善逸が幼児退行
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柱if
募集箱より
「おい炭子!!炭子ー!!」
蝶屋敷でアオイさんのお手伝いをしていると、玄関からものすごく喧しい声で名前を呼ばれた。言わずもがな声の主は伊之助なのだけど、なんだか様子がおかしい。なんと言うか、伊之助らしからぬ心底慌てた匂いにアオイさんと顔を見合わせていると、がさッ!!とまさかの茂みの中から伊之助が飛び出してきた。
「伊之助さん!!玄関から声が聞こえたのにどうしてそんな所から出てくるんですか!!」
「それどころじゃねーんだよ!」
「お、落ち着いて伊之助…どうしたの?」
「紋逸が…!」
「え?」
「紋逸が縮んだ!」
八歳くらいまで縮んでしまった黒髪の少年…もとい、善逸。伊之助曰く、鬼から伊之助を庇った善逸が鬼の術を受けてしまって、瞬きした次にはもうこの姿だったらしい。
いつになるかはわからないけど、鬼を倒したのなら元に戻るだろうから気長に待っているといいと言うけれど、やっぱり心配だ。なんて思いながら、なほちゃんたちについて回る小さい善逸を見つめた。
「あの、次は何をしたらいいですか?」
「えっと、もう一段落つきましたから、休んでていいですよ?疲れたでしょう?」
「いいえ!俺はまだ元気なので大丈夫です!手伝わせてください!」
「え!?あの、えっと…」
やや食い下がり気味な善逸にいよいよどうしていいかわからなくなったなほちゃんが眉を下げた。普段とあまりにも違いすぎる善逸に戸惑っているみたいだ。かく言う私も、未だ見た事のない姿に目を見張っているわけだけど。
なんと言うか、空元気?一生懸命なのはわかるけど、あまりにも必死な匂いがするから、どうしたって気になってしまう。
…いつだったか、善逸は自分には親がいないのだと言っていた。色んな家を渡り歩いては、その度に家を追い出されたのだと。
立ち上がり、未だなほちゃんについてまわる善逸に近付けば、ほんの少しだけ怯えた匂いをさせて私を見上げた。それにずきり、と胸が痛んだけれど、今は仕方ないのだと言い聞かせて善逸の目線までしゃがんだ。
「こんにちは」
「え?こ、こん、にちは…あの、お姉さんは…?」
「私は竈門羽炭と言います。君の名前を教えてくれるかな?」
「ぜ、善逸…」
「善逸かぁ、素敵な名前だね」
「そ、そうかな…?」
「うん、とっても素敵」
「えへへ」
ほんのりと頬を染めてかわいらしく笑う彼に、ほわり、と胸が暖かくなる。ちらッとなほちゃんに視線を向ければ、私の意図に気付いた彼女は軽く一礼してからこっそりと去って行った。「さて、善逸」くるり、手のひらを彼に差し出せば、困惑の匂いをさせて私の顔と手のひらを交互に見つめた。いつまでも握り返される事のない手にほんの少し寂しさを感じながら、けれど、ぶらりと地面に向いた善逸の手を取れば、べっこう飴色の目を目一杯大きくした。
「仕事を探しているのなら、少し私に付き合ってくれる?」
幼い善逸の手を引いてやって来たのは、柱となって私が与えられた屋敷だった。
「ここは…」
「私の家、みたいなものかな。さ、上がって上がって!」
屋敷の中に善逸を招き入れ、居間に向かう。羽織をそのへんに掛けてから袖捲りをした。「よし、やるか!」こてん、と善逸が首を傾げた。
「大掃除!」
大掃除といっても大それたものじゃない。普段しない所の掃除をしようと思い至っただけだ。禰豆子は蝶屋敷で住み込みで働いているし、時々善逸が何日か泊まりには来るけれど、継子やお手伝いさんを持たない私は実質この広い屋敷で一人暮らしである。
ハタキを片手に走り回る善逸を微笑ましく思いながら廊下を雑巾がけする。ここの廊下長いんだよなぁ……あ、そうだ。
「善逸、善逸」
「はい?どうしましたか?」
「もう、堅苦しい話し方はなしだっていったでしょ?」
「ご、ごめんなさい…」
「あ、ほら。すぐ謝る」
「ごめんなさ…あ!」
「ふふ、いいよ。あ、そうだ。ねぇ、雑巾がけ競走しようか」
「雑巾、競走…?」
「この廊下をね、端から端まで雑巾がけしながら競走するの。やった事ある?」
「ない、です…」
「実は私も。ほら、雑巾持って!」
桶の中にもう一枚雑巾を浸して善逸に手渡す。廊下の端に並んで立ち、よーいどん、の掛け声でいっせいに走り出す。廊下は存外滑った。足袋も履いているから余計にそうなんだろうけど、途中でずっこけた私は善逸に抜かれて負けてしまった。悔しいなぁ、もう一回!そう言えば、勝てて嬉しそうに笑っていた善逸は「うん!」と大きく頷いてくれた。
そうして何度か雑巾がけ競走をして、予定していた大掃除が終わる頃には私たちは埃まみれでドロドロであった。
ざばり。湯船に身を沈めれば、余ったお湯が浴槽から溢れ出た。
「ふぁー…大掃除後のお風呂は五臓六腑に沁みるねぇ」
「………あの、」
「ん?どうかした?」
「なんで、俺まで…」
「え?だって勝手がわからないでしょ?なら一緒に入った方が早いかなって思って」
「…そっか」
何気なく放った言葉には思えなかった。どれだけ笑顔にしようとしても、どれだけ楽しい事をしてみせても、幼い善逸からは絶えず疑問と不安と、諦めにも似た匂いがしていた。
それは今まで善逸が過ごしてきた環境がそうさせているからなのだろうけど、やっぱり寂しい事には変わりない。
「そりゃ!!」
「ッ!?」
善逸にはいつも振り回されてばかりだ。なんだか悔しくなって小さい体を思いっきり抱き締めてやれば、驚きと恐怖を混ぜた匂いと共に体を固くさせる。ぎゅーッ、と抱き締めて、抱き締めて、ぽすり、頭を撫でると、私の音を聞いたからなのか、それとも私が自分にも害をなす人間じゃないとわかったからか、ようやく力を抜いてくれた。
「ねぇ、善逸」
頭を撫でながら名前を呼ぶ。
「私ね、善逸が大好きだよ」
ぴくり、肩が揺れた。嘘偽りのない言葉だ。「なんで…」消え入りそうな声が胸元から聞こえた。
「なんで、羽炭さんはそんな事言うの…?俺みたいなやつの事、なんで好きとか言えるの…?」
「そう思ってしまったんだから仕方ないよ」
「けど、俺たちは会ったばかりで…」
「…そうだね。だけど、私が善逸の事をずっとずっと…これから先もずっと好きな事に変わりはないよ」
全部、伝わればいいと思った。善逸が過ごしてきた辛い過去は変える事はできないけれど、これから歩んでいく未来なら変えられる。だって、善逸はもう一人じゃないし、例え一人でいようとしても私がそうさせない。善逸が私にそうしてくれたように、私も善逸にそうしてあげたい、なんて。傲慢だろうか。
「何かを掴んだり、何かを成し遂げたり…誰かを守り抜いて、幸せになれるような未来を、私と一緒に夢見てくれますか?」
懇願に近い祈りの言葉だった。全部を言い終わった時、我儘が過ぎた…なんて。それと、未だ無言な善逸に重たすぎたかもしれないと思った瞬間、もぞり、と腕の中の善逸が身動ぎをした。
「どうしたの?ごめんね、急に変な事言って…。困らせたよね…」
「…、」
「善逸…?」
「夢、見てくれるの…」
唐突に善逸の匂いが変わった。疑問も不安も諦めも消え去った、嗅ぎなれた善逸の匂いがして覗き込めば、タコみたいに顔を真っ赤に私を見上げていた。「ぜん、いつ…?」姿は未だ子供のままだ。けれど匂いがいつものそれだから疑問が尽きない。
「何かを掴んだり、成し遂げたりする未来を、一緒に夢見てくれるの…?」
「…馬鹿だなぁ。善逸がいてくれないと、未来を歩くには寂しすぎるよ」
「…そっか」
幸せな匂いが善逸からする。嬉しいと、幸せだと少しでも思ってくれたのなら、それほど嬉しい事はない。背中に回る腕の温もりを感じながら、善逸のつむじに頬を寄せた。
「それより羽炭」
「なぁに?」
「………おっぱい、おっきくなった?」
「…………………」
もにゅもにゅと小さい手で胸を揉まれて、子供の姿である事を感謝しろよ、だなんて思いながら拳を握りしめた。
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血鬼術で幼児退行した黒髪の善逸が、風呂場で記憶だけ戻る話。
素敵なネタをありがとうございました!