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出会う話




満月が照らす夜だった。
ひょんな事から…いや、全然ひょんじゃないけど、じいちゃんに剣士として扱かれる毎日が嫌で嫌で嫌すぎて何度目かもわからない夜逃げを決意した俺である。そんなに多くもない荷物をまとめ、そそくさとじいちゃんの屋敷を後にした。

峠を降り、山に入ったあたりからいつもならじいちゃんがやって来るのに、今日は珍しく何もなかったから、きっと俺はそれに浮かれてたんだと思う。


「…え、何この音…」


山を半分くらい越えた頃、木々の奥から聞き覚えのない音が聞こえてきた。思わず足を止め、耳を澄ます。聞き覚えのない、けれど決して出会ってはいけないこの音を、俺は知っている。


「(鬼だ…!)」


だッ、と俺が走り出すと同時に鬼もこっちに向かって近付いてくる。夜の山に入るなと再三言われたじいちゃんの言葉が今更頭の中に木霊して泣きそうになる。だって、近道だったんだよこの山…!


「がッ…!」


走る事に必死すぎて、ちっとも背後を気にしていなかった。突然背中に来た鈍い衝撃に息がつまり、体が地面に投げ出される。強かに打ち付けた背中の痛みに顔を顰め、けれど早く起き上がらないとと身をよじった瞬間に首を掴まれる。


「ヴーッ…!ヴゥ”ー…!」

「か、はッ…」


俺の首を締めるのは少女だった。俺と同い歳か少し下くらいの子。だけど、浮き出る血管や飢餓状態なのか口の端から滴る涎、爛々と光る細く鋭い赤い目が人ならざるものであると主張していて。
なんとか首から手を剥がそうと藻掻くけれど、所詮人間の力が鬼に適うはずなんてないのだ。段々と霞んでいく視界の中、少女の鬼が鋭い爪を振り上げた。


「ッ…!!」


きつく目を閉じた。…けど、いつまで経っても衝撃が来ず、その代わりにぼたぼたと顔に鉄臭い何かが降り注いだ。痛みも何にも感じない事にびっくりして、恐る恐る目を開けると、鬼は自分の腕を噛んでいた。
着物の袖から落ちてくる血の量が、どれほど強く噛み締めているのかを物語っている。


「に、げて…」


額に、頬に、髪に、血液に混じった涙が降り注ぐ。鬼灯みたいな赤い目からしとどに流れ落ちる涙が、激しい悲しみの音が、飢餓衝動に耐える彼女の全部から目が離せなかった。


「ころ、じだぐ、ない」


「にげて」


「おねがい」


「はやく」


「にげろ!!」


瞬間、視界の端で鮮やかな青が瞬いた。


「ッ…!!」


咄嗟だった。体が勝手に、煌めいた刃から彼女を庇おうと動いた。数回転げ、刃の先を見れば見知らぬ男がいた。


「なぜ庇う」


氷水のように冷たい声に、背中が震える。しかも男が握る刀をよく見てみれば“惡鬼滅殺”と掘られていて、それがじいちゃんが持っていた日輪刀と同じものだと知る。

つまり、こいつは柱だ。


「待って、待ってくれ…!この子は…!」

「見るからになんら関係のない間柄だろう。そいつは鬼だぞ。雲取山からずっと逃げていた鬼だ」

「雲取山から…」


鬼になった人間は、基本的に理性を失う事の方が多い。にも関わらず、この子はさっきみたいに、ほんの僅かに残った人間の部分を無理矢理繋ぎ止めて今まで逃げていたんだろう。誰も殺さないように、傷付けないように、苦しみながら、悲しみながら、ずっとずっと、逃げていたんだろう。

…だから、だからこそ、俺は、守らなきゃって思った。鬼で、だけどこんなにも優しい音を出せるこの子を、殺させるわけにはいかないって。どうかしてる。鬼は人を喰らい、殺さなければいけないってじいちゃんに散々言われていたのに、こんな事思っちゃうんだよな、俺。


「…何をやっている」


藻掻く彼女を押さえつけるように抱き締める俺を見て、男は表情を変えないまま、けれど意味がわからないと言いたげな雰囲気を醸し出しながら言った。


「この子は…鬼だ…けど、誰も殺していない…」

「俺の仕事は鬼を斬る事だ。もちろんそいつの頸も例外なく刎ねる。それに、そいつが誰も殺していないなんて証拠もない」

「俺にはわかる!音が…!この子の音はずっと苦しんでて、誰も殺したくないんだって…!」

「今しがた己が喰われそうになってよくもそんな事を言える」

「この子は誰も殺さない!!きっと優しい子だ!!さっきも俺を殺さないように自分で自分の腕を噛んで、逃げろって言ったんだ!!」


そうだ、この子はきっと優しい子なんだ。どういう経緯で鬼になったのかはわからない。
…だとしても。


「…俺は、元鳴柱の桑島慈悟郎を育手に持つ剣士です」

「!!」

「鬼殺隊の事も、鬼の事も、全部知ってます…」

「…育手の顔に泥を塗るつもりか。鬼を庇うなど、笑止千万」

「だとしても!!俺がこの子に誰も傷付けさせない!誰も殺させない!人間に戻す方法を必ず見つけてみせる!!」

「鬼になったら人間に戻る事はない」

「探す!!必ず方法を見つけてみせる!!だからッ…!」


ジャッ!と刀を抜き、切っ先を男に向けた。じいちゃんが貸してくれた日輪刀で、肌身離さず持ち歩くようにと口を酸っぱくして言われて、夜逃げする時に思わず持ってきてしまったものだ。


「この子を殺さないでくれ…!!」

「…!」


ぴたり、腕の中の彼女の動きが止まった。俺の腕から逃れようと引っ掻き、暴れ回っていた彼女の手がだらり、と力なく垂れ下がる。そして、手の甲に熱い何かが降りかかる。

あぁ、また泣いているのか。


「……そいつを治す方法は鬼なら知ってるかもしれない」

「え…?」

「だが、鬼共がお前の意志や願いを尊重して素直に教えてくれるなどと思うなよ」

「承知の上だ。俺は、絶対にこの子を人間に戻してみせる。じいちゃんには…裏切るような事をしてしまって申し訳ないと思うけど…」


それでも、俺はこの子の音を信じたいと思ったんだ。
暫く俺と男の睨み合いが続く。正直何考えてんのかわかんないし、目つきも怖いし今にも震えて膝から崩れ落ちそうだけど、ぐッとそれら全部を飲み込んで前だけを見据えた。

…ふと、男が纏う空気が和らいだ気がした。


「…こいつは他の鬼とは違う。そう言って喰われた奴を何人も知っている」

「、…」

「だが…お前がそう誓うのなら、成し遂げてみせろ。鬼殺隊となり、鬼を狩りながら、そいつを人間に戻してみせろ」

「ぜ…絶対にやる…!やってみせる!必ず成し遂げると誓う!!」

「…必ずだぞ」


そう言い残し、男は瞬く間にその場から消えた。
静寂の中をどこからともなく聞こえてくる虫の声が木霊する。暫く呆然と立ち尽くしていると、不意に彼女の体ががくッと傾いた。


「う、わ…!ね、ねぇ…!大丈夫!?しっかり…」

「すぅ…すー…」

「え…ね、寝てる…?」


さっきまでのおっかない顔はどこへやら、依然眉は苦しげに顰められているけど、規則正しい呼吸音をさせて彼女は穏やかな顔で眠っていた。その顔を見て、どさり、地面に尻をつく。


「はぁぁああ……死ぬかと思った…」


剣士として扱かれるのが嫌で、逃げた先で鬼と出くわし、喰われかけ、けれど今度は現役柱と不可抗力で対峙して…この短時間でどんだけ寿命縮んだの、俺。一生分は削れたんじゃなかろうか。
…なんて、思うけど、この子の寝顔を見てると、何かもうどうでもいいやって思える。彼女の目尻に残る涙を拭い、抱き上げた。


「じいちゃん、怒るだろうなぁ…」





***



なんて事が合ったのがちょうど半年前。案の定、というか当然のようにあの子を連れてじいちゃんとこに戻ればしこたま怒られたし、死ぬほど殴られた。…けど、最後には「仕方ないな」って困ったように笑いながら俺の頭を撫でてたじいちゃんに今までで一番感謝した事はここだけの話。

その時から、彼女は今までずっと眠ったままだ。じいちゃんは、人の血肉を喰らわない代わりに眠る事によって体力を回復しているのではないかと推測している。
一度も目を覚ます事なく、時々そのままことり、と死んでいるのではと心配になるくらいには眠り続けていた。だから、俺は未だ彼女の名前を知らないからなんて呼べばいいのかわからず、かと言ってずっと“彼女”のままだと不便だと言う事で“紅(べに)”って勝手に呼んでる。なんで紅かと言うと、初めて出会った時に見た瞳が鬼灯みたいな紅色ですごく綺麗だったからって言う安直な理由だったりする。
別にいいじゃん、じいちゃんだって紅って呼んでんだし。


「うぅ…紅ちゃあん…今日もさ、しんどかったんだよ…じいちゃんすぐに殴るから…俺いつか脳細胞死ぬんじゃないかな…」

「…すぅ…」

「…死にたくないなぁ…でも、ちゃんと紅ちゃんの事は人間に戻してあげるからね…」


俺はじいちゃんの稽古から逃げ出さなくなった。泣き言は…正直しょっちゅう言う。今も紅ちゃんに言ってる。けど、それだけだ。穏やかに眠る紅ちゃんの顔を眺めてたら疲れも何も全部吹っ飛んでしまうくらいには綺麗な顔立ちをしていた。

…けど。


「ねぇ…早く目を覚ましてよ…俺、君とお話してみたいんだ…」


そっと布団からはみ出た紅ちゃんの手を握る。どうか、彼女が一日でも早く目を覚ましますように。
祈るように、小さく呟いた。