切手にはふぞろいな羽毛
アリスが蝶屋敷にやって来て二週間。しのぶが危惧していた事は何も起こらず、平凡な日々が流れていっている。
禰豆子はアリスが気に入ったようで、基本的に行動を共にすることが多い。元来面倒見がいい禰豆子は子供のようなアリスの世話を焼くのが楽しいらしい。
なほ、すみ、きよ、アオイが何かをしている時はアリスは率先して手伝おうとした。好奇心旺盛な性格故に、四人について回っては何か教わっているところをしのぶは何度か目撃した。
だからこそ、そんな子供を体現したようなアリスに蝶屋敷の人間が心を開いたのは割とすぐであった。
「これは?」
「おはぎ」
「これ」
「うさぎ」
「じゃあ、これ」
「すずめ」
そして炭治郎を筆頭に善逸は専らアリスに言葉を教えようとしていたのだった。
「すごいじゃないかアリス!ちゃんとわかるようになったんだなぁ」
「たんじろ、おしえるのじょーず。すごくわかる」
「そっかそっかぁ、嬉しいなぁ」
「…なぁ、炭治郎」
にこにこと笑いながらアリスの頭を撫でる炭治郎。その傍らで、今までの勉強会を見ていた善逸は煎餅を片手にずっと疑問に思っていた事を口にした。
「なんだ?」
「アリスちゃんさ、言葉覚えるの早くね?」
善逸は炭治郎からアリスが異国の人間であると聞いていて、尚且つ自分たちとは違う言葉を異国の人が使う事も、それがどれほど難しい事なのかもわかっていた。
だからこそ、こんな二週間やそこらで聞き取り、発音ができるものなのだろうか。
善逸の頭を占めていた疑問はこれである。
それを聞いた炭治郎はふむ、と顎に手を添えた。
「…まぁ、物覚えはいいとは思うけど…こんなもんなんじゃないのか?それに禰豆子だって、言葉遣いが拙いだろう」
「いや禰豆子ちゃんはまた別じゃん。異国の人じゃないんだし。んー…なんて言ったらいいかな…」
腕を組んで考え込む善逸を見つめる。たくさんの弟妹たちがいた炭治郎は存外言葉を覚えるのは早いものだとしていたため、対して気にはしていなかったのだけれど、善逸は違うらしい。
一緒になって考え込んでいると、飽きたらしいアリスがくいくい、と炭治郎の羽織を引いたため意識をそっちに戻した。
「どうした?」
「たんじろ、こわいかお」
「え?そんなに怖い顔してたかなぁ」
「まゆのあいだ、しわしわ」
どうやら眉間に皺が寄っていたと言いたいらしい。炭治郎の真似をしてるのか、ぎゅーッと顰めっ面をしたアリスに思わず吹き出し、その眉間の皺を伸ばすように指で押した。
「そんな事してたら跡になるぞ?せっかくかわいい顔してるのに」
「え、ちょっと、何?人が一生懸命考えてる横でナチュラルにイチャつくのやめてもらえます?」
「いちゃ…なんだって…?」
「もおおおおこれだから炭治郎はッ!!」
何やら急に床を転がり始めた善逸に人じゃないものを見るような目を向けた炭治郎。いい加減やめないか。そう声をかけようとした所で、唐突に善逸の動きが止まった。
「あ、わかった!」
「何がだ?」
「アリスちゃんだよ!」
とつぜん自分の名前が出てきて、当の本人はきょとり、と目を瞬かせている。そんな幼い仕草にでれん、と頬を緩ませた善逸だが、すぐに顔を元に戻し、炭治郎に指を突きつけた。
「多分なんだけどさ、アリスちゃん言葉を覚えてるんじゃなくて“学習”してるんじゃないか?」
「学習…」
「赤ちゃんと同じで、親が話す言葉を聞き続けると自然とそれを喋るようになるじゃない?そんな感じなのかなって思ったわけで…」
「…でも、アリスは赤ん坊じゃないぞ?」
「いやわかってるけど。まぁ、そこが一番わからないところではあるんだよなぁ」
「ぜん、それ、たべたい」
「いいよいいよいっぱい食べて!これね、煎餅って言うの!固いけどめちゃくちゃ美味しいからね!あ、食べやすいように半分に割ってあげるよ!」
打って変わって極限まで頬を弛めて甲斐甲斐しく煎餅を割ってやる善逸を、炭治郎はなんとも言えないような目で見た。
何だろう、この変わりようは。アリスと友好的なのはいい事なのだけど、些か複雑な心境な炭治郎であった。
でも…。
「学習、かぁ…」
言葉を覚えているのではなく、自分たちから学んでいる。善逸の言う通り、二週間やそこらで元々の言葉が違う異国の人間がここまで話せるようになっていたかというと、答えは否だった。
だからこそ、善逸の言葉を聞いてどこか納得している自分がいて、同じく、自分はアリスの事を何も知らないのだと痛感した。
善逸に割ってもらった煎餅をもそもそ頬張るアリスを見つめた。食べた事のない未知の味に不思議そうな顔をしていて、それがまた本当に子供のようだから炭治郎は小さく笑う。
「おいしいか?」
「ん」
「そうか」
ふわり、アリスの白い髪を撫でる。この不思議な少女の事を、二週間共に過ごしてなお知らない事だらけだ。けれど、これから知っていけば、理解していけば、アリスの事が何かわかるのではないか。
そう思いながら、炭治郎はアリスの頬についた食べかすを丁寧に取ってやった。
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