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夏になる前の魔物



ぐったりとしているアリスを抱きかかえて、炭治郎は走っていた。夜の海よりも深くて広い闇の中を、背後から迫り来る“何か”から逃げるように足を動かし続けた。


ーーか、エセ…カエセぇぇエエ!!


「ッ…」


振り返って確認する暇なんてない。わかるのは、あれに捕まれば間違いなく八つ裂きじゃすまないという事だけ。我武者羅に、だけど、炭治郎にはどこへ向かえばいいかわかっていた。赫灼の瞳の中に黄金が渦巻く。彼の中にいる“誰か”の千里眼が見せる道標を辿りながら、ただただ闇の中を走っていた。


ーーアリス…!カェ、せぇえ!!


「しつこいな…!」


時折放たれる錬金術を避ける。走って、走って、ただ走って。不意に、先の方から白くて細い光が見えた。切れ込みのような形のそれは、先程間違いなく炭治郎が潜り抜けた傷跡で、それを見つけた瞬間、ぐ、と足に力を入れた。呼吸は深く、鋭く。意識を足に集中させ、血管の一本一本に至るまで空気を巡らせる。それは、いつか善逸が教えてくれた雷の呼吸を使う際の足の使い方。

限界まで足に力を溜めて、一息に解き放つ。空気を切り裂く雷鳴のように、そう、最速で、最短で、真っ直ぐに。


「一直線にぃぃいい!!」


傷跡の隙間から、光の中に飛び出す。空はどんよりと曇っているはずなのに、それでも明るいと感じるのはそれ程怪物の中の闇が深かったからである。
やっと出れた。炭治郎がほッと、僅かでも気を緩めた瞬間。


「!?」


がくん、と視界が大きく揺れる。振り返ると、以前炭治郎が見た姿とはかけ離れた、それこそ“怪物”のような姿をしたアダムが、目を血走らせて抱きかかえるアリスの足を掴んでいた。


「逃がさナい…!!それは、僕のモのだァァアアア!!」

「このッ…!!」


アリスの足を掴むアダムを炭治郎が蹴りあげようとしたと同時に、影が落ちる。聞こえる機械音と、視界の端っこではためく薄黄色。響は炭治郎とアリス二人を纏めて抱き締め、腕を大きく振り上げた。


「邪魔、するなあああああ!!」


アダムの顔面に叩き込まれた神殺しの拳。吹き荒れる爆風がその威力を物語り、三人は後方に大きく吹っ飛んだ。けれど、響は決して手を離さなかった。炭治郎もまた、アリスを抱き締める腕に力を込め、そうして、大きな轟音と土煙を上げながら地面にぶつかった。


「炭治郎!アリスちゃん!」

「立花!」


何人もの悲鳴にも似た叫び声が名前を呼ぶ。燻る土煙の中。けれど、歌はその場にいた全員の耳に飛び込んでいた。歌はやまない。やむ事はない。
土煙が晴れる。
なぜなら。


「この胸に歌がある限り、私は諦めない!!」


いつだって胸の歌は、誰かの心に勇気を与えてくれるのだから。

無事に地面に足をつける三人を見て、宇髄は心底安堵の息を吐いた。まったく、ド派手に予想の斜め上を行く奴らだ。それでも笑みがこぼれるのは、炭治郎が成すべき事をやり遂げたからである。

アリスがいなくなったことによって、パキパキと音を立てて怪物の皮に亀裂を入れていく。腕から、髪と一体化する蛇の頭から、少しずつ崩れていく。

全員に喜びと安堵の波紋が広がる。…だけど、初めに変化に気付いたのは善逸だった。


「え?ちょ、何これ…!」

「おい、どうした!」

「耳、が…!」


耳を抑えて蹲る善逸にクリスが駆け寄る。善逸だけが聞き取れる音は、形容できない音と音、それと、誰もの心の中に巣食っているどす黒い感情を混ぜ合わせたようなもので、それらが音となって善逸の脳みそを掻き回した。気持ち悪くて、嘔吐く。善逸の背中を撫でながらふと顔を上げたクリスは、目に飛び込んできた黒い影に瞠目した。


「か、カルマノイズ…!」

「え!?」


一斉に振り返る。響たちがこの世界にやって来た本来の目的。怪物と同等の大きさくらいの黒いノイズーーカルマノイズは、崩れかけている怪物に触れ、ゆっくりと飲み込み形成されたのは先程と同じ姿形の黒い怪物であった。


「ここに来てカルマノイズ…!間が悪すぎる…!」

「出てきやがったのなら、ぶっ飛ばすしかねぇ!しかもあいつ、アダムを取り込みやがった…!」

「早く何とかしないと…!竈門くんたちは、すぐにここから離れて!」

「響!」


響とクリス、翼は大きく跳躍し、カルマノイズに向かっていった。
きっと、このままここにいれば三人の邪魔になる。そう思った炭治郎はアリスを抱え直し、振り返った。


「宇髄さん、ここから離れましょう。アルカノイズも少ない今なら…」

「…お前はいいのか、それで」

「いいかどうか聞かれたら、きっとよくないんだと思います。けど、俺たちがいる事で響たちの邪魔になるのなら、離れた方がいい、そう思いました」

「…行くぞ」


宇髄は耳を抑えて蹲る善逸を小脇に抱え、言う。それぞれの返事を聞きながら、ちらり、振り返る。自分より歳下の少女たちに任せるのは、宇髄にとっても心苦しく、それでいて歯痒いものだった。あの怪物と渡り合える力があったのなら。誰しも一瞬でも思った事だ。けれど、どうしたって彼らにそんな力は備わらないし、宿る事はない。だから、今自分たちができる事をやるだけだと、前を向いた。





***



「はぁああああ!!」


どんッ!!響が放った拳が、アダムを取り込んだカルマノイズに当たる。それに追撃するようにクリスの大量の弾丸と、翼の蒼ノ一閃が放たれ、半身を大きく損傷させた。
けれど、炭治郎がアリスを引き剥がした際に抜かれた“再生”の権能を有する怪物は瞬く間に損傷箇所を修復していく。「ちッ!」クリスが大きく舌を打った。


「こいつ、アリスが中にいた時より厄介だぞ!!今まで相手したカルマノイズと桁が違う!!」

「それでも、本来の目的地が雁首揃えて目の前に現れたのだ!この機をみすみす逃すものか!」


高く跳躍した翼は、ギアを展開させいくつもの蒼い閃光をカルマノイズに向けて放つ。響も腕のギアを引き上げ、拳を打ち付けた。


どんッ!!どんどん!!


鈍い音と爆発による煙がカルマノイズを隠す。元よりこれで仕留めたとは思っていない。もう一撃…そう地面を踏みしめた時、煙の中から何匹もの蛇が響たちを弾き飛ばした。


「ぐああああ!!」


宙を滑降していた響と翼に避けるすべもなく。モロに受けた攻撃に地面に叩き落とされ、苦しげに喘いだ。「この…!」クリスが腰のギアを広げ、弾丸を飛ばす。怪物の髪に繋がる蛇たちはそれを受けながら、掠り傷さえ付けずに突進し、クリスにぶつかる。がはッ、と息を詰めたクリスは同じように地面に体を打ち付けた。


『カエセ…カエ、セ…カエセェ!カエセ…!カエセカエセカエセカエセカエセカエセー!!』


カルマノイズに取り込まれてもなお自我を保ち続けるアダムに、響たちは背中を薄ら寒い何かが滑り降りたのを感じた。


「何が神だ…!当人が怪物に成り下がってたんじゃ世話ねぇだろうが!」


怪物が動き出す。宙を滑るように移動しようとする怪物の方向を見た響のこめかみに、たらり、汗が流れ落ちる。『■■■■■■■■■■!!』形容できない叫び声を上げて、怪物は髪の蛇を前方にけしかけた。
だって、あそこは、あの方向は…!


「逃げて、皆あああ!!!」


ドォン!!木々を薙ぎ倒し、大地を抉るように突っ込んで行った蛇を、響たちは呆然と見つめた。




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