×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -
私とお師匠




兄さんの屋敷に戻ってきた私は、何をするわけでもなく縁側に座ってぷらぷらと足を揺らしていた。かれこれ四日ほど、私は鳴屋敷に帰っていない。…否、帰れなかった。何度か脱走を試みたのだけど、目敏い兄さんはその度にどこからともなく現れて私を連れ戻すのだから、三日目になれば半ば諦めていた。

この四日間、私は兄さんと稽古をしたり、管轄の見回りについて行ったり、屋敷の掃除をしたりと鳴屋敷にいた時と大して変わらない日常を送っていた。…ただ一つ、寂しいと思う事は、お師匠が私の名前を呼んでくれる声が聞こえない事だった。


「……羽炭」


ぽすん。不意に頭に大きくて暖かなものが乗った。それはゆらゆらと左右に揺れ、髪を梳く。「よっこいせ」気配が隣に座った。


「…寂しいか?」


そう問いかける兄さんに小さく頷いた。


「だけど、俺は今怒っている」

「…知ってるよ」

「善逸にも、羽炭にも、両方に怒っている」


…なんて、言う割に兄さんからは怒っている匂いがしない。怒っているのであろう事はわかる。けど、その匂いがしないから兄さんがよくわからない。
そろり、横目で兄さんを見上げればぼんやりと前を見つめていた。


「二人がお互いを想いあっているのは知ってる。それが間違いだとか、よくない事だなんて思ったことはないけれど、ちゃんと自分の想いを口にしないで身体を預ける事だけはしてほしくなかったんだ」

「…好きって気持ちだけじゃだめなの?」

「だめではないよ。ただ、これはけじめなんだ。じゃないと、境界線があやふやになって、自分たちの関係がわからなくなってしまう。…善逸は普段あんなんだけど、羽炭を想ってくれてるのは匂いでわかる。だからこそ、それを怠った善逸に俺は腹を立てた」

「…じゃあ、私は?」

「羽炭は、それに気付かず、気付かせずに許してしまった。お前は鬼殺の剣士である前に、女の子なんだから。例え相手が善逸だとしても、許しちゃだめだ」


兄さんの赫灼色の目玉が私に向けられた。怒っているわけでも、悲しんでいるわけでもない、ただただ静かに、だけど優しくて暖かい目をしていて、きょとり、目を瞬かせる。
…どこまでも、兄さんは優しい。

言葉にせずとも心は通じる、なんて言葉をどこかで聞いた事がある。だけど、言葉にしないと本当の意味でわかりあえないし、想い合うことができないのかな、なんて考えてしまった。
私は…私は、お師匠が好きだ。怖がりなところも、泣き虫なところも、優しいところも、暖かい手の温もりも、笑顔も、お師匠を構成する全てが大好きだ。それは誰にも何者にも変えられない事実で、私の根底にあった想いの丈だ。


「…あのね、兄さん、私ね…」

「待った」

「んぶッ」


勢いよく口を塞がれ、変な声が出てしまった。一体何事か、と兄さんを見上げると、困ったように眉を垂らしながら笑っていた。


「それは俺に言うんじゃなくて、本人に言ってやれ」

「本人…?」

「ほら…」


そう言って兄さんが私の背後を指さして、それに私が振り返ったのと、真正面から勢いよく何かがぶつかって来たのはほぼ同時だった。
嗅ぎなれた匂いが鼻を掠め、安心したのやら、嬉しいのやら、色んな感情が一気に押し寄せてきてそれが涙となって目尻からこぼれ落ちる。あぁ、お師匠だ。暖かくて、陽だまりのような優しいお師匠の匂い。
ぎゅーッ!と痛いくらい私を抱き締めるお師匠の背中に、そろり、と手を回した。


「すぐに追いかけなくてごめん…」

「…いいえ、いいんです…」

「ずっと考えていたんだ。俺が羽炭を想う気持ちに嘘はないけれど、ちゃんと言葉にしなかったのは俺だ。言葉にしなくとも、身体を重ねるだけで通じ合えるんだって、思ってた…。だけど、それはただの俺の傲慢で、どうしようもない我儘だ…」


ぽつり、ぽつり、耳元で小さい声で呟くお師匠のなんと弱々しいこと。今にも消えてしまいそうな気がして怖くなって、思わずお師匠の背中に回す腕に力を込める。お師匠が息を飲む。私はそれに気付かないふりをしてお師匠の胸元に鼻先を埋めた。


「甘んじて受け入れていたのは私です、お師匠…。少しの間お師匠と離れてみてわかりました。やっぱり、お師匠がそばにいないと私は寂しいです…」


黄色いものが視界を横切る度にそれに目を向けてしまう。お師匠だろうか、なんて期待を胸に振り返って、違うとわかると落胆してしまうくらいにはどうしようもなくお師匠の影を探していた。自分でもどうかと思う。だけど、お師匠を想う気持ちを嘘はつきたくない。


「お師匠…私、お師匠が…」

「待って」


とん、と唇にお師匠の人差し指が置かれた。どうしたんだろう、なんて思いながらお師匠を見上げると、こっちが照れてしまいそうなほど甘く煮詰まったべっこう色が私を見つめていて、ざわり、心臓がざわめきだった。
目は口ほどに物を言う、なんて言うけれど、正しくその通りだと思う。お師匠は特に、目が正直だ。それに匂いも相俟って、こうして面と向かって見つめ合おうものなら過多の情報が流れ込んできて体が動かなくなる。


「その先は俺に言わせて」

「はい…」


体を離したお師匠が私の両手を握り締める。大きな手。暖かい手。兄さんとはまた違う私が大好きなやさしい手。
甘く燻るべっこう色の目玉に見つめられ、心臓が高鳴る。全身が熱くなって、熱に浮かされているみたいだ。「羽炭…」優しい声が私の名前を呼んだ。


「俺は、弱虫だ。すぐ泣くし、いい歳こいて未だに鬼が怖い。逃げたいだなんて思うことはしょっちゅうで、だけど、羽炭が屋敷にいない間ずっと考えてて、この気持ちからは逃げたくないって思った」


お師匠の緊張が私にも伝わる。だって、私の両手を握るお師匠の手は小刻みに震えているから。


「歳下とか、継子とか、そんなん関係なしに、俺は羽炭を愛しています」

「ッ…!」

「だから、もう一度…改めて、ここから俺と手を繋いで歩いてくれますか?」

「…はい!」


お師匠…改め、善逸さんに勢いよく飛びついた。いきなりだったから多少ふらついたものの、すぐに立て直して私を抱き締め返してくれる善逸さんの温もりに涙がこぼれる。
あぁ、善逸さんだ。ずっとずっと、私はこの温もりに触れたくて焦がれていた。たった四日。されど四日。善逸さんがいない四日間は随分と寂しいものだった。

不意に、ごっほん!とわざとらしい咳払いが聞こえた。言わずもがな、ここにいるのは私とお師匠だけじゃない、兄さんのものだ。


「た、炭治郎いたの!?」

「さっきからずっといたが…?」


真顔でそう返す兄さんに、たしかにそうだ、と思った。今までのやりとりを見られていたのかと思うと、途端に羞恥が全身を巡る。いくら兄さんだとしても、普通に恥ずかしい。さりげなくお師匠の腕の中から抜け出した。


「ところで、善逸」


にっこり、笑顔を浮かべる兄さんにお師匠の顔が引き攣ったのが見えた。曇りなき笑みはいっそ清々しく、それが謎の威圧感を放って逆に恐ろしく見えてしまうのだからどうしようもない。名指しされたお師匠は「ひゃい…」と半泣きだった。


「晴れて恋仲になった事、兄として祝福するよ」

「そ、それはどうも…」

「…………………だが、それとこれと話は別だ」

「いや、ちょっと…炭治郎さん…?」

「一発殴らせろ」


お師匠が踵を返すのと、すかさず兄さんが追いかけるのはほぼ同時だった。


「なんでなの!?なんでそうなるわけ!?ちょ、落ち着けよ馬鹿!!」

「俺は落ち着いている!!だからさっきも祝辞を述べただろう!!」

「ならその振り上げた拳をおろしてもらえません!?」

「無理だ!!」


ギャーギャーといい大人が二人して庭を走り回る光景はなんとも言い難いもので…。こっそり笑って、般若みたいな顔をしている兄さんからお師匠を庇うべく立ち上がった。


「兄さん!」





---

最終回っぽく締めくくりましたが、まだまだ続きます。