神さまとの断絶
『お前はーーじゃなくていい』
ずっと、アリスの頭の中には靄がかかっていた。
『ーーであろうとしなくていい』
その靄の中から、誰かがずっと語り掛けている。それは想い出なのか、はたまた記録か記憶か定かではない。けれど確かにアリスに向けて放たれた言葉だった。
『だからお前に与えたんだ。もう二度とーーにならないように』
優しい声だった。靄から響く声の主が知りたくて、覗いて見たくて、触れようとするけれど、そうしたら途端にひどく頭が痛んで、次第にそれに触れる事すらしなくなった。
だって、痛いのは嫌だ。辛くて、悲しくて、何も考えられなくなる。
拒絶して、拒絶して、ずっとそうしていれば辛くなる事も痛くなる事もなくなるって、思っていた。
けれど、今になって、どういうわけか、頭の中の靄を晴らさないといけないような気がしてならない。
『お前の歌は呪いじゃない。誰かを傷付け、滅ぼすーーじゃない』
ーーずきり
ひどく、頭が痛む。靄に触れる度に抉られるような痛みが頭を駆ける。だけど、そう…だとしても、思い出さなければならない。自分が誰で、何であるのか。
『アリス。お前の歌は祈りを願う祝福だ。かつて俺の国を笑顔で満たしたお前なら、きっとまだ手を伸ばすことができる。見失うな、何のために、誰のために歌うのか。思い出さずとも、覚えていなくとも、お前はーー』
思い出して、そして、あの人に、もう一度ーー
自身で核融合を起こし、黄金錬成をする際に発生した膨大な爆発エネルギーが響たちに降り注ぐ。かつて彼女たちが経験したからこそわかるその破壊力に顔を強ばらせた響たちは、一刻も早くここから避難するべく動く。…が、それよりも早くアダムの手が振り下ろされる方が早かった。
周囲に光が満ちる。どう足掻いたってこれからは逃れられないだろうと言うのは頭の片隅でわかっていた。けれど、諦めたくない。見ず知らずの、きっと怪しかったであろう自分たちに居場所をくれて、信じてくれたこの蝶屋敷の人たちを守りたい。
三人の絶唱を束ねて相殺するか、それともエクスドライブモードで…いや、間に合わない。
どうする、どうする、どうする、どうする、どうする…ーー
「ッー!」
刹那、視界の端っこを白が駆け抜けた。それはつい先程まで無差別に術を放っていたアリスで、けれどその時のように何も映さない人形の目ではなかった。
アリスの足元に金色の大きな術式が浮かび、さらにその周囲に同じ色の術式がいくつか現れる。手を空に翳した。そうしたら術式から放たれる高エネルギーの塊がアダムの放つ黄金錬成とぶつかり、せめぎあいを始めた。
「ぐッ…う"ぅ…!」
閃光が弾ける。天空を引き裂き、吹き荒れる熱が地面を焦がす。巨大な獣か獰猛な竜のように轟くそれに、その場にいた誰もが瞠目した。
「よるな…!ちかづくなああああ"あ"あ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"!!」
小さくて細い腕が一身にそれを押しとどめる。黄金錬成の力が押し込まれるたびにアリスの骨が軋み、引き結んだ口から、裂かれる皮膚から鮮血が飛び散る。
「アリス…!」
「馬鹿お前ッ!それ以上近付くと黄金錬成に巻き込まれんぞ!!」
「けど、クリス…!」
思わず飛び出そうとした炭治郎の腕を掴んだクリス。誰もが見守るしかなかった。フォニックゲインを高めようと、絶唱を重ねようと、アダムの黄金錬成にひとたび触れればひとたまりもない。
アリスは歌った。紀元前からの想い出すらを糧にして、これ以上の蹂躙は許さないと吼え立てた。
「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"ああ!!!!」
踏ん張った地面が割れる。けれど、それでもアリスは膝をつかない。叫びながら、血を吐きながら、今以上の力を増大させて黄金錬成を押し返した。
相殺される力と力が天空高くに昇り、弾ける。昇る太陽にも衰えないその輝きが消えた頃、ぼたぼたと目、鼻、口、体のあちこちから血を滴らせたアリスは地面に座り込んだ。
「はッ…はッ…はぁッ…」
「アリス…!」
炭治郎はたまらず駆けた。そのあとに響たちが続き、アリスに手を伸ばす。滴る血をそのままにアリスは振り返り、同じように手を伸ばした。駆け出し、手を伸ばし、指先が触れた瞬間、アリスの胸を槍状の氷が貫いた。
「た、んじ、ろ…」
一本、二本、四本、次々と目の前でめった刺しにされるアリスに、炭治郎の頭は真っ白に塗りつぶされる。「ごぶッ」吐き出された鮮血が炭治郎の頬を濡らした。
「ーー!!」
炭治郎の脳裏にかつての記憶が蘇る。鬼舞辻無惨によって惨殺され、冷たく横たわる血に塗れた家族の姿とアリスが重なって見えた。また、繰り返すのか。目の前で起こる事をただ見ている事しかできないのか。
ーー今度は、自分からアリスまでもを奪うのか。
「これ以上俺から奪わないでくれ…!」
自分が血塗れになるのも厭わず、炭治郎は滅多刺しのままのアリスを掻き抱いた。同時に、二人の足元に広がる紫の転送術式。
「アリスちゃん!竈門くん!」
けれど気付いた時には、目の前の二人は術式に吸い込まれるように消えていった。
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