じゅうさん
ドクターを見つけたはいい。だけど、ガングニールのあの子がここにいるだなんて思ってもみなかった。
彼女…立花響さんがドクターへ向ける拳を私のアームドギアを盾に展開させる事でどうにか防ぐ。…が、思いのほか立花響さんの力が強く押され気味なのを、善逸が背中を支えてくれる事で踏ん張れている。
また、歌わせてしまった。リンカーを投与したばかりとはいえ、こうも頻繁にギアを纏い続ければいずれ善逸は…
「羽炭!しっかり!」
「、うん…!」
ドクターを回収して、速やかに戦闘を離脱しなければ、この場にSONGの増援が集まってしまう。そうなれば多勢に無勢。私たちが不利になるのは間違いない。
立花響さんの拳を弾き返し、善逸がドクターを小脇に抱えて後方に飛び退く。
「…あの子を相手に、言う程簡単に離脱できるとは思えない」
問題はそこなのだ。爆発的な彼女の力は、時限式である私たちには些か分が悪い。それこそ、絶唱を口にしない限り適うかどうかもわからない。
だけど、唐突に立花響さんが地面に膝を着いた。
胸を抑えてすごく苦しそうに浅く息をしている。
「何…?どうしたの…?」
「胸が、光り輝いて…」
「ははッ…さぁ、頑張る二人にプレゼントですよ…!」
不意に視界の端でドクターが動いた。首筋に当てられる冷たい金属の感覚。体内に入り込む異物。それが嫌でも慣れ親しんでしまったリンカーだと理解した瞬間、私は善逸の背中を思いっきり突き飛ばした。
「あだ!ちょ、羽炭…!いきなり何するの…!」
「触るなッ…!」
地面に尻を着く善逸を背に、ドクターと対面する。
「おやおやぁ?どうしてあなたは彼女を庇うんですか?それでは、せっかくのリンカーが無駄になってしまいますよぅ…?」
「ぜんいッ…善乃にリンカーは打たせない。打つ必要がない。それに、効果時間にはまだ余裕があるだろうが!なんで今このタイミングで…!」
「だからこその連続投与なんですよ」
ドクターは続けた。立花響さんに勝つためには、今以上の出力で彼女をねじ伏せるしかないのだと。それをするにはら無理矢理にでも適合係数を引き上げるしかない。
…一理ある。だけど、そんな事をすればオーバードーズによる負荷で体が耐えられない。
だから私は善逸を突き飛ばした。私以上に、善逸に連続投与をする方が危険なのだ。
本当はドクターの言いなりになんてなるのは癪でしかないけれど、私には断れない理由がある。ドクターがいなければ、マムの治療ができない。
「…それでも、善乃にリンカーは打たせない」
「だったら君がもう一本打ちますか?」
ドクターが挑発するようにリンカーを見せびらかしてくる。それをふんだくった私は、迷わず投与器を首筋に当てた。
…瞬間、立ち上がった善逸が私に掴みかかってきた。
「な、何やってんの羽炭…!そんな何本もぽんぽん打ち込むものじゃないだろ!!そんな事をしたら、オーバードーズの負荷だけじゃなくて過剰投与の薬害も…!!お…私が打つから、それ以上は…!」
「善乃に絶唱を歌わせるくらいなら、私が全部背負う方がいい!!」
「ッ…」
「もう、嫌なんだよ…君が血塗れになって、ずっと眠ったままなの…辛くて、悲しくて…何より、善逸が笑顔になれない事の方が、私は嫌だ…」
どん!善逸の胸を突き飛ばす。私から善逸の手が離れたその瞬間を見計らって、リンカーをもう一本首筋に打ち込んだ。
途端にせり上がってくる嘔吐感と全身の震え。「さぁ、歌っちゃえよ…!今なら絶唱も歌い放題のやりたい放題だ…!!」背後でドクターが言う。
私は息を吸った。
「Gatrandis babel ziggurat edenal」
歌。
「Emustolronzen fine el baral zizzl」
歌。
息を吸って。吐いてを繰り返すこの行為はどこか全集中の呼吸に似ていた。
「だめだ!やめろ羽炭!歌うな、歌っちゃだめだ!」
「おっと、彼女の邪魔をしちゃだめですよ?」
「くそがッ…!離せ!羽炭…!!」
ドクターに羽交い締めされているらしい善逸が叫ぶ。ちらりと見てしまったけど、彼女の目尻には今にもこぼれそうな涙が浮かんでいて、ちくり、胸に針が刺さったような痛みが走った。
けど、やめない。
「Gatrandis babel ziggurat edenal」
ごめん、善逸。けど、私は歌う。マムのため。マリアのため。それと、君のために。私は命を燃やす。最後の歌を歌って見せる。
「Emustolronzen fine el zizzl−−…」
ごふッ…!
歌い終えると同時に、吐血。大きく脈打つ心臓。瞬間、体の内側から燃えるような力の気配が噴き出してくる。全身が痛むはずなのに、ちっとも痛くない。むしろ、心地いいとさえ感じる。
アームドギア以外の全身に付属されているギアが分離、組み立てを繰り返し展開していく。
「羽炭ぃぃぃー!!!」
善逸の絶叫が響く。聞こえる。
「レーヴァテインの絶唱は、記述されていないがゆえの凡用性の高い刃の斬撃…!けれど世界を焼き尽くす炎である定理の元、振るうは灼熱の業火の刃!!誰も何者も…!逃げることはできない!!」
ギアから、アームドギアから、刃から、灼熱が迸る。周囲を覆いつくした猛炎を操って、振りかぶった。
「Gatrandis babel ziggurat edenalーー…」
瞬間、聞こえてきた歌に思わず動きを止めた。これは…
「ぜ、絶唱…!?」
「Emustolronzen fine el baral zizzl」
立花響さんから紡がれる歌。すると、私の周囲で蜷局を巻いていた炎が消え失せ、展開させていたアームドギアも急激に減圧していった。
ど、どうして急に出力が…!?…も、もしかして…
「エネルギーを吸い取っている…!?」
「Gatrandis babel ziggurat edenal
Emustolronzen fine el zizzlーー…」
すっかり元に戻ってしまったギアに戸惑いながらも立花響さんを見つめると、私から奪い取った絶唱のエネルギーを一身に抱え込んで苦しんでいた。
「羽炭ちゃんに絶唱は…!歌わせないッ!!!」
なんで、どうして、そこまでして君は誰かを守ろうとするの。君にとって私は敵で、世界に反逆した人間で、なのに…!
「なんで君はそうまでして歌い続けるんだよ!!」
「竈門くんと約束したんだ!」
「え…」
「絶対に…!羽炭ちゃんと善乃ちゃんを連れて帰るって!!二人を悲しませないって!!約束したから…!!だから!!」
「セット!!ハーモニクス!!」
立花響さんがまばゆく光り輝く。その光源が強まれば強まるほど、彼女は苦し気に胸を押さえて体を折る。腕のギアを一つに束ね、その拳を天高く突き上げた瞬間、ライブ会場で見たのと同じ七色の軌跡が空高くに昇って行った。
私に向かって放つわけでもなく、空へ。
『聞こえて…?ドクターを連れて、急ぎ帰島しなさい…!』
ふと無線にマムの声が飛び込んできた。突然の撤退命令に戸惑う。
「ま、マム…でも…」
『そちらに向かう高速反応が二つ。恐らくは、天ノ羽々斬とイチイバル』
『羽炭、あなたはリンカーの過剰投与による負荷を抱えているのですよ…!そのまま放っておけば薬害におかされてしまう、指示に従いなさい』
「…わか、た」
上空に現れたヘリからロープが垂れる。
「…行こう、善乃」
「………」
善逸は無言だった。悲しみと、後悔と、激しい怒りの匂いがする。泣きはらした目が私を睨む。けれど差し出した手はちゃんと握ってくれたことに安堵の息を吐き、そのまま善逸の体を引き上げた。
「ドクターは私が連れて行く。善乃は先に行っててくれる?」
「……わかった」
一足先に善逸がロープに飛び移る。私は蹲る立花響さんに向き直り、声をかけた。
「…炭治郎に伝えてほしい」
脂汗のにじむ彼女の顔がこっちを向いた。アームドギアをサイズダウンさせながら口の端から流れる血を拭う。
「私を忘れて、普通に生きて」
「えッ…そんな、待って…!」
ドクターを抱え、飛び上がる。苦しみながらも立花響さんは、何かを伝えるべく声を張り上げているけれど、ヘリのプロペラ音がうるさくて何を言っているのかわからない。
全部全部、一切合切を振り払って私は彼女に背を向けた。
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☆こそこそ話
☆絶唱
命を燃やす最後の歌。