鼓屋敷での話
「羽炭ちゃん、大丈夫?しんどくない?」
ーカリカリ
「本当?無理してない?辛かったらすぐに言うんだよ?」
ーカリ
背中に背負う木箱に話しかければ、カリカリと爪で引っ掻く音がする。それがなんだか嬉しくて、軽い足取りをそのままに飛び跳ねてしまいそうだった。
最終選別を無事に生き残った俺(記憶はない)に、じいちゃんは羽炭ちゃんを入れるための木箱を作ってくれた。
いくら鬼でも流石にこんな小さい所に入るのだろうか、という俺の心配は杞憂で、なんと羽炭ちゃんは体を子供サイズにして入ってしまった。
その時の羽炭ちゃんのかわいさと言えば…犯罪級にかわいかった…。
「ちゅん、ちゅんちゅん」
「わかってるよチュン太郎ぉ…はぁ、行きたくないなぁ…」
だだっ広い田んぼのあぜ道を羽炭ちゃんに話しかけながら歩いていると、俺の周りをチュン太郎がパタパタと飛び回る。
このチュン太郎は最終選別を生き残った俺へ宛てがわれた伝達係の鳥なのであるが、ほかの人たちは鴉なのになぜか俺だけが雀なのだ。初めは何かの間違いかと思ったけれど、どうやらそんな事はないらしい。
…嘘すぎじゃない?
「はぁ…初任務も散々だったし…というか、知らないうちに鬼いなくなってたし…今回もそんな奇跡的な何かが起こらないかな…」
もう切実である。休憩がてらに訪れた浅草でも散々な目にあって、思い返すだけでも泣きそうだ。けど、珠世さんきれいだったなぁ…愈史郎さんは許さない。こんなにかわいい羽炭ちゃんを醜女とか、目玉腐ってんじゃなかろうか。
カリカリと慰めるように木箱を引っ掻く羽炭ちゃんにだけ癒されてる。あぁもう、かわいすぎでしょ。俺もし結婚するなら羽炭ちゃんみたいな子がいいな。優しくてかわいくて、きっと器量もいいんじゃないのかな。知らないけど。だといいなぁ。
なんて、顔中の筋肉を緩めて彼女の白無垢姿を思い浮かべていると、気付けば雑木林に足を踏み入れていたらしい。見えてきた屋敷にあっという間に現実に引き戻され、一気に心が死んだ。
「うわ…うわぁ来ちゃった…!ついちゃった…!え、ここ?ここなの?実は違うとかそんな落ちは…」
「ちゅん!」
「ですよー!!ないよね知ってた!けど現実逃避くらいさせて!!羽炭ちゃんを人間に戻すまでは絶対に死ねないとか思ってるわけですが!?命いくつあっても足りないからね!?ウワーッ!!ちょ、羽炭ちゃんお願いがあるんだけどちょっとだけぎゅッってしてくれない?そうしたら俺めちゃくちゃ頑張れる気がする!!多分!!」
ーガサッ
「ギャーッ!!!」
日陰に移動してそそくさと木箱をおろそうとしたら、唐突に背後で草むらが音を立てた。飛び上がり、震える体をそのままに振り向けば、まだ齢一桁くらいであろう二人の子供いがいて、へなへなとへたり込めば二人はびくり、と肩を揺らした。
「び…びっくりしたぁ…!!というか、こんなところで何してんの!?危ないよ!?俺も危ないけど、ねぇ、ここから…」
ここから離れた方がいいよ。そう言おうとして、思わず口を噤んだ。だって、この子たちから発せられる音が、すごく怯えてる。俺に対して、じゃない。俺と顔を合わせる前に出会った"何か"に、だ。
そんな二人の音を聞いてしまえば、不思議と俺の中の恐怖が(ほんの少しだけ)小さくなる。
「…教えて、何があったの?ここは二人の家?」
「ちがッ…違う…!ここは、化け物の家で、それでッ…」
「大丈夫、落ち着いて。ゆっくりでいいから」
「…兄ちゃんが、化け物に攫われたんだ。僕たちに目を向けず、兄ちゃんだけ…。そいつは兄ちゃんのことマレチって言ってて…」
「マレチ?」
聞いたことのない単語だ。マレチ…マレチ…もしかして、稀血?稀な血。稀に見る血。鬼にとって珍しい血って事だろうか。この子たちのお兄ちゃんを攫った奴は十中八九鬼で間違いはないだろうから、もし俺の推測が合っているのだとしたら…
「俺、我妻善逸。君たち、名前は?」
「し、正一…」
「てる子…」
「正一くんに、てる子ちゃん。うん、どっちも素敵な名前!ねぇ、よく聞いて。俺が二人の兄ちゃんを助けてくるから、ここで待っててほしいんだ」
「え…でも…」
「大丈夫!俺はこの屋敷の悪い奴をやっつけるためにここに来たんだ。だから二人は、ここで兄ちゃんに"おかえり"って言ってあげてくれない?できる?」
問いかけに、二人がしっかり頷いたのを見届けて立ち上がる。「じゃ、いってくる」この場に二人を残し、さぁいざ行かん、と踵を返した瞬間。
「グォォオオアアアアア!!!」
まるで獣の咆哮にも似たそれに、全身が硬直した。
「待って待ってやっぱ無理怖い怖すぎる無理だって何今の!?吠えるの!?鬼って吠えるの!?猛獣ですかッ!!いやそれよりほんと…嘘すぎじゃない!?」
「「……」」
あまりにも無理なそれに体が屋敷に入ることを拒んでいる…!二人の「え、今の何だったの…?」みたいな冷ややかな視線を感じるけどそれどころじゃないの!!怖いもんは怖いのわかるでしょ!?
ひ、膝がッ…!膝が笑ってやがる…!歩くこともままならないくらいに笑ってる…!もしかしてこれは行かなくてもいいって言うお達しですか!?ですよねうんわかったじゃあこのまま回れ右で…
ーどんッ!!
「ア"−ッ!!い、今蹴った!?蹴ったよねねぇ羽炭ちゃんッ!行けってか!そんな、だって俺めちゃくちゃ弱いのにみすみす喰われに行くだけ…」
ーギギィーッ!!
「ヤメテぇぇえええ!!その音やだ!!わかったよぉ、行くよぉ…!行"く"よ"ぉぉおおお…!」
思いっきり爪を立てて木箱を引っ掻いたらしい羽炭ちゃんに(物理的に)背中を押されて、未だ震える膝を無理矢理動かす。うぅ…怖いよぉ…やだよぉ…!
「あの、善逸さん…?さっきから誰と喋って…」
「えッ?あ、あぁ、そっか、そういえば言ってなかったっけ。えっと…」
屋敷に入る直前、正一くんからそんなことを言われた。まぁ、そうなるよね。端から見たらただ俺が一人で喚いてるように見えるんだし………え、何それ怖くない?我ながらすっげー怖くない?
「この中に、天使が入ってます」
じゃんッ、と木箱を掲げれば、二人の目が今度こそ危ない奴を見るような目に変わった。
ちょッ、聞いたのそっちじゃん!!なんでそんな目するの!?やだ!!やめて!!