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正気を失くした聖母はまだ



炭治郎たちは走っていた。この短時間で走ってばかりだと何となく思いながら、腕に抱くアリスを見下ろす。炭治郎が知る藤色の瞳は、固く閉じられた瞼に隠されて見えない。それがなんだか寂しくて、きゅ、と眉を寄せた。


「避けろ!!」


唐突に響いた宇髄の声に反射的にその場を飛び退いた炭治郎たち。瞬間、さっきまでいたところに何匹もの蛇の頭が地面を抉った。あのままあそこにいれば…。そんな想像をしてしまった蜜璃はふるり、と背中を震わせる。ゆっくりと地面から頭を引き抜く蛇たちは、赤く猟奇的に輝く目を炭治郎にーー否、炭治郎が抱きかかえるアリスに向け、襲いかかった。炭治郎たちはさッと顔を青ざめさせて立ち上がり、踵を返す。


「くそ…!纏まって動くな!散らばれ!」

「は、はいい…!」


四方八方に散らばり、走る。蛇たちは四方に走って行くそれぞれを追いかけたが、それはほんの少しの間だけで、すぐに諦めたように別の方向へ向かっていった。


「へ…?こっちに、来ない…?」


伊之助と逃げる方が同じであった蜜璃が呟く。それは善逸を抱えた宇髄も同じ事で、追いかけてきた蛇がこぞって同じ方向に行くのを見て、息を飲む。


「あいつら、炭治郎たちの所に…!」


蛇と繋がっているアダムの目的は、炭治郎に奪われたアリスを取り返す事。そのため、アリスを抱えて走る炭治郎に向けて髪の蛇たちを一斉にけしかけたのだった。
薄々そんな気はしていた炭治郎は、一日のうちに二度も蛇に追いかけられる事になって内心でげんなりしつつも、絶対に捕まってなるものかと走り続けていた。


ーー小僧…!ソイつヲ、アリスヲ、カエセエエエ!!


「ッ…ヒノカミ神楽…!」


ー幻日虹


炭治郎は呼吸を駆使して襲い来る蛇たちを躱していく。揺らめく陽炎を捕らえた蛇たちは、欺かれた事に鋭く鳴き声を上げ逃げ回る炭治郎たちを追いかける。走って、走って、走って、されど、やはり人間であるために体力の限界は近付いてくるわけで。ついに疲労で足がもつれた炭治郎は体勢を崩した。「ッ…!!」好機、と言わんばかりに炭治郎目掛けて蛇たちがいっせいに迫り来る。
早く立たないと。体勢を立て直さないと。じゃないとアリスが…!

けれど、今までの疲労が蓄積され続けた炭治郎の体は思うように動いてくれなかった。ならばせめてアリスだけでも…そう思って庇おうとした瞬間、蛇たちと炭治郎を隔てるように大きな金色の術式が空中に広がった。


ーードォオーンッ!!


術式と蛇たちが衝突した事によって生じた衝撃波と暴風が、炭治郎の髪を巻き上げる。そうして、自分の顔の横から黄金の術式に向かって伸びる白い手に目を見開いた炭治郎は名前を呼んだ。


「アリス…!」


“シャアアアア!!”


術式に阻まれた事によって怒り狂う蛇たちは、口から閃光を吐き出す。それを防ぐようにさらに三重に展開された術式の防御壁とぶつかり、せめぎあいを始めた。


「くッ…!」


何かに耐えるような、苦しげな呻き声に「目が覚めた」やら「よかった」やらの安堵感は瞬く間に消える。抱きしめる腕に力を込め、今はただ目の前で蛇たちを受け止めるアリスを固唾を呑んで見つめた。“パキンッ!”一つ目の防御壁が砕かれ、間もなくして二つ目の防御壁も弾け飛んだ。


「たん、じろ…にげて…!」


アリスの手が炭治郎の胸を押す。自分を置いてここから逃げろと、暗にそういう意味を込めた行動だった。だけど、炭治郎は逃げるところか逆にアリスの体を抱え直し、叫んだ。


「逃げれるわけないだろ!!お前を置いて逃げないし、俺ももう逃げはしない!!例え災厄に阻まれようと、絶対にアリスを一人にしない!!」

「!!」


くしゃり。アリスの顔が泣き出しそうに歪んだ。どうしようもなく優しくて、どこまでもお人好しな人間で、そしてそんなお日様の中に、アリスは見知った“誰か”を垣間見た。


「よく言った!!」


そんな声が降ってきたと同時に、どん!!と言う轟音を響かせて巨大な剣が蛇とアリスたちの間に分断するように地面に突き刺さる。「はああああ!!」剣に気を取られている蛇の顎を地面を走って忍び寄ってきていた響がぶん殴ると、ぱごッ!と口を閉じ、光線を吐き出していたために口内で爆発が起きた。


「走れ!!」

「ッ!」

『■■■■■■■!!!!』


形容しがたい、けれど痛みに悶える鳴き声を聞きながら炭治郎は走る。アームドギアをマシンガンに変えたクリスが、走る炭治郎たちを追わせまいとアダムに向かって連射した。


「翼さん、皆は!?」


炭治郎は隣を並走する翼に問いかける。


「全員戦線を離脱した!蝶屋敷まで走るよういってある、あとはお前たちだけだ!」

「わかりました!なら俺たちも…」

「だめ」


小さく、否定の言葉が聞こえた。「アリス…!?」どういう事なのかと二人が思考を巡らせている間に、アリスはするりと自分を横抱きにする炭治郎の腕から抜け出し、地面に降り立った。同時に、アリスを中心にして広がる術式。元々アリスが着ていた白い装束は分解され、代わりにファウストローブとして再構築されていく。そうして弾けた光の中から現れたのは、エヌマ・エリシュのファウストローブを纏ったアリスであった。


「アリス、それは…!」


困惑の表情を浮かべた翼の呟きを聞きながら、アリスは両手に術式にを浮かべ、短剣を握りしめる。真っ直ぐと藤色が見つめるのはカルマノイズに侵食されたアダム。


「これは、わたしがやる」

「危険すぎる!無理矢理操られていた反動だってあるのに、それじゃあ…!」

「あれは…!」


アリスの絶叫が静かな夜に木霊した。


「あれは…かつての災厄だ…。わたしが解き放ってしまったばかりに蘇ってしまった原初の怪物…」

「災厄…?原初って………まさか、アリス…記憶が…」

「少しだけ、少しだけ思い出した。ほんの断片だけど、それでもわかる。あれは、蘇ってはいけなかった」


アダムと繋がった事、そして無理矢理“エンキドゥ”として再起動させられた際に与えられた衝撃が脳波を揺らし、沈められていた記憶の断片が僅かに浮上したのだった。
その記憶の中に映る巨大な怪物と一つの王国が燃え盛る光景。そしてその怪物にたった一人で立ち向かおうとする背中。どれも見覚えがあるものだった。それは、かつてアリスが目の当たりにしたもの。

ーーただの人間にできて、わたしができないはずがない。


「つばさ、たんじろを連れてみんなのところに行って」

「し、しかし…」

「だめだ!俺は無理矢理にでもお前を連れて行くからな!じゃないと、何のためにお前を助けたのかわからないじゃないか!そんなのッ…」

「たんじろ」

「ッ…」


ぽすん。アリスは真正面から炭治郎に抱き着いた。思わぬ行動に困惑しつつも、咄嗟に背中に腕を回してしまうのは無意識であった。顔を上げたアリスが炭治郎の目を覗き込む。引き込まれるような藤色の瞳の中には、よく見たら満点の星が瞬いているようで見入ってしまう。
そうしてどことなくぼんやりと光るアリスの瞳を見つめ続けて…


「…え…?」


唐突に炭治郎の視界が歪んだ。ぐにゃりと捻れるように、陽炎のように揺らめく。「何、を…」自分の意思に反して瞼が落ちていくのをとめられない。ぼやける視界の中、朦朧と手を伸ばした炭治郎は今にも泣き出しそうに笑うアリスの姿を最後に意識を飛ばした。




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