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累と戦う話




「お前は一息では殺さないからね。うんとズタズタにした後で刻んでやる」


指先の糸を引き絞り、物騒極まりない事を言う目の前の鬼にただただ震えた。いや、だって普通に怖すぎるでしょ…何さ、うんとズタズタって…殺します宣言しないでくれない!?

切れた額から滴る血を袖で拭いながら、内心でめっちや悪態をつく。というか、俺はなにか間違った事を言っただろうか。いいや、言ってない…はず!!「でも、さっきの言葉を取り消せば一息で殺してあげるよ」結局殺すんかい!!

鬼から飛ばされる糸をさっきからずっと紙一重で避けている。というか、少しでも触れた瞬間俺の人生が終わるから文字通り死に物狂いである。


「うわッ…!」


ひゅんッ!とすぐ近くで風が鳴った。それは羽織の袖を切り裂き、立て続けにやってくる糸を刀で受け止めようもした瞬間…


バキンッ!


「えッ…?」


咄嗟に体を捻ったおかげで刻まれる事はなかったけれど…え…え…?えぇ!!?!?ちょッ、ま……嘘過ぎじゃない!!?
刀折れたんだけど!!!!いや、いやいやいや待ってねぇ待って!?


「ッ!」


頭が真っ白どころか色々諸々全部ぶっ飛んでしまった。だって、日輪刀だよ…?鬼の頸はこの刀でしか斬れなくて、だけど、折れてしまったのなら俺はあの鬼の頸を斬る事ができないわけで……
え…どうすんの…?
脳裏にじいちゃんの顔が浮かぶ。ごめんじいちゃん、ほんとこめん。今まで散々死ぬだのなんだの言ったけど、今回本当に死んだかもしれない。だって刀、折れちゃった。刀がないんじゃ、俺、本当にただの役立たずになってしまう。

ぶわり、四方八方を塞ぐように俺の周囲を赤い糸が囲んだ。あ、無理だ。避けきれない。体が刻まれるのってどんな感覚だろうか。痛いのかな。痛いんだろうなぁ…痛いのやだなぁ…
そんな事を考えながら迫り来る糸を見つめていると…不意に目の前を赫灼色がふわりと舞った。飛び散る鮮血と、はらりと千切れて舞い散る赫灼の髪。
いつの間にか、木箱から出てきていた羽炭ちゃんが鬼の糸から身を呈して俺を庇ってくれた。


「羽炭ちゃん!!」


崩れ落ちる羽炭ちゃんを抱き抱え、急いでその場を離れる。木陰に身を隠し、今にも千切れてしまいそうな左手首を支える。


「ごめん…ごめんね羽炭ちゃん…!痛いよね…!大丈夫、大丈夫だから…!」


早く、早く治れ。治ってくれ。だけど、俺の祈りに対して羽炭ちゃんの怪我の治りはとても遅かった。「む…」俺の頬に暖かいものが触れる。はッ、と顔を上げると痛みに顔を歪めながら、だけど、大丈夫、と言うように羽炭ちゃんが笑ってたから、なんで笑ってるの、とか、強がらないでよ、とか思うわけですが。
…だけど、どうしようもなく泣きそうになるのだ。


「兄妹…か…?」

「そんなわけないだろ!!この子は俺の大切な子だ!」


鬼が震える手で俺たちを指さす。兄妹じゃなかったなら、なんなんだ。そんな事今関係ないだろ。
痛みに呻く羽炭ちゃんが痛々しくて、涙がこぼれる。俺が一瞬でも諦めたばかりに羽炭ちゃんにこんな大怪我負わせて…馬鹿!馬鹿馬鹿俺の馬鹿野郎!!女の子を傷物にするとか!最低だぞ!!


「違う…違うのか…兄妹でも家族でもないのに…」

「る、累」

「女は鬼になってる…けど、家族じゃない人間を庇った…身を呈して…!」


うわ言のように呟く鬼を訝しく見つめる。さっきから何を言っているんだ…?


「本物の“絆”だ!ほしい!」

「ちょ、ちょっと待ってよ累!私が姉さんよ!姉さんを捨てないで!」

「うるさい!黙れ!」


女の子の鬼に累、と呼ばれた鬼がひゅんッ!と腕を奮った瞬間、女の子の鬼もろとも背後に聳える木々たちを一瞬にしてバラバラに斬り裂いた。
あまりにも惨い光景に絶句する。あいつ、家族だって言った子を刻んだぞ…
累と少女が会話する。俺の耳なら聞こえていたはずだけれど、ついさっい目の当たりにした光景のせいでなんら頭に入ってこない。


「坊や、話をしよう」


不意に声をかけられて、初めこそ俺の事だなんて思っていなかったけれど、向けられる視線と、累が発する羨望と渇望の音に、目の前の羽炭ちゃんを累から隠すように抱きしめた。


「僕はね、感動したんだよ。君たちの“絆”を見て。体が震えた。この感動を表す言葉はきっともうこの世にないと思う」


手を胸にあてて、恍惚と、感動を噛み締めるかのように言葉を続ける。「でも君たちは僕に殺されるしかない」何を…言いたいんだ…


「悲しいよね、そんな事になったら。…だけど、回避する方法が一つだけある。…君が抱えてるその子、僕にちょうだい」

「は…」


俺は今、何を言われた…?ちょうだい…?誰を?何を?


「大人しく渡せば命だけは助けてあげる」


何を言われているんだ。何を言っているんだ。羽炭ちゃんを渡せ…?そうすれば命だけは助けてあげる…?

……はは。


「…誰が渡すかよ」


羽炭ちゃんを抱きしめる腕に力を入れた。


「お前なんかに羽炭ちゃんを渡すわけないだろうが…!物じゃないんだぞ!自分の意思も想いもある人間だ!」

「大丈夫、心配いらないよ。“絆”を繋ぐから。僕の方が強いんだ。恐怖の“絆”だよ。逆らうとどうなるかちゃんと教える」

「ふざけんな!そんなもので縛り付ける事を家族の“絆”だなんて言うわけないだろうが!!絶対に羽炭ちゃんをお前なんかに渡さない!!」

「いいよ別に。殺して奪るから」


殺して奪る。その言葉に一瞬怯んだ。…けど、それはほんの一瞬だ。さっきまで胸に巣食っていた恐怖は消え去り、代わりにどす黒い怒りが渦巻く。
俺が殺されるよりも早く、俺があいつの頸を斬る。


「君は勝てるの?十二鬼月である僕からそいつを守る事ができる?」


累が前髪を避けると、眼球に刻まれた漢数字が現れる。下伍…つまり、下弦の伍。正真正銘、本物の十二鬼月。…啖呵切ったくせに今更ながら、折れた刀を握る手が震える。羽炭ちゃんを抱く手もきっと同じように震えていると思う。…けど、それでも俺は絶対にあいつに負けちゃ駄目だ。駄目なんだ。じゃないと、羽炭ちゃんがあいつにとられてしまう。そんなの…


「(絶対に駄目だ!)」

「…嫌な目付きだね。さっきまで喚き倒していたくせに、打って変わってメラメラと……あぁ、もしかして、僕に勝つつもりなのかな?」


累の手が動いた。手繰り寄せるような動作にはッとして腕の中の羽炭ちゃんを隠……そうとする前に、糸で繋がれた羽炭ちゃんが累に捕らわれてしまった。


「ヴッ…うぅ"…!」

「さぁ、もう奪ったよ。自分の役割を自覚した?」

「その子を放せ!!」


だッ!と駆け出す。刀が折れてるとか、もうそんな事どうだってよかった。一刻も早く累から羽炭ちゃんを取り返さないと。その一心で刀を振り上げる。羽炭ちゃんが累の顔面を引っ掻いた。累はまた糸を纏わせた腕を奮って、咄嗟に足を踏ん張ってその場を飛び退く。少し離れたところに着地して、息を整えようとして……累の腕から羽炭ちゃんがいなくなっている事に気付いた。


「羽炭、ちゃん…?」


一体どこにいったんだ…?
見失った羽炭ちゃんの音を慌てて聞こうとして…そしたら、ぼたぼた!と唐突に上から血が滴り落ちてきた。「え…?」真っ赤に濡れそぼった腕を横目に恐る恐る見上げると、全身から血を滲ませ、宙吊りになった羽炭ちゃんがいた。


「は、羽炭ちゃん!!」

「うるさいよ、このくらいで死にはしないだろ、鬼なんだから」

「ッ…」


ぎゅうッと柄を握りしめる。落ち着け、落ち着け、落ち着け…!

だんッ!地面を踏みしめる。呼吸は、深く、鋭く。刀が折れてるからなんだ。そんな事を気にしていたら羽炭ちゃんが死ぬぞ。そんなの、絶対に駄目だ!


ー雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃


限界まで力を貯めた足を一気に踏み込む。累が糸を放つ…が、それらを纏めて断ち斬ってみせればようやっと累の顔色が少しだけ変わった。


「(斬れた!斬れた斬れた!これなら、少しずつ距離さえ詰めれば…!)」


深く息を吸った。もう一度壱ノ型の構えをとって地面を踏みしめた瞬間…


「ねぇ、糸の強度はこれが限界だと思ってるの?」


ぶわり。一面に張り巡らされた蜘蛛の巣のように累の糸が俺の周囲を囲んだ。「もういいよ、お前は。さよなら」この糸は、斬れない。今の俺の雷の呼吸じゃ…壱ノ型しか使えない俺にこの糸は斬れない。さっきまでの糸とてんで違う。
絶対に負けられないのに、負けちゃいけないのに…だって、俺が負けたら羽炭ちゃんがあいつにとられてしまう。彼女と交わした約束も、あの黒髪の柱に誓った事も、全部なかった事になってしまう。

…それだけは駄目だ。俺は羽炭ちゃんを人間に戻してあげるって、約束……だけど…!


「(死ぬ、の…?)」


今まで散々吐き散らかしてきた死の概念がすぐ目の前まで迫る。死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたく…………


ばづんッ!まるで何か電源が落ちるように目の前が真っ暗になった。