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「は……」
あまりにも唐突な出来事のせいで、反応が遅れた。いや、だって…え?俺たち今の今まで火事の真っ只中にいたよね…?死ぬか生きるかの瀬戸際だったよね…!?なのになんで!?ここどこ!?
…てゆーか!!
「ちょ、待って…!!立香!?おい、立香!?」
さっきまで一緒にいたはずの立香はおろか、あの子もいない。大声で名前を呼んでみるも、近くにいないのか耳をすましても返事すら聞こえない。
え、嘘、やだやだ!一人はやだ!!
「立香ぁぁあああああ!!!俺を一人にすんなよ…!!おおーーい…!!」
“ぴぴぴッ!”
「ンギャー!!!」
『も、…し、もしもし、もしもし!?』
唐突に支給された腕輪型の通信端末からドクターの声が聞こえた。「どぐだああああああ!!!」堪らず泣きつけば、ドクターから戸惑いと安堵の音がした。
『その声は我妻くん、だよね?』
「ちょ、ドクターどういう事!?なんかいきなり変なところに飛ばされたし、俺一人だし、立香もあの子もいないし…!!ねぇどうなってんの!?俺どうすればいいの!?ねぇ!!死ぬの!?」
『お、落ち着け…!落ち着くんだ!いいかい、まずはそこから離れるんだ。できるだけ遠くに!逃げろ!!』
「ど、どういう事!?なんだよ逃げろって!!ねぇちょっとドクター………!!」
『いいから早く逃げ』
どごーん!!
頭で考えるより、先に体が動いた。転がるようにその場から飛び退けば、立ち込める煙の向こうに異形の姿を見つける。
「なんッ…なんッ…!?」
言葉が詰まる、と言うのはこの事。
いや、違うぞ!ボケてる場合じゃないから!何!?何なのあれ!!変な仮面付けて超ムキムキなんだけど!!腕…え!?丸太か何か!?『我妻くん!!』はいなんでしょうか!!
『藤丸くんはデミサーヴァントであるマシュと一緒にいるからまだ大丈夫だけど、君はサーヴァントと契約をしていない!!今、安全な逃走ルートを君の端末に送った!その通りに進めば藤丸くんとも合流できるし、あのエネミーから逃げられるはずだ!』
デミサーヴァントやらなんやら色々言ってけど、今この状況で頭に来れっぽっちも入ってこない。
ぴぴッ。と端末が鳴り、目を向ければ地図が表示されていた。これが今ドクターが言っていた逃走ルート!一人とかとんでもなく心細いし死にそうだけど!!ええい、ままよ!!
「ギャーーーーーッ!!!」
なんて、決死の決意虚しくドクターがエネミーと呼んだあのムキムキが巨大な瓦礫を投げてきた。すぐ目の前に轟音を轟かせて降ってきたそれを間一髪で避ければ、迫ってくる豪腕。ほぼ反射で躱し、走り出した瞬間…
「がッ…!!」
脇腹にダイレクトに入ったエネミーの蹴り。みしみしと不穏な音を響かせながら背中から廃墟の中に突っ込んだ。ごぼり、咳込めばもはや唾液が混じってるのか血が混じってるのかわからないくらいの夥しい量の血を吐いた。
くっそぉ…いってー…なんなんだよ…避けたのに有り得ないような攻撃してきやがって…
『大丈夫か我妻くん!!』
「ごぼッ…ぜ、全然、だいじょばない…死ぬ…」
『馬鹿な事を言うんじゃない!諦めるな!!全身痛いだろうが、耐えてくれ!!』
「耐えろって…」
無茶言うよ…こっちは激痛で全身の骨が折れたみたいに痛いし、倦怠感すごいし、視界霞んできたし、血ぃ吐くし。
ほんと、最悪。いい事ない。なんて言うの、運命に翻弄されてる?何言ってんだろ、極限の恐怖と痛みで思考回路が馬鹿になってる。
痛みに蹲るすぐ側にクソでかい足が入り込む。首を擡げれば、ムキムキのエネミーが俺を見下ろしていて、あぁ、俺、ここで死ぬのかな、なんて。思ってしまった。
『我妻くん!!立って!!立つんだ!!』
わかってるよ、わギャッてんだよ。けどさ、どうしようもないくらいに全身が震えて体が動かせないんだわ。
エネミーが腕を振り上げるのが見えた。あれで叩きつけられたらさ、ぐちゃッ!だよね。絶対痛い。脳髄とか内臓とか飛び出るんでしょ。俺知ってる。
……………………飛び出んの?俺の内臓。嘘過ぎない?
「イ”ィ”イ”イイイイヤ”ァ”ァ”ア”ア”アアアア!!!!死にたくない死にたくない死にたくない!!俺まだ彼女とかいた事ないんだよやりたい事もしたい事もたくさんあるのに学校だってまだ卒業してないんだよやめてたげてえええええええ!!!!」
なんて、喚いても騒いでもエネミーは振り上げる手をおろしてはくれない。ドクターとの通信も、調子がよくないのかさっきからノイズしか流れない。
待って待ってほんと待ってねぇ待って!?俺まだ死にたくない誰か助けて誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か誰か…!!
「誰か…!!」
瞬間、俺とエネミーの間に光が瞬いた。目も開けていられないくらいの光に文字通り目が眩んだ俺は眩しさに目を閉じた。「ぐぎゃッ!!」エネミーのものと思われる短い悲鳴が聞こえた。そして光が収まった頃…
「誰かなんて、他人行儀な事を言ってくれる」
ばさり、雲柄の青い着物が揺れる。
それは、背丈の低い小柄な人物だった。声からして少女だとわかるが、不釣り合いな長い刀としゃん、と伸びた背筋が年相応に見えない。
ひゅんッ、と風が鳴る刀を鞘に納めた少女がゆっくりと振り向く。顔をすっぽりと覆う狐面。赫灼の髪から覗く耳には花札みたいな絵柄の耳飾りがからん、と涼し気な音を立てた。
「こんにちは、人類最後のマスター。あなたの“生きたい”と言う願いに応え、参上しました。真名は…ごめんなさい、今は言えません。アルターエゴ、そう呼んでください」
「あ、アルターエゴ…?」
「はい!…あなたの、サーヴァントです」
そう言いながら差し出す手のなんと小さい事か。こんな小さな手で、あの刀を振り回していたのか。小さいけれど、たくさんマメができた努力してきた人間の手だ。まじまじと見ていれば、彼女…アルターエゴはべちり、と俺の額を弾いた。なんで!?
「いつまでもここにいるわけにはいきません。またさっきのデカブツが現れるとは限りませんから、早いところ退散しちゃいましょう」
「うわ!」
アルターエゴは軽く言いながら俺の膝裏と背中に手を回すと、なんの重さも感じさせないように持ち上げた。こ、これは…!!
「いやああああああ降ろして!!降ろしてえええ!!」
「ちょ、うるさい!暴れないで!」
「いや暴れるわ!!なん…え!?なんでお姫様抱っこなんてしちゃうの!?俺男なんだけど!?普通逆じゃない!?」
「マスターは満身創痍だろうが!!それに、人の足より私の方が早く移動できる!いいからナビゲートする!!」
「は、はい…」
アルターエゴに一蹴されて思わず口を噤む。…なんだろう、前にもこんなやり取りをしたような気がするんだけど…
びゅんびゅんとビルからビルを飛び移るアルターエゴの脚力に、感心と振り落とされないかの不安と恐怖を噛み締めながら顔を覗き込む。
独特の模様が描かれた彼女の狐面。それで顔を覆っているから、当然のように彼女の顔は見えない。けど、風に揺れる耳飾りになんとなく触れたくなって、思わず手を伸ばした。
「…何?」
「ッ!ご、ごめん、つい…」
「変なの」
くすくすと狐面の奥で笑うアルターエゴに顔が暑くなる。…なんだか、調子が狂う。ずっと昔、誰かとこんな話をしたような気になる。こんな耳飾りをつけた知り合いなんて、俺にはいないのに。
…なんで、なんだろうか。
「降りますよ、マスター。しっかり捕まっててくださいね」
「…アルターエゴ」
「はい?」
「あのさ、その敬語やめない?」
「なぜ?私はサーヴァント。マスターに敬意を込めての言葉遣いだと心得てますが…」
「さっきみたいな砕けた感じがいい。ねぇ、ダメかな…?」
「…わかった。マスターがそう言うのなら」
そう言うアルターエゴの音が、びっくりするくらい泣きたくなるような優しい音をしていたから。耳に馴染むその音をもっと聞きたくて、小さい子供みたいに彼女の肩に顔を押し付けた。