが爆発した頃にふと気付く。そういえば、あの鼓鬼いなくね?
そう羽炭ちゃんに言えば、彼女はどことなく複雑そうな顔をしてすぐそばの血だまりを指さした。え、何これ怖い怖い!もしかしてあの猪が倒してくれたの!?嘘、マジか…いやでも、もしそうなら感謝しないとな…。だって、俺じゃあきっと倒せなかった。
愈史郎さんから預かった採血ナイフを血だまりに浸し、どこからともなく現れた珠世さんところの猫に預けた俺たちは清くんたちを迎えに行き(その際にしこたま物をぶつけられた)、玄関に向かって歩き出す。
先に三人を屋敷から出し、なんだか眠そうに舟を漕ぐ羽炭ちゃんを木箱に入れて外に出ようとした瞬間…


「がッ!!」


背中から脇腹にかけて、とんでもない衝撃が俺を襲う。完全に油断していた俺は受け身も取れずに吹き飛び、地面に転がる。「善逸さんッ!!」三人の悲鳴にも似た声にどうにか返事をしようとするけど、激しく咳き込んでそれどころじゃない。どうも脇腹がおかしい。軋み、走る激痛。それと違和感。これは…


「(骨、折れた…!?)」

「あっはっはっは!やっと見つけたぜぇ…ぐるぐるぐるぐる部屋が回って鬱陶しいったらありゃしなかったが、その鬼もいなくなったみてぇだからな」


目の前に仁王立ちする猪頭の言葉に違和感を感じ、首を傾げる。もしかして、あの鼓鬼を倒したのはこいつじゃない…?じゃあ一体誰が…


「どわッ…!」


ぶんッ!と回された足を寸でで避ける。けれど猪頭はあらぬ方向から追撃してきて、後頭部に奴の蹴りが当たる。なんつー関節の動きしとんじゃい、こいつ…!


「なぁ、そん中にいるの鬼だろ?」

「、…」

「なんで鬼なんて連れてやがる。てめぇ、鬼殺隊だろ。鬼殺隊ならわかんだろうが。その中にいる奴は始末しなきゃなんねぇ奴だって。そいつを渡せ!!」

「渡さない!!これは、この子は俺の大事な…!」

「ごちゃごちゃうるっせぇ!!」


振り抜かれた刀を避け、猪頭を睨みつける。その時に頬が切れたらしく、少し痛むが、今はそんなこと気にしてられない。


「この箱には、手出しはさせない…!俺の大事なもので、絶対に成し遂げないといけない願いなんだ!!」

「さっきからわけわかんねぇ事を言いやがって…!」

「ごぶッ」


猪頭の蹴りが顔面にもろ当たり、木に体を打ち付ける。何度殴られても、何度蹴られても、絶対に猪頭に背中を、木箱を背負っている背中を向けなかった。鼻血が出る。口の中が切れて地面に赤い斑点ができる。背を庇い、腕を広げる。殴られた。


「どけぇ弱ミソ!!そいつを渡せ!!」

「嫌だ!!絶対に渡さない!!」

「だったら、てめぇごとその箱を串刺しにしてやるよ!!」


猪頭が大きく刀を振り上げたのが見えた。避けないと、早く立ち上がって避けないと本当に串刺しにされてしまう。頭ではわかっているのに、しこたまぼこぼこに殴り蹴りされて体が上手く動かせない。


「善逸さんッ、羽炭さん…!」


刀が振り下ろされる。随分ゆっくりに見えるそれに、せめて羽炭ちゃんでも助けなければと肩紐に手をかけた瞬間…


ーバキィッ!!


背中から何かが吹き飛ぶ音と、そのすぐ後に「ゴシャアッ!!」と勢いよく潰れる音。…潰れる、音…?


「ふー…ふーッ…!」


激しい怒りの音にはッ、と振り向けば、木箱から出てきた羽炭ちゃんが瞳孔を開いて猪頭を睨みつけていて…って!


「は、羽炭ちゃん!?出てきちゃダメだよ!!まだ昼ッ…!早く箱に戻って!!」

「う"ーッ…!!」


みしッ、と羽炭ちゃんが噛む口枷から嫌な音がして、なおの事慌てた。今俺たちがいる場所が日陰なのが幸いして彼女の体が焼けることはなかったけれど、正直気が気じゃない。二重の意味で。羽炭ちゃんが怒っている理由。自惚れじゃなかったら、俺が猪頭に一方的にやられているからだ。今にも日向に飛び出してあいつを八つ裂きにしそうな勢いの羽炭ちゃんをどうにか宥める。


「大丈夫ッ、俺は大丈夫だから!落ち着いて!ね!?」

「う"ぅ…!!う"ー!!」

「はは、あっははは…!おもしれぇ、やっと出てきやがったか、鬼!!」


羽炭ちゃんによってぶっ飛ばされた猪頭がむくり、体を起こす。その時に猪の被り物が取れたのか、起き上がって来たそいつの顔を見て思わず叫んだ。


「はッ、え、え!?お、女ぁ…!?」

「あぁん…?んだコラ、俺の顔に文句でもあんのか…!?」

「いや、女の子みたいな顔してんのにムキムキだから、気持ち悪いなって…」

「は"−んッ!?殺すぞてめぇ!!おいそこの鬼!!かかって来い!!」

「かかって行かないし行かせないからね!?」

「冥途の土産に教えといてやるよ…!俺の名は嘴平伊之助だ!覚えておけ!」

「いやだからッ…!羽炭ちゃんはお前に殺させないし、羽炭ちゃんにも殺しなんてさせないから!!というか、どういう字書くんだよ!!なんかずっげー難しそうなんだけど!?」

「字ッ!?字…俺は読み書きができねーんだよ!!名前は褌に書いてある…け、ど…な…」

「は…」


不意に猪頭…もとい、伊之助が動きを止めた。あまりにも不自然に硬直したから羽炭ちゃんを背に庇う。…けど、徐々に白目を剥いたと思ったら、そのままばたり、と後ろにぶっ倒れた。その額はこっちがドン引くくらいぼてーっと腫れていて、俺がやられたわけじゃないけど、思わず額を押さえた。


「え…えええ死んだ…!?死んだの!?」


恐る恐る近付く。どうやら死んだのではなくて脳震盪を起こしているらしい。というか、脳震盪…?あのばきッ!って音から察するに、蹴りを一発ぶちかましたと思ってたんだけど…

羽炭ちゃんを振り返る。どうやら落ち着いたらしく、すっかり消えた怒りの音に胸を撫で下ろしながら問いかけた。


「…どうしたの…?」

「?む、むむん!」


彼女が得意気に指をさしたのは、自分の額だった。…ということは…


「ず、頭突きで、脳震盪…!?」


それは彼女が鬼であるが故なのか、それとも彼女自身の頭突きが脳震盪を起こすレベルで強烈なのか…。考えてもわからない、いや、わかりたくない。
ふんふんと胸を張る羽炭ちゃんは大変かわいらしいが、俺は初めて女の子から目を逸らした。