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那田蜘蛛山の話




「待ってくれ!!ちょっと待ってくれないか!!」


すっかり骨折も癒えた頃、唐突に運ばれた新たな伝令に今度こそ俺の死が確定した。何、何よ…選抜部隊が壊滅した上に隊士が戻ってこないってッ!!死ねって事!?そうなの!?ねぇ!!誰か!!何とか言ってッ!!


「何座ってんだこいつ。気持ち悪いやつだな…」

「お前に言われたくねーよ猪頭!!」


全く持って心外である。自分だって女の子みたいな顔してるくせにムキムキだろうが。俺は普通だ。気持ち悪くなんてない。俺が普通で、お前が異常なの、わかる!?
膝を抱えて蹲る。背中の木箱からカリカリと励ます音が聞こえるけど、ごめんね羽炭ちゃん。俺、今度こそ無理かもしれない。だって、怖すぎる。


「!」


不意に俺の耳が音を拾った。弾けるように顔をあげると、山の入り口にボロボロの隊員が一人、倒れていた。


「た、たす…助けて…」

「ッ…!!」


ひどい恐怖の音だ。恐怖と、困惑と、いろんな負の感情を混ぜ込んだ音をさせるあの隊員に駆け寄ろうとする伊之助の背中を呆然と見つめると、何かが軋む音が聞こえた。「え?」俺が宙を見つめたのと、隊員の体が浮かんだのはほぼ同時だった。


「ああああ!繋がっていた…!俺にも…!助けて…!助けてくれぇええ…!!」


がさッ!!と暗い木々の中に引き込まれた隊員を目の当たりにして、口を手で覆った。何、今の…だって、音、あの山からすごく気持ち悪い音がする。行けない。俺はこれ以上進めない。だって、俺…


「ビビってんなよ」


ざッ、と俺の前に足が立ち塞がった。伊之助は腕を組み、ふんぞり返るようにして山を見つめていた。


「行きたくないなら、お前はそこでガクガク震えながら待ってな!俺は行く、山の王だからな!ははッ…腹が減るぜ!!」


そう言って伊之助は駆け出した。呆然とその背中を見つめていると、カリッと木箱に爪が立てられる。


ーカリ、カリカリ


恐怖で支配された心が、羽炭ちゃんの音を聞いて少し落ち着いた。深く息を吸って、吐き出す。どうしたって震える足を叱咤して立ち上がった。
本当は怖い。あんな気持ち悪い音のする、見るからに不穏ですって言ってるような場所になんて行きたくない。


ーあなたが羽炭さんを連れ歩くと言うのなら、人間に戻すというのなら、腹を括りなさい。怖くても、恐れてもいい、ただ、覚悟を決めなさい。


だけど、珠世さんと約束したから。羽炭ちゃんを預かると言ってくれた提案を断ったのは、紛れもない俺自身だ。羽炭ちゃんを人間に戻すと誓ったのなら、珠世さんと約束を交わしたのなら、怖くても震えてても無様でも、足を踏み出すしかないんだ。


「まッ、待ってくれよ伊之助!!」


体に纏わりつく恐怖も躊躇も一切合切を振り切って、俺たちは那田蜘蛛山に足を踏み入れた。