じゅうなな
オーバードーズによる不正数値も安定してきた頃。マリアとマムが出かけなければいけない用事があるという事で、私と善逸は留守を預かっていた。
今日は私の代わりに善逸が腕によりをかけてお昼を作ってくれるらしい。あの子の作るものはなんだっておいしいのだ。
ぼんやりと空を眺める。…思い出すのは、つい先日の出来事。
紫が瞬く、六角形が連なる障壁。おおよそ私が出したとは思えない見覚えのない力に、ただ体が震えた。
リィンカーネーション。その言葉が頭に浮かぶ。もしも私にフィーネの魂が宿っているのなら、私の魂はフィーネに塗り潰されて消えてしまうのではないのか。それがひどく怖くて仕方がない。
…いや、ちょっと待って。
ふと気付いた。気付いてしまった。
もしも私がフィーネの魂の器なのだとしたら、マリアはどうなんだろう。だって、マリアは再誕したフィーネだとマムが言っていたし、マリアもそう名乗っていた。なら、私のこれは一体なんなんだ…
「羽炭!」
顔を上げると、善逸が駆け寄ってきた。
「ご飯の支度ができたよ」
「あ、ありがとう…。何を作ってくれたの?」
「ふっふーん…聞いて驚け?今日は俺特製のカルボナーラだ!付け合せのサラダも作っちゃったもんね」
「わ、すごい!さすが善逸!」
「えッ、ほんと?ウィヒヒ、ほ、褒めたってなんも出ないんだからな〜!」
くねくねと照れ笑いをしているらしい善逸に、ちょっと引いた。だって、笑い方…それさえなければ普通にかわいいのに…もったいないなぁ…
「そう言えば、ドクターも何か任務でも?見当たらないけど…」
「あんな奴ほっとけよ。胡散臭いし、何考えてんのかわかんねーの。それより、早く食べないと冷めちゃうぞ!」
「ん、そうだね。せっかく善逸が作ってくれたんだもん、暖かいうちに食べよっか!」
「ん”んッ…好きッ…!」
がばー!と飛び付いてきた善逸を受け止め、手を繋いでヘリへと戻る。
…あれから、善逸は随分感情を表に出すようになった。元々表情豊かではあったけど、なんというか、こう…愛情表現?そうだ、それだ。愛情表現を真っ直ぐに伝えてくれるようになった。
それが嬉しくもくすぐったくて、私もこの子にちゃんと返せているだろうかと不安になる。
「善逸」
「ん?どうかした?」
「…ありがとうね」
「?変な羽炭」
そう笑う善逸は、陽だまりのようで私には些か眩しかった。
***
「マム、マリアさん…ドクターの言ってる事なんて嘘だよね…」
夜。帰ってきたマムとマリアの様子がおかしくて問いただしてみれば、後から悠々とやってきたドクターが昼間にあった事のあらましを物語った。
10年を待たずして訪れるであろう月の落下から、無辜の命を救うための理念を米国政府に売ろうとした事。マリアに宿っていたと言われたフィーネの魂は、実は誰にも宿っていなかった事。
いくつもの真実は、私たちに大きな衝撃を与えたのだった。
「マムは、フロンティアに関する情報を米国政府に供与して、協力を仰ごうとしたの」
「でも、米国政府とその経営者たちは、自分たちだけが助かろうとしているって…」
「それに、切り捨てられた人たちを少しでも守るため、世界に敵対してきたはずだよ…!」
「…あのまま幸和が結ばれてしまえば、私たちの優位性は失われてしまう。だからあなたは、あの日にノイズを召喚し、会議の場を踏み躙ってみせた」
マムが語りかける相手は、ドクターだった。
「いやだなぁ、悪辣な米国の連中から、あなたを守って見せたというのに!この、ソロモンの杖で…!」
ドクターがソロモンの杖をマムに向ける。咄嗟に私と善逸はマムを背に庇い、臨戦態勢をとるが、そんな私たちの前に立ち塞がったのは、マリアだった。
「マリア…!」
「マリアさん、どうして…!」
「…偽りの気持ちでは世界を守れない。セレナの思いを継ぐことなんてできやしない。全ては力…!力を持って貫かなければ、正義を為すことなんてできやしない!世界を変えていけるのはドクターのやり方だけ…!ならば私は、ドクターのやり方に賛同する!」
そう語るマリアは、本気だった。匂いも、きっと善逸が聞き取っているであろう音も、全部本心で、本気だった。
「…そんなの、嫌だ…」
ぽつり、善逸がこぼした。
「だってそれじゃ、力で弱い人たちを抑え込むってことでしょ…」
私たちが強いられてきた事を、他の誰かにもしてほしくなくて今まで戦ってきたのに、私たちが同じ事をしているんじゃ意味なんて…
「…わかりました」
弾かれるようにマムを見た。
「それが偽りのフィーネではなく、マリア・カデンツァヴナ・イブの選択なのですね…?ッ、ごほ、ごほッ…!」
「マム…!」
「後のことは僕に任せて、ナスターシャはゆっくり静養してください?」
「計画の軌道修正に忙しくなりそうだ…!」そう吐き捨てて部屋を出ていったドクターの背中を睨み付けた。
何もかもが、少しずつ狂っていく。私はただ…
ただ…
「ただ、誰かに私と同じ思いをしてほしくないだけなのに…!」