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昔、よく遊んでいた男の子がいた。
おばあちゃんちに行く度に一緒に遊んでいた子で、子供が少なかったそこでは数少ない同年代でとっても仲良しだった。

おばあちゃんの田舎にいる間は何をするのも、どこに行くのもずっと一緒で、だけど、私が小学校高学年に上がった頃だろうか。その子を見かけることがなくなってしまった。
一回目は、まぁ、そういう事もあるだろうって思ってたけど、二回、三回と続くと、もしかして引っ越してしまったのかもしれないと思うようになった。何も告げずにいなくなってしまったことが寂しかったけれど、仕方のない事だ。
今となっては名前もどんな顔だったのか覚えていないけれど、その子からもらった花札みたいな模様の耳飾りは今でも大切に、肌身離さず持っている。私はピアスを開けていないから、金具を加工して首から下げられるようにしている。

……なぜ唐突に今こんな事を考えているのか。それは、現在進行形で私が現実逃避をしたいからに他ならない。人間、本当にテンパると思考が完全に別の方向へ行ってしまうようだ。
完全に血の気が引いた私は、隣で謝り倒す兄役の声をどこか遠くから聞いているような錯覚を起こした。


事の始まりはほんの数分前。予定になかった大人数での来店に一気に忙しくなった湯屋を、あっちへこっちへと慌ただしく走り回っていた。その際に蛞蝓に頼まれた上階のお客さんへのお膳を運んでいる途中で、ちゃんと曲がり角を確認してなかった上に走っていた私はそのまま角から現れた誰かに真正面から、それも手にしていたお膳ごとぶつかってしまったのだ。
ガッシャン!響き渡る音と床にぶちまけた料理、何より、着物の袖からかかってしまったらしい味噌汁がぼたぼたと滴り落ちていた。

着ているものを一目見れば、その人が上位の神様である事は明白。お客様…それも神様にぶつかった挙句に料理をぶちまけ、あまつさえそれを引っかけてしまうなど、絶対にしてはいけないこと。騒ぎを聞きつけた兄役がすぐに飛んできて、そうして今に至るのだ。


「誠に申し訳ございません!!何ぶん、新米の人間の小娘でして…!ぶつかった上にお召し物まで…!こちらで弁償させていただきますので…!おい、羽炭!」

「はッ…も、申し訳ございません…!!私が確認を怠ったばかりに…!」


兄役に脇腹をつつかれ、我に返った私は慌てて同じように頭を下げる。本当に、どうしよう…神様の着物って洗えるのかな…だけど兄役、弁償って…わ、私のお給料で事足りるだろうか…それとも、罰として動物にされる…?
考えれば考えるほどぐるぐる目が回る。目の前の神様は面を被っているため表情は伺えない。それが余計に恐怖を煽って、今にも震え出しそうな体を無理矢理押さえ込もうとした瞬間…


「羽炭…?」


今の今まで無言だった神様が、ぽつり、こぼした。


「今、羽炭って…そう言ったのか?」

「へ?いや、あの…」

「どうなんだ?」

「い、言いました…!羽炭は、その…この人間の名前で…」


ぐるん、と勢いよくこっちを振り返った神様に今度こそ体を震わせた。一体私の名前の何が気になったのかはわからないけれど、じ、と頭のてっぺんから足の爪先までまじまじと見つめられて少し居心地が悪い。…けど!神様が直々に手をくだされると言うのなら…私はそれを甘んじて受ける…!だって悪いのは私なのだから!


「ッ…申し訳ございませんでした!」


再度、頭を下げる。何を言われるんだろう…身構えていると、がッ!と勢いよく肩を掴まれた。突然の事で猫のように飛び上がった私は、混乱する頭のまま体を起こされて、そして……


「久しぶり、羽炭!!」

「「……………………へ?」」


浴びせられるであろうと思っていた真反対の言葉を聞いて、兄役共々素っ頓狂な声を上げてしまった。
というより…え?久しぶりって…私、こっちの世界に友達はおろか神様の知り合いなんていませんけど…
困惑する私と兄役をよそに、目の前の神様は面を揺らしながら私の両手を握る。待っ…ちょ、待って、何事?どういう事なの?


「あ、あの…ヒノカミ様…?」

「兄役、彼女を借りて行くぞ。俺の部屋は?」

「いつもの場所をとっておりますが…」

「わかった、ありがとう!行こう、羽炭!」

「えッ、ちょ…!」


有無を言わさずに私を連れて廊下を歩く神様に混乱しかしない。廊下を汚したままだ、とか、あとで他の蛞蝓たちに何か言われるな、とか、兄役の雷が落ちるんだろうな、とか、色々脳裏を過ぎったものの、浮かんではすぐに消えてしまうのだから今の私に考え事なんて余裕は微塵もないのである。





「さ、上がって」


あれよあれよと連れてこられた先は、上位の神様しか泊まれない湯屋の最も天に近いフロアの一室だった。ここで働き始めて半年が経つけれど、私はその間一度もここへ足を踏み入れた事がなく、むしろこんな状況で神様が過ごす部屋に招き入れられて震えしかない。
どういう状況なの。どうなるの、私。


「そんなに怯えなくても、とって食ったりなんてしないよ」

「ッ…いえ、その…き、着物…ごめんなさい…」

「あぁ、これか?心配しなくても、これくらいどうとでもなるさ」


そう言うや否や味噌汁で汚れた袖に手を翳した瞬間、ぼッ!と勢いよく燃え上がった。あまりにも突然過ぎて目をひん剥いたものの炎は割とすぐに鎮火し、袖の汚れは最初っからなかったかのように綺麗になっていた。


「…それはそうと、羽炭はいつまでそんなよそよそしく喋るんだ?前みたいに名前を呼んでくれないか?」

「いや、あの…」

「??」

「その……私たち、どこかでお会いしましたか…?」

「……え?」


びしり、固まった神様に狼狽える。完全に失言であるのは明確だった。いや、いやでも、本当に私はこの人に見覚えがないのだ。声のトーンから男の人であるというのはわかるのだけど、けれどそれだけだ。
それに、再三言うが私に神様の知り合いはいない。「そんな…」思いのほか落ち込んでいるらしい彼になんだか申し訳なくなってきた。「ご、ごめんなさい…」もう一度謝る。…と、不意にがばり、と顔を上げた。


「そうか、この姿だからわからないんだな!だったら…」


ぽふん!と小さな破裂音を立てて彼は煙に包まれる。けれどすぐに煙は霧散し、そうして現れた姿に、あらわになった顔に、小さい頃の記憶が洪水のように脳内を駆け巡った。
田んぼの畦道を手を繋いで走り回った事。山でどんぐり拾いをした事、神社の賽銭箱の裏で寄り添って寝こけてしまった事……どの思い出にも必ず“あの子”はいた。そうだ、思い出した。君の名前、どうしてこんな大切な事を忘れていたんだろう。そうだ、君は…


「たん、じろう…?」


恐る恐る名前を呼ぶ。そうしたら、にっこりとお日様のように笑う彼、炭治郎に、私は思わず飛びついてしまった。